アルフレートというのは、狼の名前のようだ。
 兎――――エリクよりはまだ動けるらしい彼の前に屈み込んで細かく千切ったソーセージを口に運んでやった。

 アルフレートはよろよろとそれを口に含むと、さして咀嚼もせずに飲み下し――――咳き込んだ。食べ物の欠片が飛んできそうだったので、有間はそっと身体を引いた。
 落ち着いたのを見計らって声をかける。


「大丈夫?」

「ああ……久し振りの食事で少し勝手がわからなかった」

「あっそう」


 ……どんだけ食べてないんだよ。
 恥ずかしそうに顔を下げるアルフレートに、有間は淡泊に返した。


「……スープにする?」

「頼む」


 吐息を漏らして、スープを掬い上げる。口に運べば、今度は注意深く飲み込んだ。
 すっと目を細めて幸せそうだ。まあ、ティアナの料理はとても美味しいし、これで満足しないならぶっ叩いているところだけども。


「ありがとう。こんなにうまい物を食べたのは本当に久しぶりだ」

「それはティアナに言いなよ。まあ、文句が言える立場じゃないし、助けてもらったんだから礼を言うのは当然だけどさ」


 けんもほろろに言えば、彼はうっと言葉を詰まらせる。
 有間はさっさと終わらせようと黙り込む彼にスプーンを近付けた。

 しかし、アルフレートは有間を見据え、頭を下げる。


「すまない。迷惑をかけてしまうのは百も承知だが、彼女以外にオレ達が縋れる人物がいないんだ」


 有間はぐにゃりとかんばせを歪めた。


「……うちはティアナの決定には逆らえないから。ティアナがあんたらに協力するってんなら、うちに拒否権は無いよ。ただ、世話になる身分としての礼儀は最低限払えってこと。元々人間だって言うのなら、そこんとこ分かってるでしょ」


 アルフレート達は、誰かから呪いを受けて動物になってしまったのだという。そのまま商人に売られていたところをティアナに買われたと。
 ティアナに人間に戻る為にと協力を仰いだ彼らには、強い恐怖心と猜疑(さいぎ)しか無いが、それでもティアナがどうしてもと言うのなら、有間には逆らえない。自分はここでは居候で、彼女の護衛なのだから。

 ライオンに食事を運んでやるティアナを振り返り、有間は大仰に息を吐いた。



‡‡‡




 夜、有間は中庭で夜空を仰いでいた。
 星を眺め、長々と溜息をつく。

 占いなんて、基本的に漠然としたものだ。だから、当たらないこともある。
 正直、当たらないで欲しかった。
 あの家鴨――――ルシアとエリクの騒ぐ声を聞きながら、暗鬱とした気分で後頭部を掻く。

 自身が使っていた部屋は彼らに譲った。勿論、ティアナや彼らは渋ったが、別に部屋にいることはほとんど無いし、着替える時だけ使わせてもらえれば構わない。寝るのは居間のソファで十分だ。

 元々、有間はあまり長く寝るような身体ではなかった。

 未だに覚えている。
 戦乱の中にあった故郷。息つく暇すら無かった緊迫した空気。
 今日はあいつが死んだ、明日は誰が死ぬか――――そればかりだった。花を愛でたり、友人と談笑したり、普通に寝て疲れを癒したり、そんなことは有り得ない世界であった。
 今のようにのんびりと過ごすことなんて、夢のまた夢……。

 もう、あの世界は無い。形成する一族の人間は、有間が故郷を去った後に一人残らず逝ってしまったという話だから。
 『桜の黎明』から早七年――――有間は、独りぼっちだ。
 もう、邪眼の一族は自分しかいない。

 邪眼一族は何もしていない。ただ生きていただけだ。ただ……《目が多かった》だけだ。
 それなのにたったそれだけのことでヒノモトの人間達は自分達を化け物だの、かつてヒノモトを闇に包み込み悪行を重ねた陰王の遣いだのと勝手なことを言って排除した。

 何もしていない、のに。
 存在そのものを悪だと言われた。

 けどもカトライアでは、そんなことは全く無かった。
 邪眼一族であることを隠していたのもあるが、この国の人々は温かくて、優しくて。
 自分に安らげる場所が現れるなど夢にも思わなかった幻想だ。
 それ故にいつか、壊されてしまうのではないか、読んで字の如く夢物語で終わってしまうのではないか――――そんな不安がある。

 まだ、まだいつかヒノモトの人間に襲われるのではないかとの危機感が熟睡を妨げる。ぐっすり寝た記憶など一切無い。

 ティアナには、このことは言っていないし言うつもりもなかった。優しい彼女に無駄な心配をかけるだけだと、隠し続けているのだ。

 寝ている時、人が近くに寄るとすぐに目が覚めてしまう。人がいれば寝れない。
 動物が四匹も増えて、しかもそれが人間で。
 これから先自分は寝れるだろうか。

 さすがに寝れないのはキツい。少しくらいは寝ておきたいものだ。


「……そろそろ、寝ようかな」


 ぽつりと呟いて、有間はくるりときびすを返す。

 居間に入ってソファに寝転び、目を閉じた。
 しかし、睡魔はいつまで経ってもやっては来ない。

 ようやっと眠れたのは、それから二時間ばかり経過した頃であった。



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