少々厄介な問題に巻き込まれた為に、予定よりも時間がかかってしまった。
 季節が一巡りしてカトライアに戻ってきた鯨は、知り合いから聞かされた言葉に愕然とした。


――――イベリスが、死んだ。


 俄(にわか)には信じられないことだった。元気な子供を産むと張り切っていた姿を鮮明に覚えているだけに、すでに弔われた遺体を見ていないうちは嘘のように思えてならなかった。

 臨月に、ルナールの追っ手に見つかってしまったらしい。狭間が何とか追い返したそうだが、その時に毒の吹き矢から狭間を庇おうとしたイベリスはそれを身に受けてしまった。
 鯨の知り合い達があれこれと苦心してくれたようだが、魔女の呪いもかかっていたらしく、赤子――――有間という女の子を産むと同時に命を落とした。

 それは全て、鯨がいれば対処出来たことだった。

 イベリスの死からもう何ヶ月も経過しているというのに、憔悴しきった狭間を見、鯨は罪悪感に胸を重くした。
 狭間は鯨を責めない。鯨ではなく、守れなかった己を責め続けた。
 鯨の目的など知らぬのに、想定以上に時間をかけてしまった彼に恨み言一つ言わなかった。

 ただただ生まれた赤子の世話に追われるフリをして、忙しなく動いて、感情を押し殺そうとする。その様が痛々しい。
 彼が少しでも楽になれるのなら、罵倒したって構わなかったのだ。
 長引いたのは、そもそも自分が油断していた為厄介事に足を踏み入れることになったのが原因。責められる要因は鯨にもあった。

 しかし、彼は責めない。
 いつまで経っても、『気にするな』と無表情に言うだけなのだ。

 むしろ、それが辛い。


「狭間。お前は有間と共に故郷に戻れ」


 見かねて、鯨は狭間にそう言った。

 静寂に包まれた夜陰。
 狭間の腕に抱かれた有間の言葉にならない声がするだけだ。
 有間は夜泣きをしない。空腹を泣いて訴えることも無い。鯨がカトライアに戻ってから、赤子なら当たり前のことをしなかった。……まるで、父親を気遣うように。

 有間はイベリスの生き写しのような子供だった。
 真っ白な髪に紫の目。狭間に似ている点と言えば、邪眼がどちらも狭間のそれと同じ一重であるということ、その邪眼が掌――――狭間は右掌のみ――――にあるということくらいだった。


「イベリスが亡くなった以上有間には中和の儀式が出来ない。両手を見ても分かるだろう。有間の力は予想外に強い。自分で制御出来るように教育してやらねぇと、後々本人が苦しむことになる。故郷でなら、邪眼一族の奴ら皆で教えられるし、俺と共に追われるよりは余裕がある。それに……お前は人が良いから口では言わないんだろうが、俺といるのはキツい筈だ」

「……そうだな。お前に気を遣わせているのは、本当にキツい」


 鯨は舌打ちした。


「……狭間。イベリスが死んだのは、俺の所為でもある。俺にはお前に責められる義務があるんだ。お前がそう溜め込むくらいなら、責められて恨まれた方がまだ良い」


 責めろ、少しは俺にぶつけてみろ、と叱るように言う。

 けども彼は、首を横に振るのだ。
 何処まで優しいのだろう、彼は。


「そんなんだから、お前はいつも人一倍苦しむことになる」


 そう貶せば、彼は鯨を振り返った。


「けれどそれが、オレなんだ」


 無表情に断じる親友に、鯨は「馬鹿だ」と吐き捨てた。



‡‡‡




 狭間と有間を故郷へ一旦帰す為、人気の無い夜中にカトライアを出た。冬真っ直中のファザーンを、赤子を連れて強行突破するのは大層骨が折れた。
 何度も足止めを食らった。
 何度も進路変更を強いられた。

 だが、それは追っ手とて同じこと。カトライアの知り合いに新たな追っ手を撒いてもらったから、十分な程に距離も稼げている。
 有り難いことに、厳しい猛吹雪も邪魔をしてファザーンとヒノモトの国境に至る頃まで追っ手に追いつかれることは全く無かった。

――――されども。
 強行に過ぎたらしく、有間が風邪で倒れてしまった。
 赤子であるが故、二人は大事を取って近くの洞窟の奥で休むこととした。

 不幸の連鎖は、続く。

 折悪く、ファザーンからも追っ手がかかっていたのだ。
 恐らくは何処かの町で目撃されていたのだろう。鯨の知識と力を利用したいが為に、わざわざこんな時にファザーンまでもが手を出してくるとは思わなかった。
 王の指図でないことは確かだ。ならば、その下の人物が極秘に放ったものか……。


「これでほぼ一帯の国に目を付けられた訳だ、俺は」

「追っ手は?」

「まだここを見つけてはない。だが、ファザーンの追っ手にしてみりゃここはホームだ。隠れられそうな所に見当はついてるだろうな。……タイミングが悪すぎる」


 未だ苦しげに呼吸を繰り返す有間を動かす訳にはいかない。
 ここは鯨が囮になって、追っ手を全滅させるしか――――。

 思案する鯨を見上げ、狭間は徐(おもむろ)に腰を上げた。


「オレが行こう。その間にお前は有間と一緒に国境を越えてくれ」

「はぁ?」


 鯨は頓狂な声を出した。


「待て。追っ手の目的は俺だ。お前が出る理由は無ぇ」

「ファザーン王には一応の恩があるのだろう? 追っ手を差し向けたのが王であろうとなかろうと、お前に殺させる訳にはいかない」

「恩じゃねえ。借りだ」

「同じことだ。それに、お前はオレよりも医学の知識が豊富だ。今の状態の有間はお前に任せたい。オレでは、いざという時に満足な対処が出来ぬと思う故」


 だが、狭間は有間の父親だ。
 そんな彼が囮になる必要は無い。

 鯨は頑なに拒絶した。

 狭間も一度固めた意志を曲げるつもりは全く無い。

 暫く言い合っていたけれど、双方引かなかった。無駄に時間がかかるだけだった。

――――やがて、これ以上は危険だと嫌々ながらに鯨が折れる。


「分かった。俺はここから暫く言ったところの谷で待ってる。あそこなら簡単に人は入ってこれねえし。そこで合流する。お前も全員を殺すんじゃない。ある程度身体潰して来い。絶対に無理はするんじゃねぇぞ。邪眼も、絶対に使うな。遅ければ有間を連れて様子見に来るからな」

「ああ。有間を頼むぞ、鯨」


 頷き合って、先に洞窟を出る狭間を見送る。






 半刻後、鯨はこの選択を後悔するのだ。



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