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闇の中に身を潜ませるのは得意だ。
ずっとずっと隠れながら逃げ回っていたから。
有間は暗い森の中を歩きながら口笛を吹いていた。気楽な様だが、その目は鋭利に煌めいて間隙が無い。不用心に襲いかかろうものなら即座に袖の中に握り締めた馬上筒で撃ち抜ける。
逃げ回って鯨が敵を始末するのをおめおめと待っていた昔とは違う。
今、自分は人を殺せるだけの武器と技術を持っている。
殺すことは怖くない。昔は死体を見るのが普通だったのだ。狭間と偽った鯨が血塗れで帰ってきても、それが怪我でない限りは特に気にもならなかった。
それにただ殺すだけなら、《まし》だ。
無惨な殺し方で人としての形を残すことすら許されなかった仲間達を思えば、自分の殺し方はまだ《まし》なのだ。
だから胸を痛めることは無い。己の心はそれ程弱くはない。よしや、生温い環境に長く留まっていたとしても、だ。
人の作り出す地獄はもう味わっている。何度も何度も目にしている。
今更戦火に臆することも無い。
けれど、今思えば奇異なことである。
ここが戦火に見舞われた時、自分はカトライアを去れる。去って無関係になると言っていた。
それが今、成り行きとは言えカトライア・ファザーン連合軍に混じってルナール侵攻軍と対峙しようとしているのだ。カトライアを見捨てるつもりだった己がカトライアを守る軍に身を置くなんておかしな話だ。
自分の行動が矛盾しているのが笑えて、咽の奥でひきつったような笑声を上げた。
しかし、その笑声はすぐに止む。
有間は唐突に足を止めてくるりと身体を反転させた。
酷薄に笑むと同時に銃口を正面に向けて発砲する。一瞬の後、前方で小さな爆発。
もうもうと立ち上る煙から飛び出した影二つを捉えた直後に後ろへ跳び退って再び背後へ跳躍する。
着地した彼女は後ろへ蹴り上げる。脛に確かな感触。
自身から距離を取ったのを確認し、有間は目を半眼にした。
「……あの人はこれを炙り出したかった訳だ」
思い悩むことがあるなら一人で森を歩いて頭を冷やしてこいなどと的外れなことを言っていたのもこの為だったのだ。
餌にされた有間はへっと荒んだ笑みを浮かべ近くの木を撃った。
そこに這っていた紫に赤い斑模様が不気味な蛇は頭を潰され地面に落ちる。じたじたとのたうちながら、黒い霧を放ち消失してしまう。
呪詛を動物に形作ったものだ。相手の腕は確かなようだ。
有間は前を見据えたまま、馬上筒を回す。手遊びの余裕など無い。が、敢えて綽々(しゃくしゃく)としていると示して相手に動きを促しているのだ。
されど、こちらが邪眼一族であることから、必要以上に警戒をしているようだ。
揺さぶりが足りないのかとつかの間考え込み、にやりと意地の悪い笑みを浮かべた。
そうして、人差し指を立て一定のリズムで揺らす。
日の明かりよ 照らしておくれ
私は もう見えないが
新たな萌芽 希望の芽生え
子供達に 見せておくれ――――
「――――っと!」
そこで歌を中断して有間は後転する。
腰を低く沈めれば頭上すれすれを通過する物がある。一瞬月光を反射したそれは、恐らくは苦無だ。
よし、乗ってきた。
有間は更に歌を紡いだ。
万年大樹が 染まる
桃色 青色 緑色
赤く泣いた あの大河も
今は 笑っているだろう
さあ 子供達よ
後は 踊れ 踊れ
思うがままに
私は お前達の 礎
桜の花 咲かせて
喜びを 永久に 唄おう
これは、『桜の黎明』直後に反乱軍に在籍していた兵士達の間で歌われるようになった歌だ。
革命を成し遂げた達成感と誇り、解放への喜びの具現でもある尊い歌を、邪眼一族の有間に歌われれば、それはもうはらわたは煮えくり返るどころではなかろう。
現に、先程の過剰な警戒心は何処へやら、怒濤のように二つの影が有間に襲いかかる。
有間は影の動きを的確に捉えて馬上筒を発砲する。
一つを捉えた。肩を撃ち抜いた。さほど気を凝縮させていないので爆ぜはしないが、それでも貫通は免れない。苦悶の声に有間は「一人一旦終了」と早口に独白した。殺すのは後で良い。
次の影を――――と身構えたところで、背後から何かが躍り出た。
膨大な殺気に反射的に振り返る。
それがいけなかった。
「……死ねぇっ!!」
残った影が有間に斬りかかったのだ。
有間は馬上筒を盾に脇差を間一髪受け止める。
それによって隙が生じてしまった。殺気の主――――カトライアの兵士はこれを突く。
有間の首を狙わんと白銀の刃を突き出した!
