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 自分は、どうしていたんだっけか。
 《目が覚めて》まず思ったのはそれだった。
 額を押さえて、記憶を手繰り寄せる。

 自分の行動、思考については酷く茫漠としている上、一部だけごっそりと抜け落ちているような気がするが、景色や他人の会話などは比較的はっきりと思い出せた。
 激情に駆られた自分は、ゲルダ達を殺しかけた。冷静になれば彼女らの死がこちらにとって不利であることは分かった筈だ。

 狭間――――いや、鯨が止めなければ、取り返しのつかないことをしていた。


「狭間……鯨は、《うち》の父親じゃ、ない」


 ゲルダ達を捕らえ、自宅に戻った後の鯨の話によって知った真実。
 自分は……有間は邪眼とルナール人のハーフで、本当の両親は自分が生まれてすぐに亡くなっている。
 鯨は有間の父親狭間に成り代わって、今まで有間を育てていたのだった。……何も、話さずに。
 だから、自分達は似ていないのだ。

 終わったことだからか、驚きもショックも感じなかった。ただ、ああ、そうだったのかと平坦な気分で、何の感慨も無く受け入れた。

 それよりも今は戦争のことだ。【最後の魔女】救出と並行して、侵攻したルナール軍をどうにかしなければならないのだ。
 自分はティアナの側にいなければならない。彼女がここに残ると決めた以上、彼女を護衛する義務がある。元々、ベリンダ達に頼まれていたことだし。
 何故自分がこんなところで悠長に寝ていたのかはさっぱりだが、それは後で問えば良いとティアナのベッドから降りた。部屋を出ると、すぐそこにアルフレートが立っていた。

 おっと小さく声を漏らして足を止めると、アルフレートは目を剥いて有間の顔を凝視してきた。そうして、何を見つけたのか、ほっと胸を撫で下ろす。


「起きたのか」

「うん。……何で寝たのか、そこは分からないけどね」


 肩をすくめれば、「暴走した所為だろう」と頭を撫でてくる。
 片目を眇めて彼を見上げれば、少々疲れたような顔をしていた。

 自分が寝ている間に何か動きでもしたのかと問いかけるけれど、彼は何でもないと嘯(うそぶ)いた。


「とにかく、下に行こう。マティアス達が待っている」

「分かった」


 背中に、まるで支えるように手が添えられる。
 有間は彼の態度に僅かに不可思議な部分を感じ、怪訝に眉根を寄せた。

 リビングに入ると、ティアナが有間に飛びついてきた。


「アリマ!」

「ぶふっ」


 抱きついた勢いが強く、鼻骨か彼女の肩口に当たってごりっと嫌な音がした。折れてはいないだろうが、今のはさすがに痛かった。
 アルフレートがティアナを呼んで有間から離してやると、エリクとマティアスも歩み寄ってくる。


「気分はもう良いの?」

「は? 気分? え、うち何か体調崩してたっけ」

「お前の考え無しの暴走故に、魂の方に歪みが生まれたのだ。その為、一時的に眠らせた。記憶が酷く曖昧だろう。それは後遺症だ」

「……とうさ、」


 以前通りのように呼ぼうとして、咄嗟に口を噤む。自分が彼を父と呼ぶことが、彼にとって重いしがらみになってしまうような、そんな気がしたのだ。
 しかし、鯨は一瞬だけ悲しげに黒曜の瞳を揺らす。気遣ってやったことだけれども、彼の寂しそうな顔に、しまったと思った。

 気まずさに顔を僅かに逸らすと、エリクが手を握って来た。


「あまり無理はしないで」

「……まあ、よく分からんけど」


 頷くと、彼は困ったように微笑んだ。
 ……そう言えば、彼も有間を止めに来た時にはすでにこっちのエリクだった。自分がいない間に何があったんだろう。どさくさでバレた……とは考え難いけれど。
 彼が自発的に呪いを解いたということなのだろうか。
 その辺りはとても重要な気がするのだけれど、曖昧な記憶からは何も得られない。それが酷くもどかしかった。


「エリク、君は……」

「僕が自分で選んだことだよ。ごめんね。言わないでって頼んだのに」


 手を握る彼のそれに、力が籠もる。
 それは、本当なのか嘘なのか。
 頭の片隅でふとそんな考えが浮かんだ。何を疑っているのだろう、自分は。エリクがこの状況下で、しかも自分のことに関して嘘をつく筈もあるまいに。

 自分自身に猜疑(さいぎ)を抱きつつ、エリクに問いかけようとしたその直前。


「すまないが、時間が無い」

「うぉっ」


 アルフレートが有間の身体を後ろに引いてエリクから離した。

 エリクの瞳に寸陰鋭利な光が走ったが、すぐに「そうだね」と幾らか低い声で同意した。

 マティアスが、何故か笑っている。
 鯨は少々不満げだ。というか、ほんの微かな敵意をエリクとアルフレートに向けているように思える。


「……マティアス?」

「……いや。それよりもアルフレートの言う通り時間が惜しい。身体が何ともないのなら、今すぐに動くぞ」

「それは別に構わないけど……何か色々思い出せなくて暫く苛々しそう」

「後遺症では仕方がないだろう」


 後遺症。
 力を激情に任せて使ったその代償。
 何か……何か、釈然としないんだよなぁ。
 完全には納得出来ない、まるで木の板からちょっとだけはみ出た釘の先のようなそんな出っ張りを感じた。けれど強固に打たれたそれは出っ張りを引いても抜けないような仕組みになっているようで、何だか焦れったい。
 顔を歪めると、マティアスは苦笑混じりに有間の肩を叩いた。そして表情を改める。

 すると、丁度その時にゲルダ達が玄関から家に入ってくる。……そう言えば、この二人、リビングにいなかったっけ。

 彼女は有間に一瞬ぎょっとした。
 足を止めてこちらを注意深く、探るように見つめて、安堵に深々と息を吐き出した。
 足早に有間の横を通過してティアナの前に立つ。


「……ティアナ、だったかしら。あなたに渡しておきたい物があるの」

「は、はい?」


 呪いのことが未だ頭に残っているのだろう。
 ほぼ無意識に、彼女は身を引いた。

 ゲルダは苦笑する。


「そんなふうに怖がらなくても、もう何もしないわ、あなたの呪いも、すぐには発動しないから大丈夫」


 私たちが【最後の魔女】を救出して戻ってくるまで、待っていてちょうだい。
 彼女は最優先でティアナの呪いを解除すると約し、ティアナに小さな手鏡を差し出した。美しい細工のそれには、僅かに異質な気配がする。恐らくは魔術でもかかっているのだろう。


「離れている間の通信手段よ。この鏡を手に持って呼びかければ、私が持っているもうひとつの鏡が反応する仕掛けなの」


 感心した風情で、ティアナは物珍しそうに受け取った手鏡を見下ろした。

 ……まさかとは思うが、ゲルダが作った物ではないだろうな。
 心の中で、有間は誰にともなく問いかける。


「それと、私が新しく開発した金の粉も渡しておくわ。ようやく大さじ一杯程度の量で三時間程効果を保てる薬が完成したの」

「わかりました。大事に使います」


 ティアナはお礼を言いつつ手鏡を懐にしまい、大量に粉の入れられた薬袋を慎重に、大事に両腕に抱えた。



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