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 アルフレートは有間の隣に腰を下ろす。

 有間はその様子を流し目に見つめながら、ふと口を開いた。


「寝なくて良いんですかー?」

「ティアナが、有間についていようとしていたからな。オレがその役を代わった」


 「女性にとって、夜更かしは大敵だと聞いたことがある」と、彼は言って遠回しに有間にも寝ることを勧めてくる。
 有間はへっと鼻で笑い、手摺りから離れるとそれに寄りかかるように座り込んだ。


「別に、もう出て行きはしないさ。さすがにバレてちゃぁね」


 暫くは抜け出さないさ。
 そう言うと、アルフレートは一瞬だけ沈黙した。

 そして、


「ティアナの様子を見ていると、家の人間に黙って抜け出すのはこれが初めてという訳ではなさそうだが?」


 有間は苦笑を浮かべた。首肯して遠い目をした。

 確かにカトライアで暮らすようになって数年は、ティアナにもベリンダ達にも黙って家を抜け出しては町を歩き回っていた。有間の誘拐沙汰も大概がその間のこと。

 そうすると、必ず見つけてくれるのがフランツで。怒るのはベリンダの仕事だった。大して怖くもなかったので、右から左に聞き流していたけれど。
 二人がいない時はロッテとティアナ、たまに帰省したクラウスが有間を捜した。

 フランツに代わって有間を見つけるのはティアナだった。どんな場所にいたって必ず見つけて、怒りもせずに『無事で良かった』なんてだけで済ませる。怒ることは絶対にしない。ただ、カトライアをぐるっと見て回って家に帰るだけ。


「昔はこの家にいるのが落ち着かなかったんだよなー……」


 ぼそりと呟く。

 平和過ぎる。
 突然得られた《家》。
 けれどもそこには独りで。側にいて欲しい父親なんていなくて。
 当時はこの空間が地獄だった。

 クラウス曰く。
 彼に初めて紹介された時は手負いの獣だと思ったらしい。
 強(あなが)ち間違ってもいない。実際、手負いの獣並に周囲を警戒していたから。

 今の自分の姿など、昔の自分は想像だにしなかっただろう。

 そう思うと、それはありがたいことなのかも知れない。


「アルフレートさん」

「何だ」

「……やっぱ平和が一番だよねー」

「……そうだな」


 争い事なんて無いに越したことは無い。
 けれども、人間は衝突する生き物だ。それは自己がある証明であり、己の意志を示す一種の手段だ。
 強く否定出来ることでも無いけれど、せめてお偉いさんが何処かの草原で殴り合うだけで済ませて欲しい。……シュールな絵面だなんて一切気にしないで。

 冗談混じりに提案してみると、アルフレートは有間の予想の斜め上を行った。


「成る程……それなら戦の必要が無くなるな。国民の憂いも無くなる。ただ、やはりそう言った場には罠が張られるものだ。それを事前にどう牽制するか――――」

「え、ちょっとマジ? マジにしてる? 君そこまで馬鹿じゃないよね? 真面目に考えるの止めてくれないかな」

「冗談だ」


 ふっと笑ってアルフレートは有間を見やる。


「さすがのオレでも、それが安易すぎる方法だと分かる」

「だよね。ああ、良かった。冗談を真に受けられたら何か色んな人に申し訳なくなる」


 少々大袈裟に胸を撫で下ろす素振りを見せると、アルフレートは咽の奥でくつくつと笑った。

 つられて、有間も口角を弛めた。
 アルフレートと冗談を交わしたからだろうか、幾らか気分も浮上した。
 けれども、それも一時的なもの。独りになればすぐにでも沈み出すだろう。
 もっと切り替えの良い頭だったなら、楽だったろうに。

 弛んだ口が自嘲に歪んだ。

 アルフレートが不思議そうに有間を呼んだ。

 それにはっと作り笑いを浮かべてみせる。


「……ああ、うん。今日はここで寝るよ。久し振りに星空の下で寝たくなったから」

「寒くはないか?」

「うちは寒い方が過ごしやすいんだ。元々極寒の地で育ってるから」


 アルフレートは承伏しかねるような顔をして、ふと腰を上げた。
 彼ももう寝るのだろうと思った有間は彼に「お休み」と声をかけて目を伏せた。
 こんなぐちゃぐちゃに騒ぐ頭では、眠れないだろうことは分かっている。けれど、睡眠に逃避したい。寝ればきっと頭は勝手に冷静さを取り戻していると、そう思っていたい。

 有間は長々と嘆息した。


「いっそ死んでてよ、父さん」


 その方が楽なんだよ、うちとしてさは。
 ぼそりと呟いた声は冷たい夜陰に溶け込んでいく。



‡‡‡




 アルフレートが立ち去って暫く。
 階段を上がるような足音が聞こえて、有間は眉をぴくりと動かした。けれども、瞼は下ろしたまま。

 その、二つ重なった足音は階段を上がってしまうと何故かベランダの方へと近付いてくる。


「……あ、もう寝ちゃってる」


 この声はティアナか。
 狸寝入りを続けていると、身体に何かがかけられた。感触から察するに掛け布団(キルト)だろうか。
 必要無いのに、と心の中でぼやく。

 と、左に何かが座り込んだようだ。


「じゃあ、アリマのことよろしくね、アルフレート」


 有間のことを気遣って小声でティアナは言い残し、足早に戻っていく。
 アルフレート、あんたは何をしてるんだ。
 うちに付き合う必要も無いのに。

 あの時だってそうだ。
 毒の平原にいた有間を放置しておけば良かったのだ。死のうが死ぬまいが、関わりの無い彼には何の関係も無いし問題が起こる訳でもない。
 普通の人間は、あんな態度を取られたら気分を害して構わなくなる。それが人身売買を生業とする人間であれば違ってくるけれど、アルフレートは食事まで与えてくれた。
 見ず知らず無関係の娘に世話を焼くなどと、有間には今でも理解出来ない。

 ……その点は、ティアナにも言えることだけれど。

 空寝を継続したまま有間は心中からアルフレートに問いかけた。
 君は何がしたいの、と。



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