結局、アルフレートは路地裏に飛び込むまで有間を抱えたままだった。
 ようやっと下ろされた有間はふらりとよろめいて壁に寄りかかる。ああ、やっと地面だ。


「ようやくまいたか……」


 ほうと安堵の息を漏らした彼女に、アルフレートは問いかけた。


「大丈夫か」

「……うん、ちょっとふらついただけだし」


 じとっとアルフレートを睨めば彼は首を傾ける。


「どうかしたか?」

「……もう良いよ。過ぎたことは気にしたってしょうがないし――――」


 刹那、視界を強烈な光が覆った。


「――――さ」


 咄嗟に目を瞑ったが、少々遅かったようだ。
 つかの間アルフレートの姿がよく見えなかった。

 ようやっと慣れて、彼の狼の姿を確認した。それから周囲を見渡し、人の目が無いことを確かめた。


「……ぎりぎり、間に合ったようだな」

「良かったねー。でも、まさかこんな目に遭うとは……」

「そうだな、城では……」

「城?」


 訊き返せば彼ははっとして口を噤み、すぐに言い直す。


「いや、オレの住んでいたところでは、いつもこうだったから、慣れてはいるんだが」

「……どんなところですか。あんた何やって暮らしてたんですか」


 ……《いつも》あんなむさ苦しい男達に慕われ追いかけられるとか。
 想像して、ぞっとした。女性なら良いだろうに、身体がゴツくなるだけで暑苦しい。気持ち悪い。それに慣れたアルフレートを、ほんの少しだけ尊敬する。

 そんな有間の心中などいざ知らず。
 アルフレートは遠い目をして懐かしそうに目を細めた。


「簡単に言えば、屈強な兵士を育てるのがオレの仕事だった」

「屈強な兵士……」


 ……に熱烈な好意を受けるアルフレート青年――――あれ、何か胸焼けがしてきた。おかしいな、朝食はいつも軽めなのに。筋肉が隆々なのって結構デカいようだ。
 有間が腹を撫でたのに、アルフレートは空腹なのかと問いかけてきた。
 気にするなと片手を振るだけに留め、有間はアルフレートの頭をくしゃりと撫でた。

 すると、アルフレートがそう言えば、と。


「アリマはあの、ジギスムントと言う男が苦手なのか? ……いや、答えたくないのなら、構わない」


 慌てて付け加えられた言葉に有間は首を傾げ、すぐにああ、と納得した。

 この間質問を拒んだのをまだ引きずっているようだ。
 有間は「別に良いよ」とアルフレートの前に屈み込んで目線を合わせた。


「ジギスムントが苦手って言うより、あの人の武器がトラウマなだけ」

「武器が?」

「そ。前にあれで友達殺されたからね。それで大きな鉄球の類は見てると不快なの。ほら、ヒノモトって前は戦乱の直中(ただなか)だったからさ」


 そう、邪眼一族の友達がジギスムントの武器とよく似た鉄球に潰されひしゃげて死んだ。可愛らしい子だったのに、頭蓋が砕けて顔が崩れ、何とも醜い顔になってしまった。それはまだ、記憶に残っている。
 鉄球を見て思い出す、というのは今では無くなったけれど、見ていて平気な訳ではない。

