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 鯨が二人を連れて訪れたのはティアナの自宅である。
 二人は顔を見合わせ首を傾げ合う。ティアナに術をかけての作業だと聞いていたから、まさか自宅に戻ってくるとは予想だにしていなかった。むしろ、誰からも見られないようにカトライアを出てもおかしくないとすら思っていたのだ。

 二人の疑問を悟ったように、鯨は玄関の扉を開けつつ、


「この状況下でカトライアからは離れられん。それに、別にお前達の思うような大それたことはしない」

「え、そうなの?」

「そもそも、時間が無いのだ。無駄には出来まい」


 肯定するように、ティアナの肩の上のシロフクロウがホ、と鳴く。
 それが馬鹿にしているようにも聞こえて、有間はきっとシロフクロウを睨みつけた。些末なことで鳥に噛みつくなと鯨に頭を叩かれた。

 鯨はリビングに至ると中央にティアナを立たせた。
 彼女の正面に立ち、その双肩を掴むなり何事かを詠唱し始める。
 すると、彼らの周りに旋風が生じたのだ。
 有間のマフラーも、衣服も髪も激しく踊らせる程の強風は、まるでヒノモトを逃げ回る旅の中に遭遇した野分(のわき)のようだ。
 髪が目に入りかけて咄嗟に瞼を閉じる。顔を俯かせて風が止むのを待った。

 収まった頃には、自分の髪はボサボサだった。前に垂らしたマフラーの先も後ろへと回り、その所為で首に巻いたそれ自体解けかけていた。そして、不本意なことにいつの間にやらシロフクロウが有間の頭の上に停まっている。決して鋭利ではないが、鉤爪が地味に痛い。
 身なりを整えながらシロフクロウを追い払えば、それはソファの背もたれに停まった。最初からそこに停まっておけば良いものを。これも有間を馬鹿にしているとしか思えない。歯を剥いて威嚇した。

 鯨が、そんな彼女に呆れた風情で歩み寄る。


「下らぬことに気を散らすな。始めるぞ」

「へいへい……で、何すりゃ良いのさ」

「邪眼で彼女にかけられた術式を《読み込め》」


 ……読み込む?
 邪眼で術式を見るのではなく、読み込むなんて聞いたことが無い。
 有間は急かされるままに手袋を外しつつも、胡乱に見上げた。


「どういうこと?」

「邪眼の性質は、《見る》だけじゃない」


 鯨曰く、人間の目は脳に直接神経が繋がっており、第二の脳とも言われているそうだ。。
 それと同じく邪眼にも脳に直通する特殊な神経が存在しており、邪眼は見た光景そのものだけでなく光景の情報を読み取って脳に伝達するのだそうだ。
 ……初耳だった。


「そう言う神経のことも、術式読み込むことも今の今まで聞いたことが無かったんだけど」

「まだ狭間と旅をしていた頃に俺が独自で見つけたからな」

「どうやって」

「自分で自分の身体を切り開いた」

「怖っ!! そこまでするあんた怖っ!!」

「痛覚を消し流血も抑える術をかけていた故に問題は無かった。それに気になることを放置するのは嫌いなのでな」


 ただ好奇心が強いだけなんて次元じゃない。これは異常だ。
 やろうと考えて躊躇い無く実行する彼の精神に有間は恐怖した。えずくような素振りを見せて一歩後退した。よもや、自分を育ててくれていた男のとんでもない一面を今になって知ることになるとは……。

 鯨にとっては、それが普通のことらしい。不思議そうに有間を見つめていた。


「有間、さっさと始めるぞ」

「……ああ、うん」


 本当の父は、探求心を満足させる為に己の身体を割り開く彼の姿を見て、何を思ったのだろうか。
 ……滅茶苦茶、反対したんだろうなぁ。
 知りもしない人物ではあれど、想像に難くはなかった。

 鯨に指示されて両手の邪眼をティアナに向ける。彼女の術式を捉えさせ、可視化する。
 読み込むという行為は、そこからだ。

 鯨は有間の隣に移動すると視線を合わせるように屈み込んで、意識、呼吸、邪眼への操作、神経の使い方、思考の状態――――必要な要素を早口に伝えた。どれも決して抽象的ではない。具体的で分かりやすく、すぐに実行しやすかった。
 それを反芻(はんすう)し、自分なりに実行する。

 手の指先から脳天にかけて変化が訪れたのはややあってのことだった。
 邪眼が、一瞬だけ氷のように凍てついた。びくんと五指が痙攣した。
 太い神経のようなものを邪眼の真後ろから腕の中を通って肩口に感じ、それが頸動脈の側を通って脳に直接繋がっているのを、神経の振動で察した。これは、何処の脳に繋がっているのだろうか。脳も僅かに振動しているようで、なかなか捉えられなかった。

 と、頭上から氷水を被ったような感覚に襲われる。
 身を堅くすると同時に邪眼から神経を通って脳に直接大量の情報が雪崩のように押し寄せた。

 吐き気がした。
 頭痛がした。
 眩暈がした。
 感覚という感覚が失われる。

 今有間の意識を繋ぎ止めているのは、先日あれ程苦戦した筈の特殊な術式だ。
 それが知識として、まるで理解しているかのように入り込んでくる。
 それは有間が理解したのではない。意志も何もない筈の邪眼が独自で理解し、それを有間に送り込んでくるのだ。

 気持ち悪い。
 気持ち悪い。
 気持ち悪い。

 頭が破裂(パンク)する――――本当にそうなりそうだった。

 耐えられない、絶入するまさにその直前に、情報はぴたりと途絶えた。
 視界がぐらつき、後ろに傾ぐ。
 鯨が背中に手をやって支えてくれた。


「大丈夫か」

「何コレ気持ち悪い」

「単純な術式でも、その奥まで情報を得るからな。見るよりも膨大な量の情報が流れ込んでくる」


 だが、やっていて何となく分かった。
 原理は、人の過去や未来を見るのと同じだ。ただ対象が酷く混み入っていて莫大な情報量になっただけ。だからこんなにもキツいのだ。

 鯨に抱えられてソファに横たえられる。長々と嘆息した。

 ティアナが小走りに駆け寄って有間の顔を心配そうに覗き込んできた。


「大丈夫? アリマ」

「……頭痛薬が滅茶苦茶欲しい」

「後で渡す。とにかくこれで、混血の扱う術式は初歩的なものを理解出来た筈だ」

「まあ……今のテンションだと知らない方が良かったとしか思えない」


 恨めしく言うと、鯨は苦笑した。
 久し振りに見た、鯨の表情である。

 有間は、黙り込んで目を細めた。



―第六章・完―


○●○

 これで、第六章は終わりです。
 マティアス×ティアナのストーリーに沿いつつ、アルフレートのストーリーも織り混ぜて書いていきます。

 ここがはらからとは違うところ。



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