朝。小鳥のさえずりだけは爽やかだ。
 だが、いつも通りの朝ではない。肌を刺すような緊張感は、昔感じたものよりは幾ばくか弱いものの、よくよく似ていた。

 ティアナと並んで城内の廊下を歩いていた有間は、脳裏に絶え間なく流れる《過去》に歪みそうになる顔を必死に抑え込みながら、飄々とした態度を維持していた。
 昨日と比べれば、暗鬱とし乱れた胸中は落ち着いている。今なら、いつも通りに振る舞う余裕がある。
 ティアナを安堵させる為、努めて自然に、気楽な態度を取っているのだけれど、クラウスには効果が無かったらしい。露骨に顔をしかめられてしまった。


「ええ、と……あ、ここね」


 とある扉の前で立ち止まると、ティアナは徐(おもむろ)にノックした。


「マティアス、アルフレート。入ってもいい?」

『ああ、開いているぞ、ティアナ』


 応えはアルフレートのものだ。
 ティアナは有間に頷きかけて扉を開けた。

 中では、二人が机に広げられた地図を睨みながら意見を交わしていた。

 ティアナと一緒に中に入ると、同時にこちらを見た。


「ちょうど良かった。今二人で、どうやってルナール軍を、迎え撃つか話し合っていたんだ」

「さっそく、アリマとイサ殿の力を借りることになるが、協力してもらえるか?」


 アルフレートは、有間を同行させると決めたようだ。
 そのことに少々の安堵を得つつ、有間はこくりと頷いた。途端に眦を下げるティアナの頭をぽんと叩くように撫でた。

 マティアス曰く。
 マティアスはローゼレット城に留まって全軍を指揮する。ティアナは彼の側。その方がずっと安全だろう。
 鯨と有間は当初の予定通りにアルフレートに従いルナール軍を迎え撃つ。あくまで、全軍の援護という役割だと念を押された。必要とあれば前線にも出すことになるが、それもアルフレートと共に、だ。


「援護ねぇ……そういうの、あの人の方が得意なんだけど」

「ティアナの、猛獣使いの力のような術が扱えるとイサ殿から聞いたが、それは戦いながらでも使えるか?」

「少なくとも、交戦中でも冷静さは欠かないね。正確に術式を組む自信はある」


 多分、その辺の兵士よりも精神は丈夫だと思うよ。
 ひらり、片手を振って地図を覗き込もうとするとすかさずマティアスに頭を鷲掴みにされて引き離された。


「ぬあぁ」

「……いつもの調子だな」


 ほっとした風情の彼に、有間は肩をすくめて見せた。


「それで、アルフレートの言う術はあるのか、無いのか」

「あー……あの人から教えてもらった術の中にあったね。術式も比較的簡単だったし、すぐに発動出来ると思うよ。こんな術使ってどうすんのさ」

「上手くいけば、一瞬でことが終わるかもしれない。しかもお互いに無傷で、だ」

「ええー……」


 どういう風に使うんだ、この術。
 使えなかったらティアナを連れて行くつもりだったのかと問いかけると、二人は即座に否定する。ティアナを危険に曝す気が無いようで安心した。

 本当に通用するのかと疑心暗鬼の有間に、


「俺も驚いたが試す価値はある。出来るか?」

「役に立たないことは無いって確実に言い切れるね」


 はっきりと告げると、マティアスは強く頷いた。アルフレートを見やり、「任せる」と声をかけた。
 アルフレートは力強く頷いた。そして有間を見据え、表情を引き締める。


「アリマ。お前はオレが必ず守る。一緒に来てくれないか」

「……あー……はあ」


 ……痒い。
 有間は後頭部を掻きながら、逃げるようにティアナの背後に隠れた。
 そんな言葉、身内以外に言ってくれる人物なんていただろうか。
 慣れていないから、余計に気恥ずかしい。


「まあ、その為に残ったし……」


 まごまごと口ごもりながら言うと、アルフレートは口角を弛めた。
 マティアスが何処か楽しげな笑みを浮かべているのに居辛さを感じ、舌打ちして背中を向けた。


「よし、決まりだな。すぐに出兵の準備をしろ」

「わかった。先に行っているぞ、アリマ。お前はイサ殿に報せてくれ」

「あいよ。すぐに行けると思うから、さっさとしといて」


 有間は微笑んだティアナの背後に隠れたまま、彼女の手を引いて部屋を出た。

 暫くずんずんと歩いていると、


「アリマったら、顔真っ赤よ」

「……五月蠅いな。ああ言う言葉、慣れていないだけだよ」


 お前を守るとか、そういうの。
 赤の他人から言われるのは滅多に無かった。
 だから、慣れていないんだ。
 それだけだ、と言い訳めいた科白に、ティアナはくすくすと笑った。

――――直後である。


「……うっ!?」


 ティアナが胸を押さえて足を止めた。
 有間がぎょっと振り返って傾いだ身体を支えると、ティアナは胸を押さえながら有間の袖を掴む。
 かと思えば、あ……と掠れた声を漏らして上体を起こすのだ。

 呪いだ。
 有間は茫然としたティアナの顔を覗き込んだ。

 すると、ティアナははっとして、取り繕うように笑った。


「呪いがほんの少し痛んだみたい。でも、一瞬だけだから、大丈夫」

「……そう。もし痛みが酷くなったら、マティアスに言って休みなよ。身体が弱れば、その分呪いは蝕む速度を増してしまうから。こればかりは、うちに言葉に従って。分かったね」


 ティアナは神妙に頷いた。

 それを見て有間はほっと息をつく。
 この時、ティアナが自分に隠さずに呪いのことを話してくれたことが、ほんの少しだけ嬉しかった。



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