有間は家に帰るなり、ティアナに疲れたからと言って彼女のベッドを借りた。
 ティアナは久し振りに両手の力を使ったからだと納得してくれたので、特に不審がりはしなかった。

 夕飯は要らないとして、一度も部屋を出ていない。ままにエリクやアルフレートが様子を見に来るが、寝たフリをしてやり過ごした。
 深く眠れれば良いのだけれど、元々そんな身体ではないし、目が冴えてなかなか睡魔は訪れてくれない。
 眠って忘れてしまえればどんなに楽だろうか。

 有間の頭を容赦無く殴ったのは、邪眼一族という事実だけではなかった。
 流れ込んだ過去の中に、彼女は烏(からす)を見つけた。
 邪眼一族の男で、烏を連れているなんて。

 そんなの、一人しかいないじゃないか。


「何で、あの人が……」


 分からない。

 ああ、頭がぐるぐるする。
 疑問符ばかりが頭を巡って安らぐ暇をことごとく奪っていく。

 暗鬱とした気分に苛まれて胸は重くなる一方だ。

 ティアナ達が夕食を取っている間に、有間はベッドを抜け出し、バルコニーから下に飛び降りた。

 外を歩こうと思ったのは何となく、だ。
 気が晴れるとまでは思っていない。けれどこのまま眠れずに徒(いたずら)に時間を過ごすよりも、ふらりと夜の町を歩いた方が、少しは楽になれるんじゃないかと思ったのだった。

 闇は有間にとって最も馴染み深い世界だ。

 女は陰。
 邪眼一族も陰。
 落ち着くのは本来陰に属する者であるからであるし、暗闇に身を潜めて敵をやり過ごすことも多かった。
 闇の中にいると、身体が緊張する。懐かしい昔の感覚に戻る。

 有間はのんびりとした足取りで、キンバールトの森を訪れた。

 森を包み込む闇は町のそれよりももっと深い。
 冷気が有間の身体を覆う。そのまま呑み込まれてしまうかもしれないと、そんな不安がよぎったのは一瞬だ。自分が闇を恐れるなんておかしな話だ。

 切り株に腰掛けて、有間は空を仰いだ。
 梢の隙間からほんの僅かに欠けた月が冷めた静寂(しじま)の横たわった大地を見下ろしている。数え切れぬ星々が、月に寄り添いながら懸命に自己を主張する。

 美しい夜空。
 そう思えるようになったのは、いつからだったか。
 昔は、この濃紺ですら紅く感じられた。美しいところなんて、まるで無かった。

 カトライアに来て、そうなったんだ。
 有間はほうと吐息を漏らした。


「――――父さんが生きてた、なんてさ……」


 信じられる訳がないじゃん。
 あの人が本当に死んでいたなら、いっそ楽だったのに。

 あの手紙に術を施したのは狭間――――今まで生死の知れなかった父親であった。

 有間にとって、それは嬉しい筈の報せだ。
 けれども今、重い鉛が胸に溜まって気持ちが悪い。

――――忘れてしまおうか。
 クラウスに嘘の報告をして、無かったことにしようか。
 城の地下で手袋をはめながら、有間はそう思った。本気でそうしようともした。……結局しなかったけれど。

 受けなければ良かった。
 知らないままでいれば、まだ……。


「あれ、お前こないだの――――」

「ん……?」


 不意に背中にかけられた声は、涼やかで、けれども強い響きも持ったそれは訝しげ。

 有間はゆっくりと振り返った。

 するとそこには、いつだったかティアナの家の近くで見かけた青年が不思議そうな顔して立っていた。その手には金色に煌めく美しい花が抱えられている。

 正直、うっとなった。
 この青年の魂魄を見ることになるなんて。
 ……折角アルフレート達の魂にも慣れてきたってのにさ。


「こんばんはー。お兄さん、こんな真っ暗闇の森じゃ、狼が出てきて危ないですよー」


 間延びした声をかけると、彼は呆れた風情で溜息をついて有間の横に立った。ぐるりと辺りを見渡して目を細めた。


「それを言うならお前もだろ。こんなところでのんびりしてたらどーぞ襲って下さいって言ってるようなもんだ」

「襲われたら、真っ先に群のリーダー格をねじ伏せれば良いんですよ。ってかそれ、この辺じゃかなり珍しい薬草ですよね。一つ分けてもらえません? それ使うと効力の強い薬が作れるんですよねぇ。ヒノモトの薬は、こっちじゃなかなか作れませんから」

「ん? ああ、別に一輪くらいなら良いぜ。今日は大量だったし」

「わー。ありがとうございます。お礼に今度無料で占って差し上げますよ。小劇場の前でやってますんで、どうぞお暇な時にー」


 ……って、自分は何を言っているんだろうか。
 魂魄を見たくないくせにまた会うようなことを言ってどうする。
 心の中でツッコむ。

 が、撤回しようにも時間は戻らない。
 おまけに青年は物珍しそうに、何処か期待の籠もった眼差しで有間を見下ろしている。うん。これは結構乗り気だ。


「人気の占い師がいるってのは聞いてたが、まさかその占い師に二度も会ってるなんてな。んじゃ、そん時はよろしく頼む」

「へーい」

「……ところで、」


 青年はそこで言葉を区切った。
 何かを言いたそうに開閉して、やがて意を決したように問いを投げてくるのだ。


「あのさ、お前が入っていった家に女の子いるだろ? もしかして姉弟? あ、まさか……好い仲、とか……」

「……」


 あ、分かった。
 この人うちの性別間違って認識してる。
 有間は苦笑して、


「言っておきますけど、うち、女の子ですよ。訳あって居候の身なんです」

「へ?」


 その時の、彼の頓狂な顔と言ったら無かった。



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