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――――アルフレートが飛び出した後。
ティアナは寝間着姿のまま、アルフレートを追いかけようとした。
それを止めたのは家の奥から急ぎ戻ってきたエリクである。
ただ……普段のエリクとは似ても似つかないエリクだ。
「待ちなよ、ティアナ」
「あ……エリク」
赤い目にはあの穏やかな光は存在せず、鋭利な野心が覗く。
ティアナは彼を振り返って息を呑んだ。
以前、有間の父に誘拐された際、誤って目覚めた本来のエリクだ。有間は平然と受け入れていたが、ティアナは未だ戸惑いが大きい。
彼は家の奥から歩み寄ってくると、ルシア達を一瞥し目を細めた。そうして、ティアナに微笑みかけた。
「着替えて来なよ。勿論、急いで、ね」
「エリク、あなたまた……」
「エリク!」
ルシアが慌てた風情でエリクの肩を掴んだ。何故お前が……そう言いたげに顔を歪めている。
まさか彼もこのエリクのことを知っている……?
ティアナは首を傾けてマティアスを見上げた。
が、マティアスは怪訝そうにエリクを見つめており、このエリクを知っているような気配は無い。
エリクは冷たくその手を払い退けた。
「そんなこと、今はどうでも良いだろう。それよりも、アリマを止めないと……大変なことになる」
「た、大変なことって?」
アリマに何が起こっているの?
問うと、ルシアに向けていた冷たい眼差しを穏やかに変えて宥めるように微笑する。
「ごめんね。今は本当に急がなくてはいけないんだ。……アリマ《達》の為にもね」
「アリマ、達……」
「さあ、急いで」
エリクの優しい促しに、ティアナは短く頷いた。身を翻して自室へと走った。
エリクが言っていた言葉の意味こそ分からない。
が、彼がそう言うのなら、そうなのかもしれない。
戸惑いはあれど、エリクが信頼に足る人物であることは知っているから、彼の言葉を疑うことは無かった。
手早く着替えを済ませて階段を下りればそのまま、エリク達と共に家を飛び出す。
向かうのはあの薬屋だ。
ゲルダ達の後を追ったのは確実だろう。
彼女がゲルダ達に何をするのか分からない。――――想像するのさえ、恐ろしかった。
薬屋に飛び込んで地下へと潜り込めば、アルフレートが有間を呼び止めている声が地下通路に響いていた。
……急がなくては!
マティアス達に目配せして駆け出す。
目的の場所に近付けば近付く程、有間の声も、ゲルダ達の悲鳴に近い声もはっきりと聞こえてきた。
その中に、あの――――有間の父に良く似た声も混ざっている。
一体何が起こってるの!?
有間やアルフレートは無事なのだろうか。
母との約束は、手遅れになっていないだろうか――――。
不安がティアナの心を重く沈めていく。
早く、早く、と逸る気持ちがティアナをマティアス達の前へと出る。
アルフレートの背中が見えた瞬間、ティアナは叫んだ。
「アリマ!!」
「ティアナ!?」
アルフレートがぎょっとしてティアナを振り返り、目を丸くした。
その向こう側に、有間の姿を見つけたティアナはそのままマティウス達の制止を振り切って有間に飛びついた。
「おっと」
さして驚いた風も無く、背後から抱きついたティアナを受け止める。
有間は肩越しに振り返って、頭から幾筋もの血が流れるかんばせに朗笑を浮かべた。
「よお、ティナ。元気か? ……って、ああ、元気かっつーのも変か。呪い受けちまってるもんなぁ、お前」
「……アリマ?」
「そいつは有間であって有間ではない」
ティアナの疑問に答えるように、有間の父が言う。
彼もまた、満身創痍だった。黒装束の為非常に分かりづらいが、松明の明かりに照らされた身体には所々に沢山の裂傷が見受けられた。
二人が争っていたことは見るも明らかである。
「……どういうことだ」
「ん。そーゆーこと。マチも頭が良いんだったらもうちっと頭は働かせたら?」
「マチ……?」
「マティアスだから、マチ。ティアナはティナ。アルフレートはアル――――名前が長いんだよ、お前ら」
ティアナの身体をやんわりと剥がして、面倒臭そうに唇を尖らせた。
その少年めいた姿に、ティアナは困惑する。
いつもの有間と違うのだ。
まるで男のように振る舞い、有間以上に飄々とした雰囲気で佇む。
一瞬だけ、これは有間なのだろうかと思えてしまった。
有間はティアナの様子に何を思っただろう。
彼女の方を見て、優しく――――まるで父親のように微笑んだ。
「アリマ……」
「取り敢えず、ひとまずはゲルダ達を連れて家に戻るぞ。ティアナの呪いを解かせて詳しい話を聞く」
「あー、やっぱそうなんの? ウチとしてはこいつらを否定(ころ)したいのだけれど」
へらへらと、彼女は言う。緊張感も真剣味もまるで無かった。
マティアスは秀麗なかんばせに不快を表した。けれども、
「駄目だ。お前にも、そこの邪眼一族にも訊きたいことはある」
「……ちぇ、話の分からんやっちゃ。全員揃ってウチの《意味》を否定すんだもんなあ。ウチには否定や拒絶しか出来ねーってのによ」
両手を顔の高さまで挙げて、やれやれと言わんばかりにかぶりを振る。
「有間は、彼女の呪いを解くことこそ最優先にするだろう」
「だろうなぁ。あーあ。鯨が捌(は)け口になっちまったからウチの役目終わっちまったじゃん。どうしてくれんだ、人殺し」
「有間が無事ならそれで良い」
「いや意味分かんねぇから。何な訳? 親馬鹿なとこまで親父に似せて何な訳? 幾ら有間の為だからってそこまで徹底してやるもん?」
後頭部で両手を組み、有間はゲルダ達を振り返った。
「今はもう殺しゃしねぇよ。ただ……暫くはウチだから、ウチが否定(ころ)したくなったら、分からねぇけどさ」
「ひっ」
有間は満面の笑みを浮かべ、歩き出す。
途中エリクに擦れ違い様、
「お前にはウチの《否定》が効いたのになぁ……」
そう、ぼやいた。
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