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 夜も更けた濃密な蒼闇の中、ファザーン・カトライア連合軍は行軍を再開した。
 この頃には鯨が二度目の施術を終え、有間の傷も完治とまではいかないが、治りかけて痒みが生じる具合にまで落ち着いていた。

 何事も無かったかのように服を着替えて佐目毛の馬に乗った。名前が無いので呼びようが無いが、かといって勝手に名前をつける訳にもいかない。なので、その特徴から佐目毛と呼んでいた。
 念の為、同じ佐目毛の腰に有間に背を向けて鯨が座り、佐目毛の横にはアルフレートが馬を歩かせている。またいつヒノモトからの襲撃があるか、ルナールからの圧力がかかるか分からないからだ。

 有間は邪眼一族で、かの英雄東雲将軍を殺している。誅殺されるべき存在だ。
 鯨も、邪眼一族だからと言う理由でヒノモトは殺す。それに加えて魔女との混血であることを知る者からもその力は大層魅力的だろう。
 ヒノモトという国は一切の穢れを許さない。その為に革命以前から国総出で殲滅作戦を展開していた。
 それもこれも、ただ邪眼があると言うだけで、だ。

 理不尽な暴力じゃないか。


「アリマ?」

「んー?」

「まさか、ヒノモトの刺客のことを気にしているのか」

「まあね。懐かしい体験をさせていただきましたから」


 わざとらしく茶化して言うのに、アルフレートは難しそうに唸った。


「しかし、アリマ達が邪眼一族であると周知の事実となったのは今日――――否、昨日だな。それなのにヒノモトから刺客が現れるというのはあまりにも不自然だ」

「簡単な話です。ヒノモトは、各国に間者を放っている。その間者は全て独自で暗殺出来るよう幼少時から教育されている。術も多彩かつ精巧で、その土地の人間に見た目も内面もなりきることは容易い。兵士の中に紛れ込むのも間者のよくやる手です」


 兇手(きょうしゅ)にもなり得る間者達にも、邪眼一族を発見したらば即刻排除と厳命が下されている。与えられた任を放置してでも、邪眼一族の生き残りは殺す。祖国の浄化の為だけに。
 鯨は嘲るように咽の奥で嗤(わら)う。


「邪眼一族が本来ヒノモト創生時より存在する神聖な一族だとは知りもせずに、ヒノモトの人間は己らの勝手に定めた概念を真理として今まで邪眼一族を排他してきた」

「神聖な一族……贈眼って言葉と関係があるの?」


 昔は贈眼と言われていた邪眼一族。
 いつから邪眼一族と言われるようになったのかは定かではないが、嘗(かつ)て――――遠い過去にはそういった認識をされていたのだろうか。
 鯨を肩越しに振り返ると、鯨は長々と吐息を漏らした。


「先祖が認識を変えた世を憂い、事実を隠してしまったからな。もうヒノモトでは俺と、花霞姉妹くらいだろう」

「花霞姉妹――――今のヒノモトの王も知っているのか? ならばその上で旧政府の邪眼一族掃討を引き継いだというのか?」

「ファザーン、ルナールに於ける魔女への扱いと同じことです」


 要は、花霞姉妹は自分達に従わないから邪眼一族を滅ぼす、と。
 アルフレートはそこで苦々しく顔を歪めた。まるで苦虫を噛み潰したみたいだ。

 有間は適当な相槌を打って、真っ黒な手袋に覆い隠された両手を見下ろした。
 邪眼一族が元は神聖なもの――――そう言われても、然したる感慨も浮かばない。
 曖昧な言葉だったからだ。どうして創生時からいるのか、どうして贈眼と呼ばれるのか核心に触れたものは無いのだ。

 鯨も、気になる言い方をしつつ、それ以上のことは語らない。彼の重要な部分を濁した言葉は、せめて知って欲しいことだけを話しただけの印象もあった。
 有間は両手から視線を離し前へと戻した。

