『ねえ、その手いたくないの?』


 彼女は、うちの素手を見るなりそう言った。
 不安そうに、心配そうに。
 そこに嫌悪が無くて、気味悪がるような色も無くて、ただただ戸惑った。

 だってヒノモトじゃ有り得ない物、忌むべき物だと言われていたんだ。
 彼女のような反応を見せるのは、同じ邪眼一族か、彼女の両親だけ。

 手袋を剥がされた時、詰(なじ)られることを覚悟した。怯えられることを覚悟した。

――――だのに、


『私、お医者さん呼んでくる!』

『え? ……だ、駄目!』


 彼女の厚意にぞっと背筋が冷えた。

 慌てて彼女を追いかけて腕を掴んだ。
 引き留めた時に掌が擦れて凄絶な痛みを伴った。
 思わず彼女から手を離してその場にうずくまると、彼女は青ざめてうちの掌を掴んだ。

 《それ》を凝視して、どうしようと泣きそうな顔をする。


『ごめんなさい、私……ごめんなさい』

『……大丈夫、だから。ただ擦れただけで、ちょっと痛かっただけ、だし』


 ……正直に言おう。
 この時、うちは彼女が怖かった。
 気味悪がらない、平然と心配して見下ろしてる彼女が、とにかく意味不明で異界の生き物のように思えて畏怖を抱いた。

 手を引こうとすると、彼女はそれを引き留めて『お医者様のところに行こう!』なんて、僅かに震えた声を出すのだ。
 だから、駄目なんだってば。

 どうして彼女は平気なんだ。
 どうして気味が悪い物なのだと思えないんだ。
 頭がおかしい。おかしすぎる。
 大丈夫だからと繰り返してとにかく手袋をはめようとしたうちに、彼女はしつこく食い下がった。

 どうしようかと途方に暮れた時、そこで彼女の母親が現れてくれなければうちは本当に医者のもとに連れて行かれていただろう。



――――もしあの時彼女以外の一般人にも両手のことがバレていたら。
 きっとうちは今、カトライアにいなかったことだろう。




‡‡‡




「アリマ、これを持っていれば良いの?」


 地下の広けた場所の中央。
 有間は目の前にティアナを立たせてクラウスから借り受けた手紙を渡した。勿論読まないように言っておいた。ティアナは素直だから、クラウスの仕事関係で一般人は見ちゃいけないと言えばちゃんと納得してくれた。

 ちなみに、クラウスは有間の術を借りて広間の灯りを点けた後、そのまま扉まで階段を上がってもらった。
 彼は有間の手のことを知らないし、もうティアナ以外に知られたくもない。


「うん。文面をこっちに向けてね。あと、目を閉じて、絶対にうちの両手を見ちゃ駄目。余計な情報が頭に入ってぐちゃぐちゃになるから。良い?」

「分かったわ」


 ティアナがすっと目を伏せたのを確認し、有間は両手を隠す手袋を歯に挟んで抜いた。二つ共ぱさりと下に落として掌を見下ろす。

 どちらの掌にも、横一文字が走っており、それを縁取るように皮膚が僅かに膨れ上がっていた。
 ややあって、びくりと痙攣し、一文字が開かれた。
 そこから現れたのは――――目だ。有間と同じ色をした目。

 ぎょろぎょろと周囲を見渡すように動く感触がむず痒く、思わず顔をしかめた。

 邪眼一族は、三つ目の目を持つ一族である。

 だが、有間は一族の中でも特殊な子供だった。
 生まれもった両掌に第三、第四の目。邪眼の能力を分割して備えたそれらは、邪眼一族の中でも抜きんでた能力の高さを見せた。

 しかし、突出した能力は、有間の身体には馴染まない。
 邪眼一族が普段気にならぬ筈の邪眼の《感覚》――――有間はそれを強く感じる。眼球が動けばそれがダイレクトに脳へ伝わり、気分を悪くしたことは多々あった。
 力の強さと不便さから、父狭間は有間の邪眼を封印することにしたのだった。

 解放されたからと好き勝手に暴れる眼球に掻き毟(むし)りたい衝動に駆られた。凄く痛いから本当にはやらないけれども。


「んじゃ、今から始めるから、絶対に目は開けないでねー」

「ええ。あ、高さはこれくらいで良い?」

「うん。丁度良いよ」


 ばさり。
 長い袖をはためかせて両手の邪眼をティアナの持つ手紙の文面へと向ける。
 それから、右手をゆっくりと握った。


「天地初発より幾星霜(いくせいそう)、森羅万象は枝を絡ます。紡がれた大樹は根を張り、更に更に枝葉を分かつ。疾(と)く、最中(さなか)の一枝を弓手(ゆんで)に捉え見よ」


 抑揚も無く囁かれた言葉に左目が反応する。熱を帯びる。
 耳鳴りがした直後に流れ込んできたのは、左の邪眼が見た手紙の《過去》。
 久方振りの感覚に眩暈がした。

 紙として作られた時から時を進め、術をかけられるまではおよそ半年。それが一気に頭に入る。

 そして不要なものを排除し、欲しい情報だけを残す。それも随分とご無沙汰な処理である為、《それ》に辿り着くまで少々時間がかかってしまった。


「……え?」


 処理を終えた有間は手を下ろし、茫然と呟いた。

 この術式……初歩的なものなのにヒノモトの一般的な術式じゃない。
 この入り組んだ、独特の様式を持った術式は、ヒノモトの何処を探しても見つかるものではない。


「……うっそだぁ……」



 これ、邪眼一族の様式じゃないか。



 呟いた直後、肩に重い物がのし掛かったような感覚に襲われた。



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