「やべ――――」
刹那、横合いから新たな銀が闖入(ちんにゅう)する。
細身で刀よりは短いその剣は有間の命を狙った剣を弾き飛ばす。
それを確認した有間は不意に馬上筒が軽くなって前のめりにバランスを崩した。
踏ん張って体勢を戻すと背中に手を回され誰かに抱き寄せられる。
ああ、アルフレートだった。
双剣の片方を前へと突き出し、二つの影を警戒する。
「……なる程な。イサ殿はヒノモトの刺客を炙り出したかったのか」
「そういうことです」
背後で声が聞こえたかと思えば、二人の襲撃者の足下に不可思議な文様が浮かび上がる。橙色の光を放つそれに、忍び装束が染まる。濃紺らしかったそれは橙が混じり、唯一覗いた目とその周辺の肌も腫れているかのようになった。
彼らを観察出来たのは数秒。すぐに文様から生み出された光の無知に身体を絡め取られ、沼と化した文様の中へ引きずり込まれていった。転移型の術だ。無作為に何処か遠い所へ飛ばされてしまうだろう。
カトライア兵士に扮した者は仲間の悲鳴と様子に顔色を変えて逃げ出した。
が、アルフレートの投擲(とうてき)した剣が踏み出そうとした場所に突き刺さり、小さな悲鳴を漏らしてバランスを崩した。
右に倒れ込んだところを背後にいた鯨が素早く気絶させる。
「これは俺が訊問します。他にも刺客が放たれていないか、分かればお知らせ致します」
「……ああ、分かった。訊問が終わった後は継続して拘束し、兵士達を見張りに付けておこう」
鯨は会釈し、軽々とカトライア兵の身体を持ち上げて東――――休憩の為に駐屯している軍の方へと大股に歩いていく。
アルフレートはそれを見送りながら、有間をそっと放した。
「予定よりも少し遅れてしまった。怪我は無かったか?」
「特には相手方の一人は撃ったけどね」
馬上筒を腰帯に差して黒い両手を長い袖の下に隠す。
アルフレートは安堵し、表情を弛めた。双剣を鞘に戻し、周囲を見はるかす。
「しかし、本当に闇に紛れていたな。オレには多少の動きしか掴めなかった」
「まあ……ああ言うのには君よりも慣れてると思うよ。っていうか予定って、やっぱあんたらうちを囮にするつもりだったのか」
胸の辺りに裏拳を見舞うと。アルフレートは申し訳なさそうに目を伏せて謝罪した。
「イサ殿が、狙われやすいのはアリマだと言っていた。確実に後顧の憂いを無くす為のことだったんだ」
一理ある。
彼らに交戦の最中に狙われでもしたら非常に厄介だ。
だが、まさかと予想していたとは言え、何も言われずに囮にされたのでは不平も積もろう。
じとりとアルフレートを睨め上げて、有間は両手を腰に当てた。
「さすがに二度目は無いとは思うけど、もし似たようなことがまたあったら、そん時は口利かないから」
アルフレートは苦笑し、再び謝罪した。されど、さして堪えた様子が無く、
「少し歩かないか」
そんなことを言ってくる。
有間は、呆れて片目を眇めた。
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