 深まった闇を照らすのは一定間隔で兵士に持たせた松明(たいまつ)の光だけだ。
 ゆらゆらと不安定に揺らめいては辺りに小さな花弁のような火の粉を振りまくそれを遠目に眺めながら、有間は佐目毛の鬣(たてがみ)を指で梳いた。



‡‡‡




 兄は、一途な方でした。
 邪眼一族すらも知らぬ《神話》に触れ、その上で彼女を対等な存在とし、愛し抜かれました。

 あの姉妹に従って革命に参加したのも真っ赤に熟れた彼女への深い愛情と、その裏にぴったりと張り付いた泥土のような憎悪故のことです。
 兄は穏やかで冷徹な方です。冷徹と言うと、冷酷であると繋がれがちですが、それは違います。兄はとても優しい方です。いつも冷静で二手三手先を読む程に賢い方です。

 そんな、自慢の兄に愛された義姉が、時に私は妬ましく思いました。
 婚約を約束された時は兄もまだ元服前。私も神の手を離れられぬ頃の年でありました。
 ですが、義姉もとても良い方です。女性として、心から尊敬出来る、非の打ち所の無いお方でした。色んなことを私に教えていただきました。

 病気で兄と祝言をあげること無く死別された時は、私も、家の者も皆涙したものです。それ程に、彼女は生まれなど関係無く愛されておりました。

 それから元服を迎え季節が三巡した頃、兄は唐突に兵を挙げられました。

 『桜の黎明』です。
 兄は、花霞姉妹に呼応して、病弱で、下半身が動かなくなってしまった父に代わり、革命に参加なされたのです。誰よりも早かったと聞いております。

 『桜の黎明』で、兄は大きな戦功を収め、若くして将軍の地位に就かれました。
 しかしその後花霞姉妹は、旧王家の所行を引き継いだのです。
 邪眼一族の殲滅――――それは、兄をさぞ苦しめたことでしょう。
 五大勇将の一人と謳われた兄が掃討の役目を背負ったことは、私達の耳にも届きました。
 愛した女性の一族を、兄はきっと守り抜きたかった筈です。

 ですから――――ですから、兄が邪眼一族の娘に殺されたと聞かされても、私達は憎悪を抱きませんでした。

 むしろ、兄は命を懸けてその邪眼一族を逃したのです。義姉への義理を果たされたのです。
 忠誠を誓った主よりも、愛した女性を優先することは、ヒノモトの侍としては恥ずべき行為です。ですが、私達は義姉の愛した一族を守り、愛を貫いた兄を誇りに思います。
 人間が間違っているのです。
 邪眼一族は穢れではありません。
 私達人間などよりも尊い存在なのです。

 だって――――彼らは《      》なのですから。

 兄を殺したことで、その邪眼一族は狙われることとなりました。
 彼女はカトライアで保護されているとのことです。私も、会いました。長い時間をかけてようやっと見つけた彼女は、その存在に相応しい色の髪をされておりました。その髪に触れられたことが、至上の幸せと思いました。

 次は、私が兄に代わって彼女を守らなければなりません。
 兄ならば、生きていれば生き残りを何としても守ろうとするでしょう。
 それに私も、義姉には謝っても償い切れぬ罪、感謝してもしきれぬ恩がございます。

 何としても、私が守るのです。


「……ベルント殿。カトライアに到着した後、私は何をすれば?」

「各々の判断に任せる。それに、ヒノモトの五大勇将の妹ともなれば、上からの厳命とは言えど私のような者の指示に従うのは嫌だろう」

「そんなことは……無いとは言い切れませんが。ですが私ももう、軍属にあって我が儘を言うような年ではありません」

「子供のような顔をされても、説得力は無いな。だが、貴殿の器量を見込んでのものだ。よろしく頼んだぞ」

「畏まりました」


 ああ、申し訳ありません、兄上。
 私は嘘をついています。

 清廉潔白の身で、あなたのご遺志を継げないことを、どうかお許し下さい――――……。


第七章・完


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 第七章終了しました。
 後半の子は続編でSnow Brideも書くつもりなので、その伏線です。

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