12
部屋に戻れば、エリクがにこやかに出迎えてくれた。
「お帰り、三人共」
そこで、狩間が何かを思い出したようだ。
視線を上に、何処か遠いところを見て声を漏らした。
かと思えばエリクの頭をくしゃりと撫で、さらりと告げる。
「リク。もうあの薬は利かないぜ。ウチが否定しちまった以上、あの呪いに効力は無い。新しく作っても同じだ。あんたの身体にゃウチの否定は残っちまう」
頭から手を離してぽんと肩を叩き、脇を通り過ぎる。
エリクは苦笑して、ソファに座る渋面を作ったルシアに肩をすくめて見せた。まだ、エリクは自分のことをまだ話していないようだ。
ルシアの物言いたげな視線を黙殺し、狩間はゲルダ達の前に立つ。
そうして屈み込めばがっとシルビオの首を掴んだ。
シルビオは戦慄し、ゲルダがひっとひきつった悲鳴を漏らす。が、構わずに片手でぐっと絞め上げる。
「さあ、愉(たの)しい尋問の時間だ。今から訊ねることに、無駄口は一切無く答えな。さもなくば、この猫の首が方向に捻れて千切れちまうよ。勿論、生きたまま、ゆっくりと」
「わ、わ、分かったわよ……! 答える、答えるから!」
戦(おのの)くゲルダの声は震えている。
「じゃあまずは、この一連の出来事の始まり、どうしてファザーン王子四人の命を狙わなければならなくなったのか」
「……な、長い、話になっても?」
「質問の答えになるなら」
ゲルダは青ざめつつ、頷いた。言葉を捜すように口を開けては閉じ、己の身の上を語り始める。
「私は……この大陸で【最後の魔女】と呼ばれる女性の、たった一人の弟子よ。二十年前、ここカトライアで彼女と出会い……行動を共にするようになった」
二十年前と言えば、カトライアが戦渦に巻き込まれた時のことだ。
これは正直驚いた。
「彼女が時折見せる子供だましの魔術に魅せられて……自分も彼女のようになりたいと思うようになった。自分には魔女としての素質はなかったし、致命的な欠陥まであったけれど……いつか必ず、自分も本物の魔女になれると信じ、鍛錬を続けていたわ」
色々なことを思い出したのか、懐かしげに、目を細めて笑みを浮かべる。しかしはっと狩間の様子を窺って口を開いた。
「そんなある日、ルナール皇帝の使いと名乗る男が、【最後の魔女】をどこかへ連れ去ってしまったの」
男は【最後の魔女】を人質に、ゲルダに命じた。
ファザーンの四人の王子を殺せと。
長らく行動を共にした彼女にとって、それは逆らえない要求である。
それが、マティアス達を狙った理由。
狩間はそっとマティアスに視線をやった。言葉を求めるようなそれに、マティアスは目を伏せ、髪を掻き上げる。
そうして吐息混じりに言うのだ。
大方そんなところだろうと予想はついていた、と。
ゲルダは驚いて目を丸くする。
「【最後の魔女】に弟子がいたとは初耳だが、彼女がルナールに拘束されていたのは、知っている」
「は!? ちょっと待てよ。最初に本で調べた時、その情報は信用できないって……」
「まだ彼女に事情を話せる段階じゃなかったから、黙っていただけだ」
「まー、多分ヒノモトも掴んでただろ」
【最後の魔女】なんて脅威の存在、どの国も咽から手が出る程欲しいのだ。
そんな存在が、たかだかゲルダの為に危害を加えられるとは考えがたい。
マティアスがそう指摘すると、ゲルダも分かっていると頷く。ぎり、と奥歯を噛み締めて俯いた。
「私があなたたちの暗殺に成功しても、彼女は解放されない。失敗しても、ルナールは彼女に手出しはできない。鯨だって、【最後の魔女】を助ける気は無いのでしょう」
部屋の片隅に佇んでいる鯨が微かに身動ぎした。無表情で何を考えているのかは分からない。
「わかっているなら、なぜ――――」
「だからこそ、彼女に呪いをかけたのよ」
つと、ゲルダはティアナを見やった。
ティアナはたじろいで片足を下げる。反射的に呪いをかけられた左胸を押さえた。
それだけでマティアスは何か悟ったらしい。
「お前、まさか……!」
「最初から、あなたたちが条件を呑むとは思っていなかった。彼女はいわば人質よ」
【最後の魔女】奪還のために、一緒にルナールまで同行してくれるわよね?
マティアスに見上げる。机上に作り笑いを浮かべつつも、その目にあるのは懇願だ。ゲルダにとって最後の望みはマティアス達。
だからこそ、無関係のティアナに呪いをかけたのだ。
勿論、周囲は息巻いた。
けれども狩間は静かに、マティアス達の様子を眺めているのみ。
「さっき言ったでしょ? 私には、一人前の魔女になれない、致命的な欠陥があるって。威張って言うことじゃないけど、私……」
自分でかけた呪いを解除できないのよ。
一瞬だけ視線を逸らし、気まずそうに告げる。
この時、ティアナの脳裏に狩間の言葉が蘇る。
『ゲルダ本人に解けないのなら、ウチだって否定のしようが無い』
彼女の言っていたのは、このことだったのか。
狩間を見やれば、彼女は苦笑を浮かべて首をすくめる。
「【最後の魔女】を助け出さなければ、あなたたち五人の呪いは解けないわ」
……いや、正しくは六人だ。
クラウスは鯨の隣でこめかみをひきつらせながらも、聞き手に徹している。
「アリマ、お前の力ではどうにもならないのか」
「無理だね。本人に否定出来ないものを、ウチに否定出来る筈がない。術式に関しても、鯨が無理ならウチだってお手上げだ。ウチに、魔女の使う魔術の術式は理論が分かっていないから扱えないもの」
狩間が鯨を見やれば、彼は辟易したように、
「……それの術式は、見ただけで吐き気がする」
心底嫌そうだ。
ゲルダがうっとなって身体を縮めた。
「僕の呪いだけが否定されたのは、そういうことだったんだね」
「ああ。ウチが一度でも否定出来ればもうその存在は否定したものを受け付けなくなる。これでいつか本物の魔女になれると思ってるんだから救いようが無い」
「……お前が言うのなら、それは確かなことなんだろうな」
信じる他無い。
目を伏せて長々と嘆息する。
これがゲルダ達だけの言だったなら、まず信じられなかっただろう。
「で、呪いを解くために必要とされるのが、【最後の魔女】の血……と」
「え、何で知って……」
「邪眼。有間の邪眼は特殊でな。左手は過去、右手は未来を見る。お宅の話したことは全て、あの時すでにこの左手の邪眼が見てたんだよ。虫一匹殺せない小心者の永久魔女見習いさん」
黒の手袋に包まれた左手を振って、狩間はシルビオを解放する。
マティアスに向き直り、「如何に?」と口角を歪めて言う。
マティアスは暫し思案し、首筋を撫でてゲルダとシルビオを見下ろした。
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