月が妖しく光る宵。
 冷たい夜陰に、その声は響いて溶け込んだ。


「王が死に、世継ぎのマティアスも他の王子たちと共に行方不明。現在、ファザーンを固守するのは宰相のベルントのみです」


 カトライアも、ファザーンが崩壊寸前と知れば身の振り方を考えるでしょう。
 今が好機だと後押しし、その男は報告を終えた。

 片膝を立ててこうべを深く下げた男の前には、シンプルな装飾でありながらも何処となく気品を漂わせる玉座がある。そしてそこには、彼よりも年輩の男が座っていた。

 年輩の男は顎を撫で、暫し思案した。


「確かに機は熟した。だが……カトライアの忠誠心は侮れぬ」


 そこで、男は面を上げた。月光に照らされ、顔は青白い。


「もし我が国に下ることを拒み、蟷螂の斧を振るというのなら……」

「そうだな。二十年前、我が帝国に背いたことを後悔させてやろう」


 年輩の男がやおら頷けば、男の口は弧を描いた。



 その後ろで、二人の様子を静かに見つめる人物。烏を肩に留まらせ、顔の下半分を布で隠しただけでなく、全身を漆黒の服に包み込んでいる。肌の露出は無いが、機動性を重視した服は、彼の屈強な身体のラインをくっきりと見せる。

 彼は男が立ち上がって振り返ると、慇懃(いんぎん)に頭を下げた。

 その肩から、一羽の烏が飛び立つ。

 一つ、鳴いた。



‡‡‡




 有間は愕然とした。
 落ちた顎が上がらない。口が塞げない。

 だって……だってだって!


「クラウスさんが……占い、だと……!?」

「違う」


 目の前に座って不機嫌そうに眉目を歪める彼は、即座に切り捨てた。

 有間はほっと胸を撫でおろした。
 過去、有間の占いを下らないと一蹴したこの男――――まさに現実主義を絵に描いたようなクラウスが、占って欲しいと言ってきた日にはきっと天変地異が起こるに違いない。ああ、良かった。


「でもクラウスさんがうちの店に顔を出すって、一年振りじゃないですか。何か入り用ですか?」

「ヒノモト人のお前に、一つ見てもらいたい物があってな」


 こてんと小首を傾げる。

 クラウスは眼鏡を押し上げて懐から一通の封筒を取り出した。
 それを机に置いて、有間を視線で促す。

 有間は封筒を見た瞬間眉根を寄せた。

 一見普通の封筒だ。中身を取り出せばこれもまたただの便箋。内容は読むなと言われたので文字は見ないようにした。

 普通の手紙。

 ……けれども、


「……ヒノモトの呪術、ですか」


 クラウスは深く頷いた。


「ああ。法王の側近がこの便箋を取り出した直後に、その腕に幾つもの裂傷が走った。幸い全て軽く、以後は誰が触っても怪我を負うことは無かったが、念の為にお前に話を聞こうと思ってな。内容は機密事項で話せないが、何か分からないか」


 有間は文面を裏にして机に置き、腕組みした。


「……そちらさんの話を聞く限りは、術式も酷く簡単なものでしょう。多分、誰でも――――それこそ一般人でも知識あれば扱える程度の初級中の初級な呪術です。こうなると、どんな人物がかけたのかは断定出来ません。また、実力を推し量るのも難しいでしょう。術式を解読すると言うのも、こんだけ薄まってればほとんど分かりません」

「……そうか」


 クラウスに落胆する素振りは無かった。ままに呪術について有間が説明したりしているから、その知識で望み薄だと思ってはいたようだ。

 けども、有間は便箋に触れる己の黒い右手を見下ろし、


「まあ、相手を調べる方法が無い訳でもないんですがね……」


 と。
 クラウスは即座に食いついた。


「それは本当か?」

「ただ、これはちょっと人には見せられない方法なので、何処か人目を気にせずうち一人で作業が出来る環境を用意して下されば調べて差し上げますよ」


 なるべくならクラウスにも見せる訳にはいかないと言えば、彼は嫌な顔一つせずにまた考え込んだ。


「……分かった。少し時間がかかるかもしれないが、こちらで丁度良い場所を捜そう」

「お願いしまーす」


 そうと決まればと、彼は手紙を回収すると懐に仕舞って足早に城へと戻ってしまった。後日、礼をしてくれるそうだが、多忙の身を気遣って有間は調べた時に一緒にしてくれと言っておいた。

 雑踏に紛れていくクラウスの背中をぼんやりと見つめながら、有間は先程の便箋を脳裏に浮かべた。
 何処の誰がどんな目的であんな手紙を送ったのかは分からないけれど、クラウスさんってばいっつも心労が耐えないなあ……。

 今度、疲労回復の効果がある薬でも作ってやろうか。
 頬杖を付いて有間は視線を空へを上げた。

 空高く浮かぶ太陽に目を細め、真っ黒な両手を意味も無く掲げる。日光が遮られた。
 この両手を隠すようになって久しい。
 両手の甲にはヒノモトの文字を崩した文様がある。それは有間の父がかけた呪術で、有間の為だけの術でもあった。


「ひっさしぶりに使うなあ……これ」


 滅多に使うことは無いけど、この手袋を外したのは何時だったっけ。

 ……ああ、四年前か。
 カトライアに来たばかりの頃、ティアナ強引に遊びに誘われて、キンバールトの森で遊んでいたんだ。



 ティアナに無理矢理剥がされたんだっけ。



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