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あのシルビオという男は、船でマティアス達を襲った黒猫であった。
彼は明日の同じ時間を期限とし、アルフレート達を殺して地下通路に来ることを要求した。
三人の命と、ティアナの命。
天秤にかけるには、一つのひとつの命そのものが非常に大きすぎた。
ベッドに腰掛けティアナの頬を無言で撫で続ける有間は終始俯いていた。
マティアス達も部屋に会(かい)し、ティアナの様子を不安そうに見つめる。
と、唐突に有間が声を漏らした。
「マティアス」
「……何だ」
「地下通路って……確か薬屋だったよね。パン屋の隣の」
マティアスは唐突に何を言い出すのかと眉根を寄せ、肯定する。が、そのすぐ後にその意図を汲んだ。
「まさか、単身で行こうとは思っていないだろうな」
「さあ、どうだろう」
白髪から垣間見えた口角はつり上がっている。その笑みに不穏な何かを感じた。
アルフレートを見やれば、思案顔で有間をずっと見つめている。その隻眼は探るような眼差しだった。
先程念の為にと金の粉を使って人間に戻ったクラウスも、アルフレートと似たような表情で有間を見下ろしている。
エリクとルシアは徹夜させることは出来ないからと休ませているが、きっとまだ起きているだろう。
皆、ティアナと有間の様子を案じているのだ。
「……アリマ。ゲルダ達のことは俺達に――――」
「任せてこうなったんだよね」
す、と顔を上げる。
その眼差しに一同は息を呑んだ。
黄色――――否、金だ。
深く落ち着いた紫をしていた筈の彼女の双眸は、金色に透き通っていたのである。
何故、と問う間すら拒絶するように、有間は立ち上がった。
「ごめん。これは完全にうちの落ち度だ。今のは八つ当たり。ちょっと頭冷やしてくるよ。……一人で」
ふらりと部屋を出ていった彼女は、マティアス達を完全に拒絶していた。
パタンと閉められた扉を見つめる。
ややあって、問うような視線がクラウスに寄せられた。
彼女の瞳の変化について、付き合いの長いクラウスならばと思うのは至極当然のことである。
だが、クラウスもかぶりを横に振るのだ。
「アリマのことは、俺はほとんど知らない。ヒノモトから逃れていた頃から一緒にいた、ティアナの両親なら知っているだろうが……」
有間があまり己の深い部分を晒そうとしないのはマティアス達にも分かっていることだ。
クラウスですら、有間のことをよくは知らない。ややもすれば、ティアナも。
今はその秘密主義が厭わしかった。
マティアスですらそうなのだ。
アルフレートはさぞ焦れったいことだろう。
本当は追いかけたいだろうに、有間の拒絶を律儀に守ってここに留まっている彼の組んだ腕。爪が深々と食い込んでいた。
「今は、ティアナが目覚めるのを待とう。ティアナなら、知っているかもしれないしな」
「……そうだな」
有間が一番信頼しているのはティアナ。
それ故、自分達に比べれば隠し事はずっと少ない筈だ。
予断を許さないティアナではあれど、せめて有間の瞳の変化くらいは知りたいものだ。
それにティアナが目覚めれば、自分達もひとまずは安心出来る。
それから対策を練っても、遅くはない筈だ。
マティアスは己の手を見下ろし、ぎゅっと握り締めた。
‡‡‡
ティアナが目覚めたのは、日が昇ってすぐのことだった。
漠然とした意識の中でティアナは上体を起こし、部屋の中を見渡す。胸に小さな痛みを感じたティアナは首を傾けた。
しかし窓の外を見てぎょっとする。
「私……」
いつ寝たんだろう。
ふらりとベッドから降りて部屋を出ようとすると、その前に扉が開かれた。
ルシアだ。
彼は目を真ん丸に見開いて声を張り上げた。
「ティアナ! 起きたのか!?」
「え、ルシア……?」
いやに仰天したルシアに、ティアナは困惑する。
どうしてこんな大袈裟な……。
眠る前に、何か遭ったかしら?
