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取り敢えず、クラウスに有間を城内の客室に運んでもらった。鯨から頭痛薬を渡されているので、彼女が眠る前に飲ませておいた。
これまでの疲労もあるのだろう、すぐに寝入った彼女を念の為に三十分程見守り、ティアナは部屋を出る。シロフクロウは、万が一を考えて有間の側に残ってもらった。人の言葉を解するのですんなりと従ってくれる。
すると、いつの間にかクラウスだけでなくマティアスとアルフレートが廊下に待機していて、少しだけ驚いた。
「イサ殿から聞いた。有間に、彼が扱う術式を読み込ませたそうだな」
「ええ。初歩的なものだってイサさんは言っていたけど、かなりの量だったみたい。疲れもあったから今はよく眠っているわ。すぐに起きるって本人は言っていたけど」
マティアスはそこで考え込んだ。
「有間には、アルフレートやイサ殿と共に越境したルナール軍の相手をしてもらいたかったのだが……このままカトライアに残らせた方が良いか」
「……おい」
クラウスが低い声で肩を掴む。
明らかな怒気を含んだ彼の声に、マティアスは小さく謝罪した。
怒鳴らんばかりの勢いだったクラウスも、これには鼻白んだ。たじろいで手を離す。
「だが、この兵力差、イサ殿や有間の術を借りたい。邪眼一族の力は、少しでも戦局を傾かせない為に必要不可欠なんだ。勿論、二人はあくまで軍の支援役。無理はさせない。約束す――――」
『――――その「無理」は誰の基準の「無理」なんかね』
声がした。
扉の向こうだ。
ティアナが振り返った直後に扉が薄く開かれ、眠そうな有間が目をこすりながら現れる。扉を閉めて欠伸した。頭に止まったシロフクロウが飛び立ち、ティアナの肩に移動した。
「アリマ! まだ寝てなくちゃ駄目じゃない!」
「良いよ。こんな緊迫した状況下で寝てられる程図太くないよ。むしろ懐かしくて飛び回りたい気分だね。さっき木の下でもちょっと寝てたし」
何処か達観し過ぎているような彼女に、ティアナはそっと額に手を当てた。しかし、熱は無いとやんわりと剥がされた。
クラウスが有間を呼んだ。
「さっきから様子がおかしい。どうかしたのか」
有間は後頭部を掻いて、長々と溜息をついた。
「……ちょっと、この空気の所為か昔の夢を見てただけさね」
再び欠伸をして何処かへ歩き出そうとする有間は、ひらひらと片手を振った。
「あ、ちょっとアリマ」
「出立の時は教えて。それまでには混合術式をある程度は使えるようにしておくから」
明らかに、様子が違う。
飄々としたいつもの姿は何処にも無く、有間自身が周囲を警戒しているような、そんな様子であった。
その姿にティアナには――――否、ティアナだけでなく、クラウスも見覚えがあった。
さっきまではただ気分が悪いからそう見えるんだと思ったのだけれど、どうもそうではないらしい。
過去を夢に見ただけでなく、このぴりぴりした空気の充満する城内なら、嫌でも昔を思い出してしまう。
「ティアナ。お前は今日はアリマの側にいてくれ。アルフレートもだ。彼女の様子次第で、国境まで連れて行くかお前が決めろ」
「……分かった。では、ティアナ」
「ええ」
アルフレートと共に駆け出し、角を曲がった有間を追いかける。
すると、彼女は立ち止まっていて、鯨と言葉を交わしていた。
数歩手前で足を止める。
「……東雲(しののめ)将軍のことでも思い出したのか」
「それよりもっと前のこともだよ。……分かりきっていたことだけどさ、この空気は嫌になる」
シノノメショウグン?
ティアナはアルフレートと顔を見合わせ、そっと歩み寄った。
彼らは二人のことに気が付いていたらしい。
一歩手前程まで近付くと揃って首を巡らせた。
有間はきょとんと瞬きした。
「ティアナ? アルフレートも、どうかしたの」
「あ、ええと……」
「今日一日のお前の様子を見て、軍に加わってもらうかを決めたい。何せ、相手が相手だからな」
言い淀んだティアナの代わりに、アルフレートが答えた。
有間は納得し、「あっそう」と淡泊な返答をした。
「これからこの人に混合術式を教えてもらうけど、退屈して良いならご一緒にどうぞ」
「ああ」
無表情の有間に、ティアナは眦を下げた。
昔程ではない。昔はもっと刺々しかった。今はまだ柔らかい。
私がここに残ったことは、間違いではなかったのかもしれない。
心の中で、そう呟いた。
「ところで、先程のシノノメショウグン、とは何のことだろうか。ヒノモトの《将軍》のことか?」
「ええ。ファザーンの方でも、ヒノモトの五大勇将のことはご存じでしょう。七年前の『桜の黎明』にて、花霞(はながすみ)姉妹の檄にいち早く呼応した英傑達。東雲朱鷺(とき)はその一人、五大勇将最年少の雄です」
「……まあ、うちが殺したけどね」
「え?」
ティアナは有間を見やった。
有間は無表情。何処か遠い彼方を見るような――――城の庭でクラウスと話していた時に見せたあの眼差しで天井を見上げていた。
「殺したって……どうして」
問いかけると、有間はティアナに視線を向け、口角を弛ませた。けれども目だけは笑っていなくて。
「ウザかったから」
その声音は穏やかで、酷く冷め切っていた。
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