家に帰ってすぐに有間はソファに横たわって身体を休ませた。
 吐いてしまったから胃の中に何も入れる訳にはいかないので、盛んに鳴る腹に辟易しつつ目を細めた。

 空腹が酷く、寝ようにもなかなか寝られない。
 かと言って何かをしようにも気怠い。
 暫く黙りと天井を見つめてばかりだった有間は、不意に口を薄く開いてか細い歌声を漏らした。


 雪月花 雪月花

 下駄の鼻緒が 千切れた おのこ

 青いおなごさ 雪女

 昔のお話 哀れな話


 雪月花 雪月花

 六花諸手に 踊る おなご

 赤いおのこの 恋心

 二人の恋慕は 遠いお話


 雪月花 雪月花

 怒る村人 罪赦すまじと

 おなごに焔(ほむら) おのこかこつ

 咎のお話 「あなおそろしや」


 雪月花 雪月花

 桜に混じった おなごの涙

 荒んだおのこ 今は亡く

 哀れな妖 おかしな末路


 雪月花 雪月花 雪月花 雪月花

 氷のおなごは 荼毘に付せ

 咎負うおのこに 天罰を

 月に叢雲花に風

 桜の下に二つの屍(かばね)

 紅い花が 不祥の死花が

 咲いた 咲いた 咲いた

 地獄の春は 来ん年に


 ……なんて懐かしい歌だろう。
 ローゼレット城で聞かなければ、そのまま忘れていた歌だ。

 まさか聞くことになるとは思わなかった。

 まさか――――父親とこの町で面を合わせるとは思わなかった。

 ごろんと俯せになって腕を伸ばす。袖から黒い手が現れた。
 甲の文様は父に施された封印の証。

 狭間は有間を殺すつもりは全くなかった。
 有間を本気で殺すつもりなら、先にこの両手の目を潰せば良かったのだ。有間という邪眼一族の小娘の一番厄介な部分と言えば、両手に備わった目だ。それを潰せば、後は簡単に殺せる。それ以外で、狭間には勝てないのだから。

 最初から、脅しのつもりだったのだ。牽制のつもりだったのだ。女なのだから痕が残るような怪我を作るなと口五月蠅く言っていた彼が、有間を害してまで。

 自分をルナールに関わらせるなと、彼は言った。

 その理由は何だ。
 有間という邪眼一族の中でも特異な存在をルナール側に知らせない為?
 それとも、単純に狭間が有間を始末しなければならなくなるから?

――――分からない。
 父のことは良く知っているつもりだ。
 けれど、どうして分からない?

 狭間が今何を考えてルナールに身を置いているのか。

 戦を、極端に嫌っていたじゃないか。
 民ばかりが苦しむだけの不毛な行いだと、唾棄していたではないか。

 ぎゅっと拳を握る。
 ……もう一度、あの手紙を見てみよう。
 もっと綿密に記憶を手繰れば、何か分かるかもしれない。

 クラウスに頼みに行こう。止めはされないと思う。昼にあのように言っていたのだから。

 明日朝早く城に行けば、話をするくらいの暇もあるかな。
 俯せのまま目を伏せ、有間は明日の予定を組み立てる。

 と、それを中断させるかのように、扉が開いてティアナ達がぞろぞろとリビングに入ってくる。
 マティアスやティアナの表情に有間は一瞬だけ目を細めた。

 ティアナは有間の側に座り込んで未だ土気色の顔を覗き込んできた。


「大丈夫? アリマ」

「うん。生きてる。まあ、明日まで休んでれば治るよ。……で、皆こっち来て、何か用?」


 ティアナが声を詰まらせた。

 問いつつも、彼らが――――否、マティアスが訊きたいことは漠然と察しがついている。

 だが、有間に答えるつもりは微塵も無かった。

 マティアスに目を向けて促せば、彼もティアナのように彼女の側に膝を付き、射抜くような強い眼差しで見据えてきた。


「単刀直入に訊く。お前達を襲ったのはお前の父で、ルナールの刺客か?」

「さあ、どうだろう」


 有間は嘯(うそぶ)いた。


「では、ティアナとエリクに聞いた、ルナールにお前の父がいるというのは嘘か」

「……」


 じとりとティアナを見やれば、彼女は申し訳なさそうに俯いた。
 口止めをしていたのに、マティアス達に押し切られたか。

 はあと溜息をつきながら有間は身を起こした。


「それは本当。でもだからって、同一人物だと言う証にはならない」

「けどお前、『父さん』ってあの時はっきり言っただろうが。オレ達にはちゃんと聞こえてたぜ?」

「言ったっけ? 聞き間違いじゃない? それか、幻聴か」


「んな訳あるか!!」


 ルシアの言葉も飄々とかわす。一貫して話さぬ姿勢を取った。

――――マティアス達は、王族だ。
 ファザーンの要人。
 おまけにマティアスは次期国王と来ている。

 ルナールに邪眼一族がいる。
 そしてこのカトライアにも有間という邪眼一族が。
 そうなれば、有間は協力を要請されるだろう。ルナールに対抗する為の戦力、兵器として。
 邪眼一族は、きっと外国でも人間としては扱われない。ヒノモトでの悪評しか伝わっていないだろうから。

 勿論、マティアス達の人間性を疑っているんじゃない。
 けれどもこれに関しては細心の注意は払わなければならないのだ。

 邪眼一族がルナール、ファザーンにいるとヒノモトが知れば必ずこの戦争に介入してくる。
 そうなれば、また逃げる日々。
 そうなった方がいっそ楽だけれど、逃亡する日々を考えると気分は暗鬱とする。しかも、今度は一人で逃げなければならないのだ。

 有間の態度から、それ以上の追求は無意味だと思ったのか、彼は吐息を漏らすと身体を反転させた。


「……分かった。今はそれで良いだろう。身体を休めておけ」

「へーい」


 マティアスにひらりと片手を振って、有間はへにゃっと笑った。



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