ルナールに入って一ヶ月。
 突如、狭間の様子がおかしくなった。

 道端に咲いた真っ白な花を熱の籠もった眼差しで見つめては、悲痛に顔を歪めて緩くかぶりを振る――――そんな行動を繰り返すのだ。
 鯨との話も上の空であることが多い。事あるごとに何かに囚われたように思案に耽り、鯨との相談事も聞き流してしまうのだ。
 かと思えば、急に西の村に行きたいと言い出し、強引に行き先を変えてしまう。

 何かの病気なのかとも思ったが、病は病でも非常に厄介で面倒な病であることが、後々判明した。


――――彼は、人間の女と恋に堕ちてしまったのだった。


 とある村を訪れた二人を満面の笑みで迎えたのは尊き神の色をした愛らしい娘だった。
 彼女は狭間のもとへ小走りに近寄り、その両手をぎゅっと握り締めた。赤らんだ頬は狭間にも伝染し、まるで恋人達の逢瀬のような、そんな錯覚に鯨は陥った。


「ハザマさん! 本当に来て下さったんですね」

「ああ。約束しただろう」

「……そういうことかい」


 苦々しいものを感じ、鯨は顔を歪める。
 狭間はこの旅については滅多に我が儘を言わなかった。いつも鯨の意思を尊重して、従うようについてきた。

 だからこそ、彼がこの村に行きたいと言った時はまあ良いかと許せた。

 が、その目的が人間の女となれば話は別だ。
 しかもそれが外国の女となればなおのこと。

 己の一族の血がどれだけ特殊か、誰よりも知っていた鯨は、この二人の関係を素直には喜べなかった。

 彼らの一族――――邪眼一族は、元は根の国の女神に遣わされた監視役だ。
 根の国の女神は、夫であった男神が根の国侵入しようとするのを阻む為、根の国へ続く次元の裂け目を己の髪で塞いだ。

 それでも女神を連れ戻そうとする男神の動向を監視させる為に邪眼……否、贈眼の一族が生み出されたのだった。
 邪眼一族は黄泉を統べる神の因子を受け継いだ、まったき陰の存在。
 彼らにとってはヒノモト人は男女関係なく等しく陽の属性である。
 その為、邪眼一族とヒノモト人の混血には厄介な点が非常に多かった。

 それが外国の人間との間に子供など設けてしまえば――――何が起こるか鯨でも分からない。

 ……されど、自分に付き合わせてしまっている相棒の恋情を、自分が壊して良いものか……。
 鯨は迷った果てに、彼らの情が一時のものであることを願うしか無かった。



‡‡‡




 狭間は寡黙ながら、素直な性格だった。
 美しいものも可愛らしいものも、はっきりと言葉にして言う。
 それに少年めいてはいるものの凛々しく整った顔をしているものだから、立ち寄った町村で女性に惚れられたことも数え切れない。

 彼女の――――イベリスもまた、彼と良く似て思ったことは隠さず口にする性分だった。ただ、はっきりではなく、相手を傷つけないようにやんわりとオブラートに言う。

 イベリスという娘は、高貴な娘であった。本人は下流貴族の出身だと言ったが、鯨の目にはそれよりももっと上の風格があるように映った。

 イベリスの身分が気にかかった鯨は、夜中に闇の中に紛れて彼女を邪眼で見た。
 過去を見れば、生まれなど容易く知れた。

 彼女は――――ルナールの皇族だった。

 それも、現皇帝の姪だという。

 正直思ったよりも身分が高いことに驚きはしたが、それよりも危機感を覚えた。
 もし自分達が邪眼一族だと知られれば――――特に自分は、非常に危険だ。
 今、魔女は極端に数を減らしている。そんな中、邪眼と魔女の混血は咽から手が出る程に欲しい筈だ。自分の血が知られては、非常に厄介なことになる。

 これ以上村に滞在することは避けるべき。
 そう判断した鯨は、即座に狭間に村に出ることを告げた。

 が。


「お前……彼女に邪眼を使ったのか?」

「あ?」


 何よりもまず、そのことを咎められた。
 心底イベリスに惚れているらしい狭間は鯨に小言を言い、鯨の言葉を黙殺した。

 狭間が残るのであれば、鯨も残らねばならない。
 一人イベリスの身辺を警戒しながら、鯨は狭間の熱が冷めることを待った。

 ……だが、このすぐ後に、問題が生じてしまった。
 狭間が自分達のことをイベリスに話したのだ。
 鯨の血のことは話さなかったとしても、鯨に断りも入れずに、独断で明かしてしまった。
 イベリスに他言する意思は無いにしても、その周囲に漏れたら危うい。

 これにはさすがに狭間を責めた。が、彼女は信頼出来ると悪びれも無く言う。この時ばかりは、本当に殴った。

 無理矢理にでも狭間を連れて行こうとすれば、イベリスはとんでもないことをしでかしてしまう。
 自分達の保護を申し出て来たのだ。

 当然そんなもの受けられる訳がないと一蹴した。
 自分が旅をしているのは先祖から受け継いだ知識に、新たな知識を混じらせ己の子孫に遺(のこ)す為で逃げることが目的ではないのだ。

 イベリスのまったき善意は鯨にとって迷惑でしかなかった。

 それでも狭間が残るのならば、彼の安全の為に鯨も残らざるを得なくなる。彼がルナールに捕らえられることは避けたかった。

 しかし――――。






 イベリスが申し出た翌日、二人はルナールの兵士に囲まれてしまったのだ。



.


- 64 -


[*前] | [次#]

ページ:64/140

しおり