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過去のことを思い出すと、どんどん気分が沈んでいく。
アルフレートが何処かで会ったことがあるかなんて訊いてきたのは、このことだったのか。
……帰り辛い。
有間はティアナの家を飛び出した後、キンバールトの森に入り浸った。深夜になるとさすがに帰った方が良いかと森を抜けてカトライアに戻ったのだけれど、やはり気まずさから家路を辿るその足は鈍かった。
まさかカトライアであの時の少年に会うことになるとは思わなかった。
というか、二度と会うことは無いと思っていた。
だって、ここからは随分と遠い町だったのだもの。
額に手をやりながらうんうん唸っていると、不意に誰かとぶつかった。……いや、一方的に誰かの背中に正面から当たってしまったのだ。
「うおぉ!?」
「あ、すいません」
数歩後退してすぐに謝罪した。
青みの強い紫の髪をした青年だった。
驚いたように有間を見下ろし――――というかまじまじと見つめてくる。
有間は首を傾けた。
「……聞いてます?」
「……あ、聞いてる聞いてる! こっちこそごめんな。ちょっとぼーっとしててさ、怪我とか無かったか?」
ふにゃりと笑う彼に、有間はかぶりを振った。そうしながら、ぐっと眉根を寄せた。
……この青年も、魂がおかしい。
器に魂魄が合っていない。
カトライアの国民性……な訳ないか。アルフレート達はこの国の人間ではなさそうだし。
「いいえ。むしろそっちが怪我はありませんでしたか?」
「大丈夫! って、あ。お詫びに家まで送ってやるよ。子供が夜遅く一人ってのは危ないしな。何処?」
「子供じゃありません。すぐそこなので要りません」
まさかとは思うけれど、この人人間じゃなくて動物だったり……?
それじゃアルフレート達とはまるきり逆じゃないか。
そんなのがこのカトライアの中にいて良いのか。偶然では済まされないんじゃないか。
ぐるぐると色んな考えが浮かんでは絡み合って頭痛を引き起こしていく。
こめかみを押さえて眉間に皺を寄せていると、青年は怪訝そうに有間を見下ろしているのに気が付いてあっと声を漏らした。
「ああ、すいません。また考え事してました。じゃあ、失礼します」
取り敢えず、変な魂魄の人には近付かない方が良い。こっちが気持ち悪くなるだけだ。こちらに害が無いのであれば、無駄に関わりを持ちたくない。
深々と頭を下げて小走りにティアナの家へと向かう。
扉を開けて中に入っていく自身の姿を見ながら、青年が目を細めていたことになど、有間は全く気付かなかった。
‡‡‡
中に入ると、真っ暗だった。
有間が物音を立てないように扉を閉めてリビングに入ると、
「遅かったな」
狼が出迎えた。
灯りが一つばかり点灯したリビングの真ん中に、彼はぶすっとしてお座りをしていた。
その姿に、有間はあれっとなった。
「戻ったんじゃ……?」
「十五分しか効果が保たなかったんだ」
「ああ、なるほど」
扉の前に立ったままアルフレートに励ましの言葉をかけると、アルフレートが立ち上がってこちらに歩いてくる。
咄嗟にリビングの扉を開いて出ようとするとその前に服に噛みつかれて引き戻された。
服が破れてしまうので抵抗が出来ず、ソファに座らされてしまう。
両膝を立ててその上に手を置くと、アルフレートはその前に腰を下ろした。
「ティアナが心配していたぞ」
「でしょうねえ」
「……」
「……」
……何この沈黙。
気まずいんですけど。今凄くこの家を飛び出したいんですけど。帰らなきゃ良かった。
有間をじっと見据えてくるアルフレートから、冷や汗を垂らしつつ顔を背ける。
ややあって、
「オレとお前が何処で会ったか覚えているか」
「…………ええ、まあ……一応」
覚えているからこそ、今まで気まずくて帰れなかったんだけれども。
心の中でそう付け加えて、汗を袖で拭う。
アルフレートは有間に話しかけ続けた。
「髪を切ったんだな。あの時は腰まであった筈だが」
「男装した方が都合が良いと言うことでばっさりと」
「前と比べて性格も随分と鷹揚になった」
「そりゃこの国自体陽気でのんびりしてますからね」
「こっちを見てくれないか」
「だったら凝視してくるの止めてくれませんか」
終いには背もたれに腕をかけて身体ごと後ろを向こうとする。
どうしてかは分からないが、このリビングにアルフレートと自分しかいないのが物凄く落ち着かない。冷や汗が止まらない。逃げたい。物凄く逃げたい。
アルフレートが溜息をつく。
とてとてとフローリングを爪が叩く音が良く響いた。
彼はソファの後ろに回り込む。
うっとなってちょっとだけ身体を引いた。
その様子を見て少しばかり耳を倒した彼はしかし、
「平和な場所で、元気なようで安心した。昔のような棘も無くなったようだしな」
「……さいですか」
棘――――まあ、ハリネズミかってくらいに棘は一杯あったけれど。
でも棘なら今でもある。ただ昔程露骨じゃないだけで、まだちゃんと残っている。
遠い目をした有間を訝ってアルフレートが彼女を呼ぶ。
それにはっとして、誤魔化すように彼の頭を撫でた。
「……ま、まあ、取り敢えず会ったことがあるってのは言っても良いですけど、詳しいことは秘密にしといて下さい」
「ああ。分かった。……だが、一つ訊いても良いだろうか」
「《それ》は訊かれても答えませんよ」
彼の言葉を聞いた瞬間即座に手を離して背を向ける。ソファに深くもたれ掛かって目を閉じた。
彼が何を問いたいのか、大体の予想は出来る。
あの時の有間の状況だ。
あの町では恐らく有間のような子供はさぞ浮いていただろう。周囲を警戒するわ毒を警戒するわで、アルフレートはそれが気になったんだと思う。
されど有間にはそれを話す気は無い。
ティアナは知っているけれど、アルフレートとはそれ程に親しい訳でもない。話す程、気を許した相手じゃない。
それに――――。
「明日も仕事があるんで、アルフレートさんもさっさと寝た方が良いですよ」
突き放すように言うと、アルフレートは暫し沈黙した後「ああ」と少しばかり沈んだ声で返し、小走りにリビングを出た。扉は開けたままだったから、するりと身体を滑り込ませて出て行った。
その背を見送り、有間はぐにゃりと顔を歪めた。
「邪眼一族は、嫌われ者なんだよ」
それは十分すぎる程に分かっている。
けれども、この国に来てまで邪眼一族だからって色々言われて色々痛めつけられるのは、遠慮したい。
この国、では。
ぼそりと呟く――――。
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