7
ムスケル高原を後にしたアルフレートは、次も街の外を回ってみたいと申し出た。
気を遣わせたと思いつつ、有間は気分を無理矢理に上げて、グロースの丘へ向かった。
街並みを見下ろせるその丘は愛くるしい花々に埋め尽くされ、風が花の甘い香りを運んでくる。
美しい光景にアルフレートは感嘆に声を漏らした。
「ここは……すばらしい景色だな」
「確か、グロースの丘って名前だったかな。たまにしか来ないけど、季節ごとで景色が違うんだよね。ここからはカトライアも見えるし」
「……二十年前に、一度灰になったとは思えない美しさだ」
二十年前。
その単語に有間は僅かに反応を示した。
「知ってるの? 二十年前の戦争」
「いや、まだ物心がつく前だったから、当時のことを知っているわけではないが……カトライアの半分が灰になったことは、年配の兵士たちからよく聞かされていた」
それを体験した者の苦労や悲しみは、筆舌に尽くしがたいものがあるのだろうな。
悲哀の滲んだ彼は、労るような目をカトライアに向ける。
戦争のことは、誰も話したがらない。
ただ……カトライアの国民達はかつての街並みを愛していたからこそ、躍起になって元に戻そうとしていたとは、小劇場の主人から聞いたことがある。
そうして、今の街があるのだ。
「アリマは、この街並みが好きか? それとも、ヒノモトの方が好きなのか?」
「さあ、どうだろう。ヒノモトには故郷って言える程住んでいた場所は無かったし。確かにカトライアは居心地が良いし、平和って良いなあとは思うけど、戦争になれば多分うちは簡単にここから逃げられるよ。どうなろうが知ったことじゃない。この街に住み着くまでそう言う暮らしだったし。見捨てるのももう慣れてる」
それでも、ティアナは待つと言った。
この国に有間が戻ってくると思っているから、待つと。
けれど本当にそうなった時、自分はカトライアに戻ってくるだろうか。
……自分がこのカトライアに戻ってくることに違和感は感じない。けれど、戻れる程の勇気はあるだろうか。
「うちは戦禍からずっと逃げてきたんだから。カトライアに長くいたとしても、それはきっと変わらないよ。うちも父さんも、友達を沢山見殺しにして、死体を放置して逃げてきたんだ。今更、変わらないさ」
有間に浮かぶのは自嘲の笑みだ。薄情なことを言っている、けれど、事実。
「君は、何の為に剣を振るうの?」
笑みを消し、無表情でアルフレートを見上げると、彼もまた無表情で。
ややあって、
「……オレはファザーンや、友であるカトライアを守るために、この剣を使いたい」
「……」
有間はふっと笑った。
「昔ね、似たようなこと言ったヒノモト人がいたよ」
そいつ、うちが無惨に殺してやったけど。
嘲笑うように言って、有間は歩き出す。
その廃れた暗い笑みに、一瞬だけアルフレートが顔を歪めた。
彼のことを無視して、そのまま歩き出す。
空はすでにどんよりとした灰色の雲に覆われていた。これは一雨来そうだ。
これは早めに戻った方が良いかも……。
と、天を仰いだまさにその時である。
目尻に滴が落ちてきた。
「あ。やべ。アルフレート、雨降るよ。多分通り雨だ」
言って、有間はカトライアに向けて駆け出す。
土砂降りになるまで、さほど時間はかからなかった。
‡‡‡
身体を打ち付ける激しい雨粒に、有間もアルフレートも辟易する。
カトライアに戻って適当な家屋の軒下に駆け込んだ時は、二人ともびっしょりと濡れてしまっていた。
「うへー。借り物なのに……」
「まだ止まないな……」
目を突き刺すような強烈な光。
数秒遅れて、轟音。
有間は天を仰ぎながら「近かったね」と何の感慨も無く言った。
「ああ。暫くはここで雨宿りしていよう」
「そうだね」
鬘(かつら)の髪を一房掴み、絞る。結構な水が出た。
「洗って返さなきゃ駄目だわこれ」
「すまない。オレが外を歩きたいと言ったばかりに……」
「それは別に良いよ。気を遣わせたうちが悪いし」
有間はアルフレートを見ずに、ひらひらち片手を振った。
彼女は、グロースの丘から様子がおかしかった。
普通にしている筈なのに、何処か遠くを見ているような印象を受ける。
そして、何かを嘲っている風にも。
戦争の話などするべきではなかった。そんな話をしなければ、彼女はこんな風になることも無かっただろう。
アルフレートは己の至らなさを呪った。
「アリマ」
「んー?」
「……いや、何でもない」
「そう」
……マティアスであれば、上手いことを言えたかもしれない。
何を言えば良いのか、全く分からない。
後頭部を掻いて、口を開けては閉じるを繰り返した。
それを胡乱げに見上げていた有間はふと、アルフレートの頭に何かを見つけたようだ。
アルフレートを呼んで前に回り込んだ。
「何だ」
「ちょっと屈んでくれない?」
言われた通りに身体を折り曲げると、有間は彼の頭に手を伸ばした。
何かを取ったようだ。
「もう良いよ」
「何かあったのか?」
「花弁。何処で付いたんだろうね」
雨で濡れた花弁を振り落とし、隣に戻る。髪を後ろに流した。
また天を仰ぐ有間を見下ろすと、自然と白い髪が張り付いた首筋に目が行ってしまう。
いつもと違って女らしい姿の彼女は以前見たような化粧をし、雨水も滴って服が肌に張り付き色気がある。
加えていつもはマフラーに隠された首筋が見える上に、ままに衣服の合間から胸元が見え隠れするのだ。
アルフレートは、視線を逸らし一人ほうと吐息を漏らした。
「どうしたの?」
「い、いや、何でもない!」
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