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カトライアを散歩していたら、何故か国の外に出てしまって驚いた。
日が暮れかけていたのでこれはさすがにヤバイぞと即座にきびすを返して町の中に戻ったけれど、考え事をしながら歩く癖は、まだまだ直っていないようだ。直せとクラウスから口喧(くちやかま)しく言われているのに。
有間が足早に帰宅する頃には、辺りはもう真っ暗になっていた。家から漏れる灯りだけが家へと続く道を照らす。それでもまだ活気はあるのだから、なかなかに活発な国である。
ようやっと自宅に到着し、扉を開いた。
「ただいまー」
間延びした声で中に声をかけると、何やら居間の方が騒がしい。
この家には、有間と現在の家主である娘しか住んでいない。クラウスは今何かと忙しいらしいし――――今日だって、たまたま会えただけなのだ――――誰か、客でも来ているのだろうか。
「ティアナ? 誰か来――――」
扉を開けて居間に入ろうとした有間は、次の瞬間勢い良く扉を閉めてしまった。
……ちょっと、待とうか。
今、何かいた。うん、確かにいた。
生き物がいた。しかも、四匹。肉食獣と、鳥と、犬と、兎、が。
しかも、しかも。何か《魂の形》が変な――――。
中から開けられようとしたのを咄嗟にドアノブを掴んで無理矢理閉めた。
強い力で引かれる扉に、しかし有間は抵抗する。こっちは普通の娘よりは膂力(りょりょく)が強いのだ。簡単に開けさせはしない。
抵抗し続けていると、中から家主の声がした。
「アリマ! 開けて! 大事な話があるから、お願い!」
「やだ! 何か分かんないけどやだ!」
確かに、今日何かと巡り会うよと、以前言った。でもそれは占いの結果で、不明瞭なものだ。
まさかこんな変なものとの遭遇を示していたなんて!
厄介事に巻き込まれてしまったんじゃないか――――一瞬だけ見た《魂の形》に不穏なモノを感じずに入られなかった。関わりたくない。絶対に関わりたくない!!
しかし、ティアナも困り果てているようで、必死に有間に声をかけてくる。
「お願いだから!!」
「い・や・だ!! そんな変な魂持った動物とはお近付きにはなりたくない!」
「た、魂って……分かるの!?」
「絶対何か厄介事持ってるって!!」
有間のように、ヒノモトでは一部の術士は魂を見ることが出来る。
有間の場合は親から引き継いだ霊力によるものだが、基本的に修行の果てに後天的に現れる能力であった。
ヒノモトでは、肉体という名の器に、魂(こん)と魄(はく)が宿って人を為すと考えられている。人が死んだ時、魂は天上に昇り、魄は地上に残る。地上に残った魄は鬼と変わる。
有間が言っているのは、器と、魂魄の形が違っているということ。つまりは、魂魄と姿が違うのだ。
彼女が見た魂は、明らかに人のものだ。だのに、彼らは動物。それが、有間にとっては不可思議で十分剣呑だった。近付きたくないとは、術士としての恐怖心からだ。
しかし、家主、ティアナはそんなことは当然ながら分からない。ただ、有間が動物達に何かを察して面倒なことから逃げようとしている風にしか見えないのだろう。何とか話を聞いてもらおうと言葉を重ねている。
「だから、お願い!」
「嫌だってば! 何でこんなの拾ってきたの!」
「だって、猛獣だし、弱ってたから……!」
ティアナは優しい娘である。だからこそ、ティアナの両親は拾われて間もない廃れた自分を彼女に任せたのだし、今こうしてのんびりと生きられる程の余裕を与えられたのも彼女のお陰だ。
ティアナには返しきれない大恩がある。それに、ベリンダからは彼女の護衛も頼まれている。
だけど、だけど!
「無理! こればっかりは、無理!!」
「アリマ!!」
この攻防は暫く続いた。
‡‡‡
有間は憮然とソファに胡座を掻いて座っていた。
彼女の周りにはライオン、狼、家鴨(あひる)、兎が疲弊しきってぐったりとしており、誰一人として鳴き声一つ漏らさない。
ティアナの話だと、彼らは元は人間だったそうで……動物の姿なのに、人語を喋るのだそうだ。
ティアナは、彼らの為にと食事を作っていた。今もその支度で台所に籠もっている。大事な話とやらは、その後だそうだ。
正直、この妙な魂に囲まれているのは辛い。すぐにでも逃げ出してしまいたい程に辛い。
普通ならば制御は出来るのだけれど、一度こんな歪な魂を見てしまうと制御したくない。制御して一緒にいる方がむしろ恐ろしい。
なるべく彼らを視界に入れないように瞑目してティアナを待っていると、扉が開いてティアナが動物達を呼んだ。
途端、のっそりとだがライオンと狼が首を上げた。しかし、動けないらしい。
ティアナはすぐに食事を皿に盛って居間に戻ってきた。
「アリマ、手伝って!」
差し出された皿に、口角がひきつった。
「……まさか」
「手分けして、食べさせてあげたいの」
マジっすか。
最近覚えた言葉を漏らした。
ティアナは大きく頷き、有間の手に無理矢理持たせた。そして、さっさと衰弱の激しい家鴨の方へと歩いて行ってしまった。
有間は嘆息した。やむなく、本をソファに置いて立ち上がった。家鴨と同様衰弱している兎に近付く。
一応、柔らかく煮込んであるらしい野菜をフォークで千切って口に運んでやる。
兎は小さく口を開いてそれにかじり付く。咀嚼(そしゃく)して嚥下(えんか)すると、目が急速に光を帯びる。きらきらと輝いた。
「美味しい」
ああ、本当に喋った。兎が喋った。どうやって喋ってるんだ、この兎。
「あっそう。んじゃ、さっさと食べて」
全員魂が変だが、特にこの兎の魂はおかしい。
器に合っていないのは勿論、加えて何かに包まれているかのように見えるのだ。何に、かは分からないけれど。
……厄介なことにならなければ良いんだけど。
暗鬱とした気分で、有間はまた兎に食べ物を与えた。
「あ、アリマ。エリクが終わったらアルフレートを頼める?」
「……誰」
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