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 微睡みの中、頬にふさふさと心地良い感触を得た。

 浮上しかけてはまだ駄目だと沈もうとする意識の中、それだけははっきりと感じられた。
 そっと手で触れて撫でつけると、びくんと震えた。まるで生き物のような……。

 生 き 物?

 有間はそこで瞼を押し上げた。
 視界を埋め尽くしたのは灰色の絨毯だ。

 灰色というくすんだ色をしていながら、上質な手触りで艶やかな――――。


「高そうな毛皮……」

「剥ぐな!」

「うわぁ!?」


 大音声に驚いて飛び起きると、うぐっとくぐもった声が聞こえてきた。

 あれっとなって灰色を見下ろし――――言葉を失う。

 灰色の正体はアルフレートだった。伏せの姿勢で有間を見上げてくる。
 有間はぼやけた思考で自分がどんな体勢で眠っていたのかを考えた。
 頬に当たっていたのはアルフレートの体躯だ。多分、背中……?

 じっと睨むように凝視し、やがて納得したように掌に拳を落とした。


「うち枕にしてたのか。……あ」


 涎(よだれ)、と口の端を拭うと、彼は慌てた風情で己の身体を見下ろした。


「付いてないよ。出てなかった」

「……そうか」

「乾いてるだけかもしれないけど」

「……」

「嘘だよ。うち涎垂らして寝たこと無いよ」


 分かんないけど。
 心の中で付け加えて立ち上がる。

 アルフレートはまだ疑念の籠もった眼差しで有間を見上げてくる。

 有間は苦笑して肩をすくめて見せた。
 背伸びをしながら天を仰ぐ。
 雲一つ無い快晴、清々しい朝である。日の高さから察するに、いつもよりもだいぶ遅い時刻だろう。

 早くに起きて小劇場に向かう筈だったのが、仕方がない。

 ぐるりと首を回せばぼきっと音がした。


「ってか、起きてたんならそのままうちを放置して下に行けば良かったのに」

「いや、疲れでぐっすり眠っていたようだったから、憚られてな」


 そんなの気にしなくて良いのに。
 有間は立ち上がったアルフレートの頭を撫でてキルト――――アルフレート曰く、暑かったようで足で退かしてしまったらしい――――を畳み、小走りに家の中に入った。

 ぱたぱたと階段を下りるとティアナがリビングから出てきて「お早う」と笑いかけた。


「身体はもう大丈夫なの?」

「うん。体調は落ち着いてるよ」

「そう、良かった。朝ご飯出来てるわよ。といっても、食べていないのは二人だけなんだけど」


 先に食べてしまったティアナは有間に謝罪する。
 けれども、別に気にはしていない。むしろ待っていたら食べてて良かったのにと言うだろう。

 有間はキルトをティアナに渡し、朝食後に小劇場に休みを申し入れてくると伝えて台所に入った。アルフレートが入るのをちゃんと確認して扉を閉める。
 テーブルには芳(かぐわ)しい湯気を立てる料理が並べられていた。それが鼻孔に入り空腹を煽る。

 アルフレート用のスープも、ちゃんと温められて床に置かれていた。人間の姿であればちゃんと椅子に座って食事にありつけられるだろうに、生憎(あいにく)と先日金の粉を使い果たしてしまっている。

 テーブルについて両手を合わせて頭を下げた後、有間はサラダを口に運ぶ。

 アルフレートを見下ろして、あっと声を漏らした。


「……そう言えば」

「ん?」

「金の粉は今日買いに行くのかな」

「いや、今日はルシア達の強い要望で余分に残った金でごちそうを作るらしい。粉については明日になりそうだな」


 ……良いのかそれで。
 本当に戻る気はあるのかとアルフレートに問いかけると、「勿論だ」と即答。


「でも食い気には負けんのかい。あいつらの感覚が分からん」

「……すまない」

「いや、君が謝ることじゃないけどさ」


 牛乳を飲み、はあと溜息を漏らす。


「でももうちょい切迫感は持っておいた方が良いんじゃないかなあ……」


 薬屋で新しく調合してもらった金の粉で、完全に戻るとも限らない。
 確かに物事を深刻に、消極的に捉えるのも考え物だ。だが、だからと言ってこうも悠長にされても……真面目に考えてんのか、と思う訳で。


「用意が出来たんならすぐに行くべきだと思うんだけどなぁ……。その結果云々でご馳走にすりゃ良いのに。ってか、そっちの方が美味しいでしょ」

「……確かにな」

「ねー」


 まあ、どんなことを言ったとしてもティアナが許可をしたんなら有間には逆らう理由も無いのだけれど。
 有間はサラダを完食し、チーズスープに手を伸ばした。

 と、そこにティアナが扉を開ける。


「アリマ、今日の夕方にクラウスが来るそうだけど、大丈夫?」

「んー……まあやること無いし、多分大丈夫。あ、買い物は付き合うからね」

「ありがとう。ごめんね、昨日の今日でお手伝いしてもらっちゃって」

「別に気にしなくて良いよー」


 ひらひらと手を振って、有間は笑う。

 ティアナは再び礼を言い、マティアスに呼ばれて扉を閉めた。


「さあて、食べ終わったら小劇場に行ってこないと」

「大丈夫なのか?」

「いやいや、そこまで身体弱くないし。木の根食って生活してたこともあったし。結構タフだよ、うち。それに、何日間か休みますーって顔見せるだけだし。すぐ帰るよ」


 「行くくらいは問題無いって」有間は言って、ハムエッグにフォークを突き刺した。



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