強い人間を一生の伴侶に。
 それが民族の中の風習であるのなら仕方がない。そう身体に染み着いているのだから、仕方がない。
 そう思うが――――生憎と有間はその民族ではないのだ。

 とうとう席を立ってじりじりとヘルタータと距離を取ろうとする有間に、彼女は楽しそうに笑った。
 しかし、その眼光は獲物を狙う獣そのものである。
 これは本当にヤバい。


「あのですねヘルタータさん。うちはあなたの民族ではないので! その風習には従えないんですがね……!」

「大丈夫。外部から無理矢理連れ込んだ人も沢山いるわ」

「あんたの民族何やってんの!?」


 無理矢理て!
 いよいよ身に迫る危険に有間は全身から血の気が引いた。
 どう打破すべきか――――されども頭に浮かぶのは古文書などの一節だったり、遠い昔の偉人が残した漢詩だったり。ともすれば口から出てしまいそうなのを必死に押し止めてヘルタータに背を向けた。

 猛然と逃げ出す。

 しかし、ヘルタータは矢を番(つが)えたのだ。――――笑顔で。
 何処の民族だよこんな危ない風習持ってんの!!
 半泣きになりながら有間は矢を避けつつ観客席を逃げ回る。

 すると、こちらの様子に気が付いたアルフレートが有間を呼んだ。……返事を返せる訳がない。こちとら必死だ。


「ちょっ、マジ無理ですって!!」


 猿のように跳躍して距離を取ってもヘルタータも俊敏な動きを以てしっかりとついてくる。
 有間はスカートで、時々翻った時に際疾い部分まで見えてしまうので、それを押さえつけるという無駄な動作を入れてしまうのも、ヘルタータが追いつける一因だった。これが、下にズボンか何かを履けていたら気にすることは無かったのに。サニア達はそんな物、全然用意してくれなかった。

 心の中で嬉しそうに笑うサニア達小劇場の女性陣を思い出し、ずんと鉛が落ちたように沈んだ。

――――と、有間はそこで己が今までいた場所の正反対に至っていることに気が付く。前方には同様の造りの出入り口がある。
 仕方がない。これは非常事態だ。
 このまま闘技場の外へ逃げよう!

 が、飛び込むと同時にそこからアルフレートが現れ正面からぶつかった。
 アルフレートに抱き留められてすぐに背後に庇われる。


「あら、あなた……確かアリマと一緒に――――」

「……あの時の対戦相手か。アリマに何か用だろうか」


 剣呑なモノを感じたのだろう、アルフレートは得物を手にしてヘルタータを睥睨する。

 有間もアルフレートの後ろからヘルタータを睨んだ。危機感から、もう攻撃するか逃げるか、選択肢はこの二つしか無かった。

 不穏な空気が取り巻く中、しかしながらヘルタータはマイペースだ。アルフレートの静かな気迫など意にも介さず、首を傾ける。


「どうしてそんなに嫌がるのかしら。ヒノモトって文化的に同性愛があるじゃない。男が男の夜伽をするのもあっちじゃ普通だって聞いていたけれど?」

「…………は?」


 有間は一瞬だけ思考が止まった。
 ……今、彼女は何と言ったか。
 同性愛? 文化的?
 男が男の《夜伽》――――?

 有間はアルフレートの服を摘んで数度引っ張った。


「……どういうこと」


 アルフレートは不思議そうな顔をする。


「知らなかったのか? 確かヒノモトでは男色だとか、衆道だとか言われていると、以前聞いたことがあるが――――」


 ……。

 ……。


「今、衆道って言った?」

「? ああ……」


 ……マジで?
 有間は暫し沈黙し、よろよろとアルフレートから離れると、頭を抱えてその場にしゃがみ込んでしまった。


「アリマ?」

「……道とは、民をして上と意を同じうせしむるなり。故に、以て之(これ)と死すべく、以て之と生く可(べ)く、而して危うきを畏れざるなり」


 ぶつぶつと呪言のように呟き出した彼女に、アルフレートは困惑する。
 勿論、有間が混乱するとヒノモトの書物をそらんじることはティアナから聞いていた。
 だが、てっきり彼女も知っていたと思われた衆道でこんな風になるとは予想出来なかったのである。

 アルフレートが有間の肩に手を置くと、瞬間彼女は「うわああぁ!!」と大音声を上げてアルフレートから距離を取った。様子がおかしい。


「……ふ、ふ、」

「ふ?」

「不埒だぁぁぁ!!」


 叫ぶや否や彼女は一目散に逃げ出した。

 慌てたのはアルフレートである。


「待てアリマ!!」

「あら、知らなかったのね。あの子。恥じらっちゃって可愛い」


 恥じらっているのではないと、アルフレートでも分かることだ。
 けれどもそれを指摘する暇すらも惜しい。
 アルフレートは兵士達に声をかけ、大急ぎで有間を追いかけた。


「アリマにまたね、って言っておいて」


 ……これは、有間の為に無視しておいた方が良さそうだ。



‡‡‡




 今日は良く人に衝突する。


「うわっ!?」


 脇目も振らずに走っていた有間がぶつかったのは、ルシアだった。その側にはエリクもいる。
 姿を見られたくないと思っている面々であったのだが今の彼女にそれを気にする程の余裕は無かった。

 ルシアが有間の姿に仰天し、エリクが完全に泣いている有間に狼狽する。


「ど、どうしたのアリマ! 何か遭ったの?」

「……ぐす、」

「え、マジで泣いてんのかお前!?」


 エリクがハンカチで目元を拭ってくれるが、それでも有間の涙は止まらない。

 すると、そんな折アルフレートが追いついてくる。
 咄嗟にエリクの背後に隠れてしまったから、彼が何かをしたと思われるのは必至である。

 エリクはキツく腹違いの兄を咎めた。


「アルフレート! アリマに何したの!」

「何って、いや、オレは特に何もしていないんだが……ただ、知らなかったらしい衆道の意味を知った途端取り乱して走り出したんだ」

「しゅーどー?」

「エリクは知らなくて良い」


 聞き慣れぬ言葉に首を傾げたエリクの頭を撫で、ルシアは有間を見やる。
 ルシアやアルフレートからすれば、ヒノモトでも常識のようなものだという認識だ。実際、ヒノモトの人間はほぼ全て認知している。

 だのに、ヒノモト人の有間が衆道の意味を知らぬとは……。
 誰も教えてくれなかったのかと問えば、彼女はずびっと鼻を啜り、


「……父さんが知らなくて良いって。調べるなって」


 と。

 ルシアとアルフレートはそれで納得した。


「…………あー、滅茶苦茶大切に育てられてきたってことか」

「そのようだな」


 取り敢えず、有間の頭を撫でてやった。



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