4
「……どうした、有間」
「いや……アルフレートって男にモテるよねーって、改めて思ったって言うか」
有間は耳を塞ぎながら、不思議そうな鯨に答えた。
五月蠅いばかりの歓声と、彼女らを取り巻く異様な熱気。
ヒノモトの整然とした調律を保たれた軍とはまた違う様子のファザーン・カトライア連合軍を遠巻きに眺めながら、有間は唇を歪める。
まあ、士気が低いよりはましだが……暑苦しいのは、ちょっと。
「……で、本当にやんの、《あれ》」
「ああ。邪眼一族は汚れた一族と外国でも評されている。謀反の疑いを持たれては、アルフレート殿下も俺達もやりづらい」
……本当に良いのだろうか?
鯨と合流した時、彼はある提案を有間にした。提案と言いつつ、彼女に拒否権は全く無かったが。
それは古きより邪眼一族に伝わる尊き儀式でもあり、軽々しくして良いものではない。
こんな間に合わせでやって良いようなことでは――――。
「それに、その方が、お前も今後ティアナ殿の側に居やすかろう」
「……まあ、ね」
「安心しろ。これはあくまで付け焼き刃だ。兵士達に、俺達が決してアルフレート殿下を裏切らないと思わせれば良い。それ以外に意味は持たん。元々使われる見込みの無かった廃れた儀式をしたからと言って、どうということは無い」
「……」
……邪眼一族。
やっぱり、一般人に知られて良いことは無い。
有間と鯨が邪眼一族であると明かすことも、鯨は拒絶を許さずに告げた。
それに納得していない有間が今この時兵士達にバラしてしまって良いのかと問えば、彼は今更何をとでも言いたげに眉を顰(ひそ)めた。
「お前は邪眼一族ということに引け目を感じるのか」
「特には感じてないけど、ただ厄介なレッテルだよな、とは思ってる」
「それは致し方のないことだ。邪眼一族として生まれたことを悲観していないのなら、堂々としていろ。俺と違って、お前には味方が大勢いる。蔑まれようが、さしたる傷にはなるまい」
有間の背中をぱんと叩き、兵士達の前に立ったアルフレートを高らかに呼んだ。
彼が驚いてこちらを向いた瞬間、有間はマフラーを掴まれて無理矢理に歩かされた。そんなことをしなくても逃げやしないのに。言われた通りの儀式もするのに。
有間はマフラーを奪い返して、彼の隣を歩いた。
「イサ殿、それにアリマも……」
「出兵の前に」
鯨がアルフレートの前に跪(ひざまず)いた。それに倣(なら)って、有間も隣に跪く。
彼が己の髪に手を伸ばしたのを見、有間も懐からナイフを取り出して自らも己の髪を一房掴み――――切った。
二人がほぼ同時に髪を切ったのにアルフレートはぎょっと目を剥いた。
「何を……!」
「我らが母、闇の女神に請う。崇拝すべきは尊き母の御霊なれど、今母に許しを請う。我らが仰ぐ主を変え忠を誓う。闇の者たるを許した給え。母より賜りし陰気宿る眼、彼に捧げるを赦し給え。我らが闇眼(あんがん)を捧げる将に問う。我らが忠の行く先を。答えや如何に、如何に」
「須(すべか)く、返答を望む」
邪眼一族の、従属の儀式である。
邪眼一族は滅多に誰かに忠誠を誓わない。それ故に、この儀式は大変尊いものである。けれど、有間とて鯨に提案された時定められた文句すら思い出せなかったくらいに、使われることは無かった。
「い、イサ殿、これは……」
「我らがあなたに従うことを良しとするのなら、髪をお受け取り下さい。……くれぐれも、殿下自身の感情のみでお決めにならぬよう」
兵士達のことを慮(おもんばか)っての行動を促し、鯨は困惑するアルフレートに髪を差し出す。
唐突なことで混乱する気持ちはよく分かる。自分だって忘れていた儀式をいきなりしろと言われたのだ。特に嫌ではなかったのでそのまま拒みはしなかったが、何もここまで仰々しくしなくても良かったじゃないかと思わないでもない。
アルフレートは、有間と鯨を交互に見、口を開きかけた。
けれど、すかさず鯨が早口に何かを告げた。上手く聞き取れなかったが、アルフレートは目を丸くした。有間を見て戸惑う。……一体彼に何を言った。
彼は暫し迷って、やおら頷いた。
「……分かった。その忠義、謹んでお受けしよう」
躊躇うように手をつかの間さまよわせた後、鯨の髪を取り上げる。ややあって、有間の髪も。
本当に良いのか、それで。
付け焼き刃だと鯨は言ったが、使われることが無いとはいえども一応は由緒ある――――といっても有間はその由緒すら全く知らないが――――古い儀式だ。
鯨に先程何を言われたのか有間には聞こえなかったけれど、それでもかように容易く儀式を受けれて良いものか……。
鯨は立ち上がると、恭(うやうや)しく一礼した。
彼がアルフレートの後ろへと移動したのに、有間も慌てて移動する。
そして、鯨に小声で問いかけた。
「さっきアルフレートに何言ったのさ」
「この儀式を経過しておかなければ、欲しいものは手に入らない。そんなところだ」
「はあ?」
全く、意味が分からない。
突っ込んで聞こうとすると、「少しは空気を呼んで口を閉じられないのか」とアルフレートを示しながら叱りつけられた。
……けれど、釈然としない。どうも気になる。
有間は鯨をきっと睨みつけて舌打ちした。
後でアルフレートに訊いてやろう。そうしよう。
.
- 79 -
[*前] | [次#]
ページ:79/140
しおり
←