引き続き警戒しながら、有間はアルフレートと二人で歩いていた。
 さくさくと枯れ葉や草を踏み締め、清らかで控えめな光を放つ星々を見上げる。足を取られることは無いが、アルフレートが度々注意してくる。

 暫くは要らぬ緊張を解す為か、アルフレートが他愛ない世間話を持ち出し、有間がそれに淡泊に言葉を返していたが、不意に声を潜めて、


「イサ殿のことは、もう父親とは呼ばないんだな」

「……」


 有間は足を止めた。
 数歩先で立ち止まった彼を見据え、無言できびすを返す。

 鯨が実父狭間の親友であり、狭間のフリをしていた事実に、戸惑わなかった訳ではない。ままに、父と呼んでしまいそうになるのを堪えた。
 有間にとっての父は鯨だ。
 だが、このまま彼を父と呼んで良いのか分からなかった。

 彼を父としてしまったら、実父と実母を否定してしまうのではないだろうかと、心の何処かで思ってしまうのだ。
 狭間と、イベリス。
 その間に生まれたのが有間。
 鯨は、その二人を連れて旅をしていた魔女と邪眼の混血。

 別に、自分を生んだ本当の両親に義理を感じているのではない。生みの親とは言え、姿を見た覚えも、声を聞いた覚えも無いのだから、ほぼ他人の感覚に近い。赤子の頃の記憶が残っていれば少しは変わったかもしれないが、胎内記憶のように、物心も付いていない頃の記憶など残っていない。いや、あるのだろうが、脳はそれを不要とし、引きずり出せない遠いところに放り捨てている。


「アルフレートの母親ってどんな人?」


 振り返ってすぐに話題を変えたのは一種の拒絶だ。
 未だに決着が付いていないことに触れて欲しくなくて、遠回しに拒んだ。

 アルフレートはそれを汲んでくれた。
 が、その話題は彼にとっては言いにくいものだったようで、ほんの一瞬顔が歪んだ。
 思えば、彼らはそれぞれ母親が違っていた。ならば家の思惑も相俟(あいま)って、母親同士の嫌な確執もあっただろう。兄弟が仲睦まじくしていたから、すっかり失念していた。
 今度はこっちが間違えたかと、また話題を変えようとすると、


「少し長くなるが……それでも良いか?」


 確かめるように、慎重な面持ちで有間に訊ねてきた。不安そうな隻眼は、有間が頷くと安堵に揺れた。
 あまり良い話ではないようだ。だが、別段嫌だとは思わなかった。むしろ、そんな話を聞かせてもらえる関係は僅かだが心地よく思える。

 アルフレートはつかの間目を伏せ一呼吸置くと、瞼を上げて口を開いた。


「オレの母親は……気の強い人だ。名前はアンゲリカといって、亡くなった前王の妾妃だった」

「妾妃……は、こっちでいう正室と側室、どっち?」

「側室にあたる。そちらで言う正室は、正妃だ」


 アンゲリカは、正妃バルバラと家柄にさほど差の無い女性で、自らの身分に不満があったらしい。バルバラよりも何故自分が下なのか、気位の高い女性の矜持は許せなかったのだろう。


「オレの母親は、そのこともあって、正妃の子であるマティアスをあまりよく思っていなかった。アンゲリカの子供は、オレと、弟のディルクの他にもう一人いた」


 エーベルという、兄だ。

 ディルクとは、恐らく第五王子のことだろう――――いや、今新しい王子が明らかになったから、第六王子になるのか?
 そんなどうでも良いことを考えそうになって、有間はすぐに振り払った。


「エーベルはマティアスよりも一つ年上で、王にとっては嫡子だった。だから母は、マティアスよりもエーベルの方が次の王として相応しいと言い張り……二人の跡目争いは、中々決着しなかった」


 そして争いの中心にいたエーベルが、解決する前に亡くなったのだった。
 そうなれば、正妃の胎から生まれたマティアスが王位継承権一位の座に収まる。無論、国民の誰もが次期王だと認めてもいる。

 だがやはり納得が出来ないのはアンゲリカとその一族。


「何処の国でも同じなんだねぇ、そういうの」

「……もしオレが王座に執着すれば、その争いはもっと根深いものになっていたかもしれないな」

「アルフレートを王にして、自分達の地位をもっと上にしたいってか。……いや、その気になれば国も自在に動かせるよね」


 そうなれば、アルフレートは傀儡の王だ。
 そっちの姿も、自立した王での姿も想像出来ないけれども。
 敢えて茶化して言うと、アルフレートは苦笑して頷いた。


「母親は今でもそう望んでいるが、オレにはその素質も資格もない」

「どちらかというと、あんたはヒノモトで言う大将軍って奴かね」

「ああ、ヒノモトにおける軍の最高司令官にあたる地位か。確かに、オレはそちらの方が肌に合っている」


 彼は天を仰いだ。


「オレは幼い頃、マティアスに忠誠を誓った。何があっても、彼を側で支えると……周囲が何を言おうと、この想いだけは変わらない」


 アルフレートの志は、母も、その一族すらも裏切るものだ。
 けれどもそれすら構わない程の強い決意があるのだろう。

 が、それを有間に安易に話して良いのだろうか。
 有間が入れない領域の、政治の機密を聞いたような心地で落ち着かない。

 有間がじっとアルフレートを見つめていると、彼は目を伏せ、恥じるように苦笑した。


「すまない……。やはり、つまらない話になってしまったな」

「……っていうか、うちは単純に母親の話を訊いたつもりだったんだけど」


 いきなりお家の確執に移ったからどうしようかと。
 そう言うと、彼もはっとした風情で「そう言えば」と、神妙に謝罪してきた。


「すまなかった、本当に」

「いや、謝る必要は無いよ。ただ、今になって少し驚いてる」

「驚く?」

「そう言うの、うちみたいなのに話しちゃ駄目じゃね? ティアナはカトライアの人間だし君達の恩人だから構わないだろうけれど、一応余所モンだよ、うち。簡単にカトライア見捨てるような」


 己を指差して言う。

 アルフレートは緩く瞬きして、首を傾けた。


「オレは、有間だから話したんだ。お前には不快を抱かせるとは思ったが、それでも知って欲しかった」

「……あ、さいですか」


 不思議そうに言うな。
 有間は強ばった声で返し、再び身体を反転させた。
 おかしい。おかしすぎる。
 どうもおかしい胸を押さえ、一つ深呼吸する。そうすれば落ち着くかもしれないと思った。

――――されども、いつまで経ってもおかしい胸はおかしいままだった。



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