徒人(ただびと)が来なくなったら一緒に山茶花を見に行こうと約束していた女友達。

 いつも美味しい煮物をお裾分けしてくれた隣家の未亡人。

 髪を櫛で梳(す)いたり切り揃えたりしてくれた最年長の老婆。

 少ない食料を自分に分けてくれた兄のように慕っていた青年。

 よく本を貸してくれた足の不自由な青年の父親。

 文字も歴史も術も教えてくれた全盲の長老。


 彼女の世界を形成する大事な人達が、消えて無くなった。


 周りは死体ばかりだ。
 一面の銀世界は瞬く間に鮮やかな赤に彩られた。

――――慣れ親しんだ村は、死んだ。


『有間、おいで』


 この殺伐とした苦しい世界、温もりは父の手だけ。
 自分達が最後だ。

 先に逃げた数人の同胞は何処に、無事に逃げ延びたのだろうか。
 分からない。何処かで落ち合うなんて約束もしていなかった。いつか再会する約束をする暇も無かった。


『……ねえ、父さん』

『今は何も言うな。黙って生き延びることだけを考えるんだ』

『私達に生きる意味はあるの?』

『有間』

『私達、要らないんだよね。加代ちゃんの首を斬り落とした人、そう言ってたよ。この国には要らないんだって――――』


 刹那、視界が弾けた。

 ……ああ、いや……いや、違う。
 頬を平手打ちされたのだ。じんとした痛みと熱に悟った。
 でも、叩かれた意味が分からない。

 ぼんやりと父を見上げると、彼は屈んでそっと抱き締めてくれた。
 鼻孔に入るのは濃い血臭と火薬のそれ。


『この世に不要な存在など在りはしない。不要なら、生まれてくる筈がないだろう?』


 我らもこの世界を形成するに必要な存在であるからこそ、生を許されたのだ。
 その気高い命を否定することは、愚かな行為であると、父は優しく言った。沢山の人を殺した手で、優しく頭を撫でてくれた。


『じゃあ、どうして皆、殺されてるの? どうして徒人は私達を殺そうとするの?』

『心があるからだよ。心がある生き物は全て何かと争う。そして、恐怖には逆らえない』

『恐怖……皆私達が怖いの?』

『ああ。有間にも僕にも、加代にも長老にも八坂さんにも、××××が在る。彼らはそれが怖いんだ』

『でも、ベリンダさん達は私の手を見ても驚かなかったよ』


 ベリンダ達――――異国の夫婦は有間の剥き出しの掌を見ても驚きも恐がりもしなかった。『綺麗な××××ね』って笑って……皹(あかぎれ)だらけの手を撫でてくれた。
 彼らはとても優しかった。戦うことが出来ない代わりにここに隠れ住んでいた村人の分の食糧を秘密裏に運んでくれていた。ままに、自分達子供とも遊んでくれた。旦那の聞かせてくれた異国の楽器の音色は、何度聞いても飽きが来なかった。

 彼らも徒人だ。自分達を排他しようとする者達と同じ。


『父さん。頭が痛い。分からないことが多すぎて、頭が疲れてきた』

『……今は何も考えなくて良いさ。ただ黙って、ベリンダ殿達と一緒に西に逃げるんだ。ファザーンに潜り込めば、追っ手を撒ける。そうしたら、ファザーンの何処かで、親子で静かに暮らそう』


 父は彼女を放すと微笑みかけて、そっと手を握った。

 雪を踏み締めながら歩きながら振り返れば、空から舞い落ちる六花(りっか)が、かつて自分に笑いかけてくれた人々の身体に落ちては積もること無く、溶けていった
 まだ、彼らの身体は暖かいのだ。

 ついさっきまでは、一緒に話をしていたのに。
 彼らはもう、動きすらしないのだ。
 口を利かぬ人形のようになって、誰にも弔われること無く……明日には冷たい雪の下に埋もれてしまうだろう。

 ……目頭がつんと熱くなった。
 けれど、かぶりを振ってその衝動を止める。

 そんな娘に、父はただ強く手を握ることしかしなかった。否、出来なかった。

 だって彼は死んだ者を弔う暇など、自分達に無いことを分かっていたから。



 この僅か四半刻(しはんとき)の後、邪眼一族の生き残りが隠れ住んでいたという雪山の洞窟は、掃討軍によって爆破された。



―第二章・完―



●○●

 主人公の仕事柄、ほとんど家にいないので見事にキャラと絡まないですね……。



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