 話を聞くなり表情を暗くしたアルフレートに、ヒノモトの人間はほぼ皆血で血を洗ってたのさと、冗談めかしへらりと笑って肩をすくめてみせた。

 今回はアルフレートの質問にはちゃんと答えた。
 有間は再びアルフレートの頭を撫でて立ち上がった。もう用は終わったからと家に帰ろうと歩き出す。

 しかし、アルフレートが彼女を呼び止めるのだ。

 足を止めて振り返れば、


「有間。少し町を見て回らないか?」


 と。

 有間は緩く瞬いた。
 それからすぐに金へと視線を落として、さっと後ろに隠した。


「……この金は使わない方が良いと思うけど」

「ああ、回るだけで良い。カトライアの町を見てみたいんだ。買い物はしない」

「それなら良いけど。でも何で?」


 有間の問いに、彼はただ「何となくだ」と答えた。

 何となく、ねえ……。
 まあ、良いけどさ。
 マティアスのように騒動になりはしないだろうし。


「うちからあんまり離れないでね。面倒事になりたくないから」

「分かっている」


 アルフレートは頷いた。



‡‡‡




「アリマ!」


 アルフレートの言う通り、ただぶらぶらと町を歩いていると、有間が呼び止められた。
 声の主はクラウスだ。振り返れば彼が小走りに有間を追いかけてきている。

 向き直って会釈すると、何を言うでもなくまず頭を叩かれた。


「お前は何を考えている!」

「え、今は何も考えてなかったんですけど」

「そういうことではない!」


 苛立たしげに眼鏡を押し上げるクラウスは何かに怒っている。
 だが、その《何か》が分からない。今日初めてクラウスに会うし、別に問題になるようなことはやっていない……筈だ。
 訝るようにクラウスを見上げた。

 彼ははあと大仰に吐息を漏らす。


「闘技場の試合に見慣れない男と出たそうじゃないか」

「ああ、それか」

「何処で会ったかは知らないが、よく知りもしない男と一緒に行動をするんじゃない。昔、何度も誘拐されかけたことを忘れたのか」

「あんたもうちの年齢を忘れたのか」


 有間ももう十六だ。さすがに危機管理は昔よりしっかりしている。
 それをいつまでも気にするクラウスは、本当に心配性だと思う。ティアナだけに留めておけば、まだ幾らか楽だろうに。
 後頭部を掻きながらそう言うと、クラウスはまた嘆息。


「……お前はもう少し自分の性別についてしっかり考えた方が良い」

「考えてるって。最近女特有の不便さにひーひー言ってるんですよ。いやホンマに」

「そういうことじゃない」


 眉間に皺を寄せてそこを指で押さえるクラウスに、有間は唇を尖らせる。結構、女って大変なんだけれど。男だから分かってくれないのか。胸が膨らんで撒きにくくなっている苦しみや、月の障りの苦痛を味わえば良いんだ。この眼鏡め。


「とにかくもう少し男に対して警戒を持て。また誘拐されたら何をされるか……」

「イヤンなことされるでしょうね」

「お前はヒノモト人としての慎みがあるのか無いのかどっちなんだ」

「てへ」


 ……今度は拳骨を貰った。痛い。これは結構痛い。


「いてててて……。っていうか、それを言う為だけにここに来たんですか、クラウスさん」

「違う。先日の件で、城の地下の使用許可を貰った。それを知らせに家に向かう途中だったんだ」


 あの手紙の件か。
 有間はそこで目の色を変えた。細めて真摯に頷く。


「分かりました。じゃあ、早速明日調べます。あ、助手でティアナを連れてきますけど、良いですか?」


 クラウスは怪訝そうな顔をした。


「ティアナを? 人に見られたくはないんじゃないのか?」

「ティアナなら、一度見ているんで平気です。それに、一人助手がいた方がスムーズに行くんですよ。ああ、だからと言ってティアナに情報が漏れることはありませんよ。うちとしてもそれは絶対に避けておきたいのでそこだけは徹底します」

「……アリマが言うのなら、信用しよう。では明日の朝にでも俺を訪ねてきてくれ」

「了解しましたー」


 クラウスは有間の頭をぽんと撫でるともう二度と知らない男と行動するなと数回繰り返して、ようやっと身体を反転させ城へと戻っていく。余程忙しいのだろう、彼の歩みは早かった。
 忙しいのなら手紙を寄越せば良いのに。わざわざ来るから余計に忙しいのだ。

 クラウスの背中を見つめながら、有間は唇を歪める。

 アルフレートは問いたげ眼差しで見上げていることは、気付かぬフリをした。



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