リビングの片隅に、縛り上げられたゲルダ達をぞんざいに放り捨てた有間は、「よっこらせ」とまるで老人のようにソファに座り、足を組んだ。


「――――と、言う訳だ」

「まだ何も言っていない」

「冷静にツッコむな鯨」


 背後に立ってこちらに背を向け、腕を組む鯨を不満そうに見上げ、有間は大仰に吐息を漏らした。
 金色の瞳でマティアス達をぐるりと見渡し、


「……で、まずはウチのことを説明した方が良いんだよな?」


 マティアスが大きく頷いた。


「そうだな。今のお前は非常に不愉快な言動が目立つ。それに、人道的な部分が著しく欠けているようだ。俺達の知る有間とは全く違う」


 アルフレートが有間を探るように見つめている。
 有間は気付いていながら、それを不快に思う素振りは無く、むしろ面白がるような表情だ。

 普段の有間とは比ぶべくもない。今の彼女はまるで純真無垢な狂気そのもの。
 否定や拒絶――――負しか知らぬような子供だ。
 これは、有間の奥底にいた別の意識なのだろうか?

 目を細めたマティウスに、不意にエリクが否定の言葉をかけた。


「違うよ、マティアス。彼女は彼女だ」

「エリク……?」


 アルフレートが腰を上げたのに、有間が片手を挙げてエリクを制する。


「それはウチが話す。お前らが話せば有間が《認識》しちまうからな」

「有間が認識?」

「……お前の名は」

「アル」


 鋭く言って遮る。


「だから言っただろ。有間に認識されてしまうと」


 笑みを消し、真摯な表情でアルフレートを見据える。


「今からウチが話す間、ウチが許可しない限りお前らは一言も発するな」


 有間に《認識》されると言うことが、今の有間にとってどういうことなのか。
 ティアナが問おうとするが、クラウスとルシアが無言でそれを阻んだ。

 ティアナにだけそっと笑みを向け、すぐに消した彼女は徐(おもむろ)に口を開いた。


「まず、ウチは狩間。有間の中に在る意識だ。有間自身自覚することが無い――――あってはならない意識であり、有間の負の衝動を彼女の代わりに発散させて調和を取る大事な機関でもある」


 曰く。
 有間は両手に邪眼を持ち、この身体では制御出来ない力を秘めている。
 激情で暴走でもすれば有間自身の身体が破壊されかねない。
 それを代わりに制御して発散させるのが、狩間の役目であった。

 では、何故有間がそうなのかと言えば――――。


「邪眼一族は、全て生まれた時から己の使い方を使い方を識(し)っている。それが当たり前だ。けれど有間はそうじゃない。使い方も分からなければ、己の力の程も分からない。今現在もな。その理由は一つ。純血の邪眼一族じゃないから。……有間は人間との混血だ」


 ティアナは瞠目する。言葉を発そうとして、慌てて口を手で覆った。

 そこで一旦言葉を切り狩間は目を細めた。


「……ウチらの出自に関しては、鯨に聞くと良い。これは、有間にも認識させるべきことだからな。――――で、次は科学の話だ。こっからは、さすがに質問も出てくるだろうな……鯨。ウチに術かけて」

「もうかけてある」

「おお、早い早い。じゃあ、ルシ……あ、非常食か」

「ちげぇよ!!」

「いや、だって有間お前のこと非常食とばっかり言うんだもん。酸性とアルカリ性、この二つの物質が混合する時、中和反応が起こる。この時に生成される物質は?」


 揶揄したのではなく、本気でそう言い換えたのだ。
 ルシアもそれが分かったようで、諦めたように肩を落として狩間の問いに答えた。


「……そんなん簡単だ。塩(えん)だろ?」

「そう。塩。酸性が陰の邪眼一族、アルカリ性が陽の人間だと置き換えよう。その中間が、有間の本来在るべき状態だ。有間は幼少の砌(みぎり)に、人間でも邪眼一族でも……どちらでもない身体にならなければならなかった。塩の状態になれれば力も中和されて有間自身手元が狂うこと無く扱える。ウチのような人格を保持する必要も無くなるんだ」

「それをしていないから、今もあなたがいるの?」

「その通りだ、ティナ。邪眼一族は古から中和反応に当たる儀式――――《影交ザリ》ってのが伝わってる。少ないけれど、長い歴史の中で混血がいないことは無かったんだ」

「お前は達その儀式をしなかったのか?」

「出来なかったんだ」


 狩間は鯨を見上げた。


「神の領域を抜ける七歳で行われるべき《影交ザリ》の最低条件は、親の生き血の確保だ。それが無ければこれは成り立たない」


 だが、有間はそれが不可能だった。
 狩間は目を伏せた。

 鯨が微かに身動ぎする。


「――――その時すでに、有間の親はどちらも死んでいたんだ」

「えっ?」


 視線が鯨に集まる。
 彼が父親ではないのか?
 父親でないとすれば、彼は一体有間の何だと言うのか。

 問いたげな面々の中、クラウスが眼鏡を押し上げて鯨に声をかけた。


「彼女は父親と血の繋がりが無いのではないかと疑っていた。それが、事実だったんだな」


 鯨は数度瞬きし、ゆっくり首肯する。


「まだ一歳にもなっていなかった有間に術をかけ、俺を実の父親狭間と思い込ませた。俺は、本当の狭間の、《元》友人でしかない」

「……鯨」


 狩間が呼ぶ。
 そこには僅かに叱りつけるような、キツい含みがあった。

 彼は暫し沈黙した。
 されど意を決したようにこちらに向き直ると狩間の頭をぽんと叩くように撫でた。一瞬、狩間の顔が不満そうに歪む。

 表情を窺うように、鯨はマティアス達を見渡した。


「自分の言動から、察しが付いている者もいるでしょう」


 有間の母親は、ルナールの要人でした。
 マティアス達に対してだろう、畏(かしこ)まった声音で鯨は語り始めた。



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