……最悪だ。
 目の前に提示された衣服に、有間は口角をひきつらせた。

 おかしいな。
 どうしてかな。
 前回見せられた服とはまっったく違うように思えるのだが。
 胸元がばっくり開いているように思えるのだが!

 おかしい。
 前でにこにことそれはもう楽しそうな笑顔を浮かべたサニア。
 ごめんなんて言いつつも、その態度に悪びれというものは一切含まれていないのだ。


「ササササニアさんこれは一体……」

「ごめんなさいね。前の服、破けちゃったのよ。だから急いでこれを仕入れたんだけど……」


 嘘だ。
 これは絶対に嘘だ。
 その笑顔が雄弁に物語っているではないか!
 じり、と後退すれば背中からがっちりと拘束される。


「い、嫌だ……!」


 それが許されるのってティアナとかサニアさんとか、胸に自信のある人だけだから! っていうかうちヒノモト! ヒノモト人!!
 慎み第一と訴えても、


「大丈夫、隠れるように上からちゃんと被せるから」

「解決になってない!! ちょっ、誰か! 誰か常識的な人!!」


 ……残念ながら、彼女の望むような者はこの場には一人もいなかった。



‡‡‡




「こんにちは、ティアナ。いつも早い時間にお邪魔してごめんね」


 玄関先でロッテを出迎えたティアナは、笑顔で首を左右に振った。

 ロッテが笑顔で差し出してきたのは籠だ。芳香放つ焼きたてのパンと、ジャムが入っている。
 彼女の家のパン屋のパンも、ロッテのジャムも美味しい。
 それを小さな頃から知っているティアナは喜んだ。


「いつもありがとう、ロッテ」

「ふふ、どういたしまして。あ、それと……実は、ちょっとお願いしたいことがあるんだけど」


 言って、ロッテはティアナに渡した籠の中から小さな本と取り出した。
 首を傾げると、王立図書館から借りた本なのだそうだ。返さなければならないのだが、カーニバルで時間が取れないと。国外にも愛好者の多いロッテの店は、カーニバルの時期では大盛況だ。行列が出きることもある。

 ティアナも勿論手伝ったことがあるけれど、まさに忙殺された。休憩なんて全く無い程に。


「お城の方に行くついでで構わないから、クラウス兄さんに渡してもらえないかしら」

「わかったわ。それくらいおやすい御用よ」


 ティアナは二つ返事で頷いた。
 どうせ、クラウスに訊きたいこともあったのだし、丁度良い。


「ありがとう、ティアナ。じゃあよろしくね」

「ロッテもお店、頑張ってね!」

「ふふ、私の新作ジャム、たくさん売れるといいんだけど」


 ロッテは頬を赤らめて、家を出る。
 ティアナは表まで出て急ぎ足で店に戻っていく彼女の姿を見送った。

 見えなくなってから家に戻ると、アルフレートが丁度リビングから出てきた。


「ああ、丁度良かった。ティアナ。今から出てくるが、構わないか?」

「ええ。カーニバルを見に行くの?」

「いや、少々この町の地理を頭に入れておきたくてな」


 アルフレートは、「夕方には戻ろうと思う」と家を出ていく。
 それに、ティアナは呼び止めて、


「アリマは小劇場にいると思うわよ。今日は占いと、小劇場のお手伝いをするって言っていたから」

「……あ、ああ」


 ぎくりと身体を強ばらせた彼に、ティアナはちょっとだけ笑声を漏らした。

 扉が閉まると、ティアナの後ろでリビングの扉が開く。
 中から現れたのはにやにやと笑みを浮かべるルシアとマティアスだった。


「どうしたの、二人共」

「ようやくあいつも春かと思ってな」

「アルフレートの奴、そわそわしてたんだぜ? 朝早く出かけてったアリマを見送りしたのもあいつだしな」


 あの武一辺倒の男が、異性を気にしているのだ。
 ルシアはおかしそうに笑声を漏らし、マティアスは目元を和ませ、玄関を見やった。

 しかし、マティアスはふとその目を細めて、


「それに、先日のこともある。アリマの側にアルフレートを置いた方が良いだろう」

「あ……」


 言われ、ティアナはローゼレット城の庭園での出来事を思い出した。
 濃い緑の絨毯を赤く染め上げた夥(おびただ)しい血。
 今でも、辛い。
 あの光景は瞼にこびり付いたように鮮明で、ぞっとする。

 確かにマティアスの言う通りだ。
 また有間があの男に襲われるかもしれないのならば、アルフレートがいた方が確かに安全だ。

 あの男……恐らくは真実有間の父親だとティアナは思う。彼女はマティアス達の追求を飄々を交わしてたけれど、ふとした拍子に遠くを見るような目をすることが更に多くなった。有間の様子からも、きっと、間違いない。

 ティアナも両親も、クラウスやロッテ達だって有間が父親と会えることをずっと望んでいたけれど、こんな形は絶対に駄目だ。悲しすぎる。

 ティアナは同意し、深く頷いた。


「……そうね。アルフレートがいるなら、アリマが襲われてもきっと大丈夫よね」


 美しい庭園を一瞬だけ汚した凄惨な光景を振り払うように緩くかぶりを振り、ティアナはマティアスに笑いかけた。

 マティアスは、そんな彼女の頭をそっと撫でた。



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