……。
 ……。
 ……どうして、こうなったんだ。
 後ろを付いてくる二人に、鯨は頭痛を覚えた。

 狭間と――――イベリス。
 二人はすぐに鯨を追いかけてきた。
 狭間はまだ分かる。
 けれども、何故イベリスまでもついてくる?

 一旦足を止めて振り返ると、二人はきょとんと不思議そうな顔をする。


「傷が痛むのか? ならまた何処かで治癒術を、」

「……そうじゃない。お前だけならまだ分かるが、何で彼女がここにいるんだ。イベリスには俺の血のことも話したんだろう。なら、俺を優先的に狙ってくる筈だ。お前らがこれからも一緒にいると言うのなら、お前達は俺の側にいるべきじゃねぇだろう。下手すれば、また暴走した時に彼女を巻き込むかもしれない」


 それに、彼女の存在は非常に厄介だ。追われる理由がまた増えるのだから。
 足手纏いだろうに、そんな存在を連れて旅をすることには、鯨は抵抗があった。
 ついてくるのならば、鯨が一人で行動し、狭間達はヒノモトの故郷に一旦戻るという方法を取った方が遙かに良い。


「彼女の身の安全の為にも、お前はオレとは別行動を取れ。どうなっても知らねぇぞ、俺は」

「あ、あの、同行を願い出たのは私です。ですから、もし本当に足手纏いと仰るのなら、捨て置いて下さって構いません」


 怖ず怖ずと口を挟むイベリスに、鯨は嘆息した。


「……皇族を見捨てれば余計に追われることになるんだが」

「私は名ばかりの皇族です。私にあるのは皇帝の姪という肩書きだけ。いてもいなくても変わらぬ女でございますから、むしろあなた方について行って捨て置かれて死んだ方がまだましです。……元々、あの村にいた時に逃げ出してしまおうと思っていたところでございましたし……」


 ……一瞬、あれを彼女が謀ったのかと、疑念が沸き起こった。
 だが、すぐにどうでも良いかとすぐに放り捨ててしまう。過ぎたことをとやかく言っても仕方がない。これから先そうなったとしても、彼女は鯨にしてみれば赤子以上に容易く殺せる。
 それに本人も言っている通り、障害となるなら狭間と一緒に置いていけば良い。狭間と一緒にいれば、少なくとも野垂れ死にはしない。

 このまま放置しておこうか……。
 鯨は片目を眇めた。
 すると、イベリスが不安そうに眦を下げた。

 狭間が目を細める。


「鯨」

「やはり駄目、でしょうか?」

「……見殺しにしても、暴走した俺に殺されても恨むなよ」


 その直後、イベリスは花が咲いたように、とても晴れやかに笑った。何かから解放されたような顔だ。
 彼女にとって皇室がどうであったのか、鯨には関係のないことだ。だが、興味の無い彼でも、イベリスは己の血筋に良い感情を抱いていないことは漠然と察せられた。

 喜ぶイベリスを後目(しりめ)にし、鯨は再び歩き出した。



‡‡‡




 イベリスは存外気丈な娘であった。
 季節が一巡りしても体調を崩すことも無く、順応性の高さから鯨も意外な程に音を上げること無く旅を楽しんでいた。

 狭間との関係も親密になっていく一方で、ままに鯨自身非常に気まずくなることもある。

 その親密な男女の関係は、やはり《そう言った危険》が付き物だ。
 数年振りにファザーンを訪れた鯨は、狭間の言葉に我が耳を疑った。


「子が出来ただと!?」

「……すまない」


 驚きのあまりに声を張り上げると、狭間は目を伏せ、静かに謝罪した。
 もうイベリスとの関係にとやかく言う意思は無い。が、追われている身の上で、皇族の女と親密になったばかりか子まで作ってしまったとは大事だった。

 鯨は離れた岩に座って申し訳なさそうに肩を落とすイベリスを見やり、頭をがりがりと掻いた。


「お前らな……! 妊婦を連れて旅なんか出来るか!」

「す、すみません。あの、でも、もう降ろせなくて……」

「いや降ろすな。命を殺すな」


 鯨は舌打ちしてイベリスの腹を見た。


「何ヶ月だって?」

「……四ヶ月です」

「あと六ヶ月程、か……」


 鯨は顎を撫でながら思案した。
 そろそろ腹も膨れ始めているだろう。それに、身重の女はしっかりと食事を取らなければならない。旅の中では食事を抜くことも屡々(しばしば)だ。加えて鯨達の通る道はほとんどが獣道。妊婦にはキツい道程となろう。

 まだ、ファザーンに入ったばかりだ。
 今なら、気の置けない知り合いの住む花の国カトライアに戻れるだろう。街道沿いを行けば一日もかからない。


「イベリス、狭間と一緒にカトライアに滞在しとけ。あそこなら俺の知り合いがいる。そいつのもとで出産まで隠れていれば良い」

「鯨は?」

「俺は、ファザーンの王に少し用がある。それが終わればお前達の様子を見に戻ってくるが……今の時期あそこは雪が深いからな。出産までには戻れんかもしれん」

「……そうか」


 ファザーン王とは、一応は顔見知りだった。と言っても、良い知り合いとは言えないけれども。
 鯨の母親は魔女だった。混血の父と、魔女の母。それでも鯨の血潮に混じる邪眼の因子も魔女の因子もほぼ同じ程。
 父も母も、誰にも従うことを良しとせず、その為にファザーン王の兄弟に殺されていた。
 ファザーン王は周囲の目から隠れて幼い鯨を逃してくれたのだけれど、それでも恩人だとは到底思いたくもなかった。

 そんなファザーン王に用があるのは、父が生前、捕まる前の母に残した術書を返還してもらう為だ。
 父の術書は魔女には読めぬ。邪眼一族の文字ばかりで綴られているその術書は、魔女の術と融合させた邪眼一族の術も書かれており、鯨以外には解読不可能だった。
 ファザーン王には敢えて重要さを隠し、返還を求めるつもりだった。


「一旦、カトライアに戻るぞ」

「すみません」

「良い。それよりも悪阻(つわり)は? 今日はこのまま休んでも良い」

「いえ、大丈夫です」


 これ以上の迷惑はかけられないと、イベリスは立ち上がった。



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