邪眼一族は遙か東の国、ヒノモトで恐れられた一族である。妖術を扱うことから魔物の一族とも言われ、ゲンブ地方の厳しい奥地で人間の世界と一切を断絶した暮らしを営んでいた。
 しかし、突如としてヒノモト全体が討伐軍を編成し、殲滅に着手する。

 未知の力を生まれながらにその身に持っていた彼らは、妖術で以て対抗した。彼らとて、この大いなる大地に生きる生き物。強制的に与えられる死を甘受することなど出来なかったのだ。

 圧倒的な兵力とに、人間を超越した妖術で対抗する――――戦は季節が一巡りする程まで続いた。
 いつしかヒノモトの人口は半数までに減少した。邪眼一族の妖術に躍起になったヒノモトの最高司令官が、ついに少年兵、少女兵までをも結成し、特殊特攻隊として戦場へ連行し始めたのだ。

 元々暴政傾向にあったヒノモトは、この最高司令官の暴挙によって一気に反乱の気運が高まる。
 徐々に疲弊した邪眼一族の勢いが失われつつあった頃、戦が集結するか――――そう思われた時期を見計らい反乱軍が狼煙を上げた。主に女性を集めた反乱軍は、高名な呪い師花霞(はながすみ)姉妹を大将とし、その呪殺を補佐することで国の要人を密殺し、外部からじわりじわりと政府のことごとくを破壊していった。
 反乱後、花霞姉妹は当時の王を最後に己らの手で殺し、新たに王位に就いた。

 そして、旧政府に代わり、邪眼一族の掃討に努めた。

 人々はこれを、『桜の黎明』と呼ぶ。




‡‡‡




「珍しいな。お前が母国の歴史に興味を持つとは」

「ん……まあ、ちょっと思うところがありましてね」


 分厚い本を閉じ、彼女は顔を上げた。
 薄手のマフラーを首に巻き、袖で隠れてしまう手にはこの国では見慣れぬ文字の書かれた真っ黒な手袋――――脹ら脛以外肌を露出させず身体のラインすらも隠す身形をした彼女、有間は見かけこそ少年ではあるが、れっきとした女。齢十六の娘であった。

 白銀の髪を揺らし、桔梗の如き色合いの双眸は傍らに立つ青年を捉えた。


「うちだって、たまに国に興味を持つことくらいあるんですよ。これ、借りて良いですか?」

「ああ。そんな奥にあるような本、どうせ誰も借りん」


 眼鏡のブリッジを押し上げ、彼――――クラウスは有間の頭に手を置いた。さらりと撫でてやれば、やんわりと剥がされた。

 有間は立ち上がると本を大事そうに抱えてクラウスに頭を下げる。


「じゃあ、借りていきますね」

「手続きは俺がしておこう。くれぐれも返却期限は破るんじゃないぞ」

「分かってますよー。では、忙しいところ失礼しました」


 間延びした声で応じ、有間はゆっくりとした足取りでその場所――――王立図書館を後にした。
 門を通り過ぎれば、賑わいが鼓膜を震わせる。ふわりと甘い花の香りも鼻孔を通り抜けた。

 このカトライアは温暖で華やいだ空気の、かつて彼女が暮らしていた場所とは正反対の小国だった。
 人も優しいし、暮らしていてとても安らぐ。気ばかり張り詰めていた故郷とは大違いだ。本当に過ごしやすい。
 いつかヒノモトに帰る時、きっと自分は惜しむだろう。

 来たばかりの頃は平和過ぎると逆に疑心暗鬼になったりもしたが、今ではもう親しみすら感じていた。


「おや、アリマじゃないか。今日は仕事は無いのかい?」

「うん。今日は定休日だよ。相談事はまた明日ね」


 家の近所に住む主婦にすれ違い様話しかけられ、有間はふにゃりとした笑顔で返事をした。
 この国で暮らすようになってまだ数年だと言うのに、彼女は家の周りではちょっとした有名人だった。世話になっている人物達の影響もあるだろうけれど。


「今日はどうしようかなあ。このまま帰って本を読むのも良いけど……キンバールトの森まで散歩に行こうか、適当にその辺ぶらぶらしようか……」


 のんびりとした時間が、有間は大好きだった。ここまで暢気に過ごせるのはカトライアだからこそ。故郷ではそんなの許されなかったし、そもそもそんな風に暮らしていたら即、死だ。危機管理能力が無い者は確実に命を落とした。
 だからこそ、この平穏な暮らしが愛おしい。

 有間はふと立ち止まって天を仰いだ。
 真っ青な空には雲一つ無く。心地良い快晴である。
 鳥が一羽、飛び去っていった。


「あ……そう言えば、ティアナ何かと邂逅する日って、今日じゃなかったっけ」


 帰ったら当たったかどうか訊かなきゃ。
 本を抱え直し、有間は視線を前に戻した。再び、歩き出した。

 今日は街を一周してみよう。帰る頃には夜になるかもしれないけど、ま、晩ご飯に間に合えば良いよね。
 怒られはするかもしれないけれど、その時はその時だ。謝れば良い。
 有間は鼻歌を交えて雑踏の中に紛れ込んだ。


「よお、アリマ! 今日の俺はどうなってる? 賭に勝てそうか?」

「営業時間外でーす。また明日お願いしますー」

「あんた! また何か賭けてんのかい!? いい加減お止めよ!」

「いてて! 母ちゃん! そんなぶたねぇでくれよ」


 いやー、平和だ。
 平和って良いね。
 有間はにこやかに独白した。



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