ベッドに腰掛けて記憶を手繰る。
昨日は――――そうだ。
クラウスが動物になってしまって、それから有間と話をするからと自分の部屋に入って……日付が変わったのだ。
そしてマティアス達のことを聞きつけた女性が大勢押し掛けてきた。
その近所迷惑になりかねなかった事態が収まった後――――。
「そうだ、私、ゲルダに……!」
胸に触れながら青ざめた。
そこに傷は無い。
確かに短剣が吸い込まれたというのに。
あの感覚だけはいやに鮮明で、ぞわりと身体が震え上がった。
あれは絶対に現実だった。
感触はリアルに思い出せるのに、傷だけは何処にも無い。
何故、自分は生きている……?
「私……ゲルダに刺された後、気を失ってたのね。あの後何があったの? どうして私……」
「ゲルダの目的は、お前を殺すことでも、身体を傷つけることでもなかった」
「あ――――」
ティアナの問いに答えたのはルシアではない。
彼の声に上がってきたマティアスだった。
マティアスの後ろにはクラウスは勿論、アルフレートやエリクの姿もあり、ティアナの様子に一様に安堵している。
「ボク、アリマを起こしてくるね!!」
「オレも行こう」
「え、アリマもどうかしたの!?」
「ただ寝ているだけだ。精神的にショックが大きかったらしいからな」
有間は無事。
そのことに安堵したティアナは全身から力を抜いた。顔を上げて話を元に戻した。
「えと、じゃあ、ゲルダ達の目的は何だったの? 私の身体に刺さったあの剣は……」
「お前の胸に突き立てられたのは、時間をかけながら、確実にお前の息の根を止める……呪いだ」
驚愕。
時間をかけながら確実に命を奪う呪い、なんて。
左胸に当てられた手が震える。
突きつけられた事実にティアナは色を失った。
どれだけの時間がある?
どれだけの、猶予が?
「いつかはわからないけれど、その呪いが確実に私の命を奪う……そういう、ことなのね」
怖い。
呪い。死。
その単語に言いしれない恐怖を覚え全身が冷めた。震えるのは、寒いからなのか、怖いからなのか。
何処へともなく逃げ出したい衝動を押し止めたくて強く下唇を噛めば、マティアスがそっと唇を撫でた。
驚いて身体がびくついた。
「傷が付いてしまう」
「……ご、ごめんなさい」
まさか自分が狙われることになるなんて思わなかった。
けれども、それが有間でなかったことは、喜ぶべきことかもしれない。
呪いを身に受けたのが自分だけで済んだのだから――――。
無性に、有間のあの間延びした声が聞きたくなった。
「マティアス。あの、アリマは……」
「その前に、アリマについて一つ訊ねたいことがある。良いか?」
「何?」
「お前をこの部屋に運び込んでから、アリマの目の色が黄色というか……金に変わっていた。お前にはその意味が分かるか?」
「え――――」
アリマの目が、金色に……?
その瞬間ティアナの脳裏に母の言葉がよぎった。
『アリマちゃんが怒って、目の色が黄色――――いいえ、金色に変わってしまったら、絶対に目を離さないであげて。あなたがずっと一緒にいてあげて。金色の目をしたアリマちゃんは、とても危険で、悲しい子になってしまうから』
どくり。
……いけない。
どんなことがあるのか、はっきりとしたことは分からない。
けれども、母の言葉には声音よりももっと真摯な――――恐ろしいことが起こるような気がしてならないのだ。
アリマの傍にいなくては!
衝動に押されてティアナは部屋を飛び出した。
マティアスやクラウスが呼び止めるが、それよりも有間だ。
母親の言いつけ通り、有間の傍に……。
「アリマ! アリマ、何処にいる!?」
「アルフレート!」
一階を忙しなく探し回るアルフレートに駆け寄って何事かと詰問すると、有間が忽然と姿を消してしまったらしい。
ざっと青ざめた。
「大変……! 早く捜さないと!」
「おい、ティアナ! 一体どうしたと言うんだ」
クラウスの問いに、ティアナは叫ぶように答えた。
「お母さんが言っていたの! 黄色の目をしたアリマからは絶対に目を離しちゃいけないって……とても危険な子になるって!!」
直後、アルフレートが家を飛び出した。
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