「心外だな」


 問い詰めたところ、鯨は不貞不貞しく肩をすくめた。


「俺がかけたのは洗脳ではない。ただ、俺達に対する肯定的な気持ちをほんの少しでも抱いた場合、一気に増幅させただけだ」

「変わらないだろそれ……!」


 有間は頭を抱えた。がしがしと掻き毟(むし)れば、クラウスが手を掴んで止めさせた。

 違う意味で湧いた兵士達は、すでにカトライアの玄関とも言える広場に向かって進軍を開始している。クラウスは忙殺の身の上であるにも関わらず、暇を作ってティアナと共に有間達の見送りに来てくれた。マティアスの姿が見えないのは、今法王と話している故だという。

 クラウスは、未だに有間がルナール侵攻軍と戦うことに納得が行っていないらしい、ずっと仏頂面だった。


「せ、洗脳かどうかはともかくとして……アリマ、アルフレート、それにイサさんも、無理はしないで下さいね」

「分かっている。必ず、抑えてみせる」

「我が身には勿体ない言葉だ」


 堅苦しく応えを返す鯨に、頭から手を離した有間は肩をすくめる。ティアナにくらい、素の態度で良いだろうに。こいつは、カトライアの住人には敬意を払うつもりなのか。……洗脳したくせに。
 城の方から兵士が馬を引いてやってくるのにクラウスが気付いて、ティアナを抱き寄せて道を開けた。

 三頭どれも立派な馬だ。ヒノモトの将軍クラスが持つような駿馬にも劣らない。有間の目から見ると、左から青毛、鹿毛、佐目毛のうち、青毛が一番の速さだろう。根拠はただの雰囲気が違うだけなのだけれども。
 有間が近付くと、佐目毛が顔を寄せてきた。すり寄せて小さく鳴き声を漏らす。頭を撫でるとうっとりと目を伏せた。


「人懐こいね、この子」


 クラウスを振り返れば、彼は渋面で腕組みする。


「人懐こい……? いや、その馬は確か気性が一番荒かった筈だ。他に馬は用意出来なかったのか」


 問われた兵士は申し訳なさそうに頭を下げ、首肯する。曰く、他の馬は調子が悪いと厩番に止められたのだそうだ。調子が悪いのであれば仕方がない。
 佐目毛の顔を優しく撫でながら、「じゃあ、うちこの子に乗るよ」と平然と申し出た。


「しかし、危険だ。お前は馬に乗ったことがあるのか?」

「うん。ってか、邪眼一族が飼ってた馬ってその辺のじゃじゃ馬よりはもっと扱いにくいし気性荒すぎるし、手に負えなかったよね」

「まあ、馬でありながら肉も食す種だったしな。邪眼一族でなければまず扱えない」


 邪眼一族にだけは、野生であっても敵意を向けることは無い。むしろ懐かれる。
 闇馬(あんば)と名付けられたその種は高山地帯に住むとても馬とは思えない希少な馬の一種だった。見た目は普通の馬だのに、草だけじゃなく肉も魚も食べられる雑食だし、山羊のように崖も平然と上ったりするし、剛力過ぎてデカい岩すら粉砕出来る。……ただ、臆病故に徒人(ただびと)に襲いかかって殺してしまうのは、普通の馬と似ている。


「そんな馬がいるのか、ヒノモトには」

「もう、絶滅しちゃっているけどね。邪眼一族と一緒に駆逐されちゃったから。個体数はとても少なかったし、すぐに全滅したよ。――――っと」


 話しながら、有間は佐目毛に乗る。しかしすぐに降りて兵士に鞍を取れないか訊ねてみた。
 すると、兵士は仰天した。


「鞍は不要なのですか?」

「無い方が、乗りやすいです。駄目なら良いんですけど……」


 兵士は感嘆に声を漏らし、快く鞍を外してくれた。
 闇馬は皆裸馬だ。それで乗って山を下りたり上ったりし、山から山へ移動しては討伐軍から逃げていた。
 有間が物心つく頃には、もう両手で数えられる程度の闇馬しか残っていなかったので、乗って移動するなんてことは無かった。ほぼ荷物を載せていた。乗れるのは、いつも新しい住処に落ち着いてからだった。……有間が乗りこなす前に、絶滅してしまったが。


「どうぞ」

「どうも。……よっと」


 ああ、やっぱり裸馬の方が乗りやすい。
 懐かしい感覚に有間はほっと息をつく。だが、闇馬に比べるとだいぶ低いようだ。

 アルフレートが近付いて、「大丈夫か」と問うてくる。


「大丈夫だよ。久し振りに乗るけど。まだ身体は感覚を覚えてる感じ」


 鬣(たてがみ)を掴んで具合を確かめてうん、と小さく頷いた。

 佐目毛も暴れ出す様子を見せないことから、真実有間には懐いているのだろう。
 アルフレートはその様子に安心し、兵士に勧められるままに青毛に乗り、鯨を呼んだ。

 鯨は、鞍があっても構わないらしい。ルナールに身を寄せていた間に乗る機会があったのかもしれない。


「では、行ってくる」

「ええ。気を付けて」

「ああ。マティアスのことをよろしく頼む」


 ティアナは大きく頷いた。


「殿下、アリマのこと、くれぐれもよろしくお願いします」

「分かっている。アリマのことは必ずオレが守る」


 また守る……とか。
 どうしてそうも簡単に言えるのかねぇ。
 有間は痒い身体をもぞもぞとくねらせて、いち早く佐目毛を進ませ始めた。

 振り返らずにひらりと片手を振れば、ティアナが大きな声で声援をくれる――――……。



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