16
いつもは静まりかえった夜陰。
だが今宵ばかりは各々の家が騒がしく、慌てた風情の人々が行き交っては避難の準備を迅速に進めていた。これがカトライア全体に広がるまで、時間はさほどかからないだろう。混乱は免れない。
彼らから隠れるように、カトライアの入り口に近い広場に有間達はいた。
「手薄になっているとはいえ、侵入するのは敵国だ。気をつけろよ」
「くれぐれも無茶だけはするな」
マティアスとアルフレートが、ルシア達に真摯に言い聞かせる。
「へいへい、わかってるって」
「ルシアと違ってヘマはしないよ。必ず、役目は果たす」
「……オレもしねーよ」
彼は、まだ自分のことを話していないようだ。
そのままルナールへと赴こうとしている。
話さなければならない、それもまた、エリク達が無事に戻らなければならない理由となっていた。
もっとも、ティアナという存在に比べれば、そんな理由など小さきものでしかないのだろうが。
「ティアナ、必ず魔女を連れて帰ってくるから、待っていて。アリマも、絶対に無理はしないで」
「うん、ありがとう! 私たちも頑張るから……!」
「保証は出来なもが」
「申し訳ございません、エリク殿下」
正直に言い掛けた有間の口を後ろから鯨が塞ぐ。小声で空気を読んで返答しろとキツく叱られてしまった。何故だ。
エリクは苦笑し、頷いた。
「じゃあ、行ってくるぜ」
ルシアが敢えての軽い調子でひらりと片手を振って、きびすを返す。
歩き出した彼に従って、エリクやゲルダ達も身を翻す。大股に、しっかりと歩いていく。
それを暫く見送っていると、不意に鯨が有間を呼んだ。
「何?」
「邪眼はどれ程制御出来る?」
「邪眼を使う術が一通り出来るくらいには」
「……ならば、次の段階へも行けそうだな」
「次の段階?」
有間が怪訝に眉根を寄せると、鯨は大きく頷いた。
それからティアナに向き直り、
「ティアナ殿。貴殿にも手伝っていただきたいのだが、よろしいか」
「え、私……?」
「何、ただ無害な術をその身に受けていただければ良い。時間の無いこの状況下では付け焼き刃程度のものしか教えられん。貴殿の負担になるようなことは無い」
ティアナは困惑するように鯨を見上げた。
無害な術――――ならば、精々治癒か身体能力を向上させる類のものだろう。
だが彼が何をするつもりなのか予測出来ない以上、有間からは勧められなかった。嫌なら受けなくて良い、そう声をかけた。鯨も同意するように頷いた。
けれども――――。
「……分かりました。私に出来ることなら、何でもします」
「ティアナ」
「……感謝する」
鯨は深々と頭を下げた。
有間は呆れたように片眉を上げて少々表情の堅いティアナを見つめる。
頷いていながら、何をされるのかと不安がっているのが分かる。それでも鯨の頼みを引き受けたのは有間に気を遣ってのことなのだろう。
鯨には、二度も怖い目に遭わされているのに。
「ティアナ。無理しなくて良いんだって」
「ううん。良いの。だって――――今までのは有間を必死に守ろうとしていたからなんでしょう? だったら、信用出来ると思うの。それに、大事な友達のお父さんだもの」
「ティアナ……」
「フクロウも触らせてもらったし」
「おい今の感動利子三倍で今すぐ返せ」
嬉しそうに肩のフクロウを撫でるティアナに、有間はすかさずツッコむ。彼女が鯨に協力する理由は一番最後が大きいように思えたのは気の所為だろうか。
ティアナの両の頬を引っ張ると、彼女は抵抗する、するとシロフクロウが飛び立って鯨の肩に停まった。
「あ……シロフクロウ」
「ざまみろ」
人の感動を弄ぶからそうなるんだ。
したり顔で言うと、ティアナは不服そうに唇を曲げた。
けれどもそこでマティアス達が笑えば、恥ずかしそうに肩を縮める。
「俺たちも行くぞ」
「ああ。急ごう。……イサ殿達は、今からか?」
「そうですね。ひとまずは先にティアナ殿の手を借りる作業だけでも終わらせましょう」
鯨が有間を呼んで身を翻す。
有間はティアナの腕を引いて、それに従った。
アルフレート達を振り返って片手を振れば、彼らは笑みを浮かべて振り返してくれた。
「……ああ、言い忘れていたことだが」
「ん?」
「有間、お前には多少キツいかもしれん」
「ちょっと待て!」
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