アルフレートが向かったのは、ゲルダ達の本拠薬屋だった。
 日が昇ったばかりで人通りは未だ疎(まば)らだ。

 有間が向かうとすればこの薬屋の地下通路だ。
 ティアナを運び込んで様子を見ていた時、マティアスに訊ねていたから間違い無い。
 鍵もかけられていない扉を開けて、以前見つけ地下への扉を開き飛び込む。

 息を潜ませつつ仄暗く冷たい通路を進んだ。

――――どれ程進んだ頃だろうか、甲高い悲鳴が聞こえてアルフレートは弾かれたように駆け出した。

 松明の灯りが所在を教えてくれる。
 それだけを頼りに走っていると有間のものとは思えないような、豪快な哄笑が聞こえた。だが声は確かに有間のものだ。


「このくらいで悲鳴? ふざけんじゃねーよ。お宅ら自分のやったこと分かんねぇの? そんなに頭が悪い訳? はっ、救いようが無ぇんだな」


 口調がまるで違う。これではまるで粗暴な男ではないか。
 角から飛び出せば彼女がこちらに背を向けて立っていた。

 その向こう側にはゲルダとシルビオ。完全に有間に怯えきっている二人は力無く座り込んで有間を縋るように見上げている。ゲルダに至っては半泣きだ。


「アリマ!」

「……ん? ああ、アルか。よう」


 肩越しに振り返って片手を挙げる。
 自分のことをアルと呼ぶ彼女は本当に有間なのか?
 ……いや、それよりも今は有間を止めなければ。このままでは何をするか分からない。
 有間を呼んで足を踏み出したアルフレートはしかし、次の足を踏み出すことは出来なかった。


 動かないのだ。


 まるで足が床に縫いつけられたかのようにぴいたりと張り付いて動かない。
 それに愕然とすると有間は「悪ぃな」とにっと歯を剥いて笑った。無邪気な少年めいた笑みに、寒気が走る。


「殺すの、三人で済ませたいんだわ」

「さ、三人……? 私達以外にもう一人いる……?」

「そ。あんたの大切な大切な――――お師匠様」


 ゲルダの表情が凍り付いた。

 それに笑声を漏らしながら、有間はそっと両手の手袋の中指を同時に噛んで取り去った。
 掌を向けて、無情な言葉をかける。


「《ウチ》の手、左手が過去、右手が未来でなぁ。右手で見れば相手の未来が予知出来る。それを更に応用すれば――――未来を決めることだって不可能じゃあねぇ。つまり姉ちゃんの未来でそのお師匠様を殺すことだって可能だってこった」

「そ、そんな……止めて! 彼女を傷つけることだけは――――」


 ばんっ。

 突如として右手の壁が爆ぜた。破片がシルビオ達に降りかかる。


「おいおい……馬鹿言っちゃあいけねぇや。先にティナに呪いをかけたのはどっちだ? てめぇらだろうが。人を呪わば穴二つ――――ウチじゃ解けないなら、いっそ似たような呪いをかけたって良いんじゃねぇの」

「アリマ、止めろ!!」


 凶悪極まる彼女を止めなければとアルフレートは声を張り上げる。
 が、有間は片手をひらりと振る程度だ。その時手の甲に目のような物を見た。……邪眼だ。

 有間はゲルダに右掌を向けた。


「残念だったな。ウチを呼び起こしたのが運の尽きだ。ウチは有間と同じ存在ではあるけれど、違う」


 ウチは陰。
 死や、否定が領分なんだ。
 左手で彼女の頭を撫でて声を張り上げる。小馬鹿にするような笑声が、ゲルダのひきつった悲鳴に混じった。


「さぁてさて、有間の為にもしっかりお仕事をしておかねぇとな」

「アリマ……!!」


 己の足に抵抗する。
 彼女が取り返しの付かないことをする前に何としても止めなくては――――!


「待つんだアリマ!! 彼らを殺せば、ティアナは助からないかもしれないんだぞ!?」


 これで少しは――――。

 が。

 有間の返答は彼の予想を裏切るものであった。


「それがどうかしたか?」

「な……っ!」


 絶句。

――――それがどうかしたかだって?
 有り得ない。
 そのような言葉、有間が言うことではない!

 顎を落とすアルフレートに有間は左手で顎を撫でながら苦笑し、肩をすくめた。


「アル。だから言っただろ? ウチと有間は同じだけれど全く違う。陰が領分のウチには、《助ける》なんて無ぇんだよ。ウチには、有間の否定や拒絶を発散させる役目しか無い」

「それは、どういうことだ。お前の言い様は、まるで有間とは別の存在のように聞こえる。だが同じとも言っている」

「同じ存在であり、同時に違う存在。分かりにくいだろうが、それがウチさ。で、もう下らねぇ雑談止めにしようや。《あいつ》が来る前にちゃちゃっと終わらせ――――」


 刹那である。
 有間が不意に左に飛び退いた。
 舌打ちして両手を前に突き出す。

 アルフレートの前に影が着地したのと同じくしてようやっと足が解放された。

 影から距離を取った彼は双剣を構えた。
 そうして、影が自分の記憶と重なるのに、隻眼を細めるのだ。


 闖入者(ちんにゅうしゃ)は、邪眼一族――――有間の父だった。


「狩間(かるま)。戻れ」


 くぐもった声も記憶と一致する。

 有間は「畜生」と吐き捨てた。


「来るの早過ぎんだよ、鯨(いさ)」

「お前の存在は、有間を知る者に知られてはならん」


 有間は何度目かの舌打ちをして、片目を眇めた。


「こんな風にしたのあんたじゃん」


 あんたが有間の父親を見殺しにさえしなければ、ウチが残ることは無かった筈だ。
 面倒臭そうに言う有間に、アルフレートは目を剥いた。

 邪眼一族の男は、何も言わなかった。



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