翌日。
 午後の営業を休んだこともあって、営業時間をいつもより延長しようと思っていた――――。


 の、だが。


「うわあぁぁん!!」

「誰か! 誰かぁぁっ!!」

「衛兵はどうしたんだ!?」


 ……何だこれ。
 目の前には必死の体で逃げまどう少年達と、……見覚えの有りすぎるライオン。

 有間は手にした道具を机上にばらまいてライオンが少年の一人にのし掛かる様を凝視した。

 マティアスだよねあれ。
 おかしいな、一人で出歩いてんの?
 とうとう獣の本能に目覚めちゃったのか。ああ、間に合わなかったんだね。
 となるとやっぱり被害が出る前に始末して毛皮を売った方が良いのかな。

 少々誤った方向に思考が行ってしまった彼女は鞄から小振りの銃――――馬上筒を取り出して立ち上がった。左足を後方にやった半身の構えで、さして間も置かずに発砲する。

 馬上筒は小型の火縄銃であるから装填して火を点けねばならぬのだが、本体を有間自身が色々と改造している上、術をかけてある為に高価な火薬の必要が無く自然に着火する。銃弾も有間自身の気を凝縮して放つのだ。恐らくそんな都合の良い武器を所持しているのは、ヒノモトでは有間だけだろう。

 銃弾はマティアスの鼻先を掠った。

 彼はぎょっとしてこちらを見、少年から離れて腰を低くした。
 襲いかかられてしまうかなと再び馬上筒を構えると、不意に宙を裂くような鋭い笛の音が鼓膜を突いた。

 聞き慣れたそれはティアナの笛だ。
 有間は銃口を落として周囲に視線だけを巡らせた。

 ドサッとライオンの身体が倒れる。
 有間は馬上筒を手にしたまま倒れ伏す彼に歩み寄り、片手で軽々と持ち上げた。

 途端に逃げ出そうとする少年に待ったをかけて、兵士が視界の端に映ったのを確認して彼に問いかけた。ちなみに他の少年達は何処にもいない。友人よりも己の安全だったのだろう。


「怪我は無かった?」

「あ、うん……大丈夫だったよ」

「そう。それは良かった。ああ、汚れてしまったね」


 マティアスを地面に寝かせる。
 笛を持ったまま駆け寄ってくる友人を手で制した有間は、少年に近付いてその服に付いた土埃を払ってやった。
 その間何処から逃げてきたのかと問いかければ商店街の方からだそうだ。そこからこの小劇場までとは、随分と逃げてきたものだ。マティアスもそこまで追いかけてきたとは存外執念深い。


「ん、これで良いかな」

「ありがとう、お兄ちゃん!」

「うん。でも君、どうしてこのライオンに襲われたの?」


 途端にその子供はポケットに手を突っ込んだ。右足で地面をずりずりと擦り出す。


「それは……いきなり襲われたんだ」


 有間はその様を見てすっと目を細めた。


「……嘘だね。本当のことを言ってごらん」

「う、嘘なんかじゃないよ! 本当だよ、信じてよ!」

「……」


 少年に頭に黒の手袋に包まれた右手を乗せれば、彼の身体が小さく震えた。


「人って言うのはね、嘘は表情に出にくいんだ。大体の人間が嘘が出ないように力を加えるところだから。でも、顔よりももっと分かりやすい場所がある。手足の動きだ。ポケットに手を隠すのは相手に手の動きで嘘を知られたくないってことだし、足がそわそわとし出すのはこの場からさっさと逃げてしまいたいって言う典型的なサイン。それは襲われた理由を訊いたその前の会話では全く見られなかった。理由を訊ねた時だけ見せたということは、そういうことだよね?」


 撫でれば少年は唇を引き結び――――やがて小さく謝罪した。
 彼が辿々しく語った真相では、彼らは何の経緯か薬屋の前でお座りをしていたマティアスが大人しいからと、調子に乗って随分と虐めてしまったようだ。

 近くで話を聞いていた兵士は深々と溜息をついて面倒臭そうに顔を歪めた。心の中では子供に呆れていることだろう。


「ライオンだって、大人しくしててねって飼い主と約束してちゃんと待っていたんだと思うよ。それなのに君達が虐めたから、怒っちゃったんだ。ライオンはきっと凄く辛かったと思うよ。だって飼い主との約束を破っちゃうくらいだもの。君がもしライオンの立場だったら、怒らない自信はあるかな?」


 少年は緩くかぶりを振った。


「ごめんなさい……」

「ライオンにはうちから謝っておくから、これからこんなことはしないでね。お友達にもちゃんと言っておくんだよ。君達にとっては大したことの無い悪戯でも、ライオンやその飼い主だけじゃなくって、皆に迷惑をかけてしまったんだからね」


 少年が頷くのに良い子と頭を撫でて有間は立ち上がる。

 彼はライオンの身体を撫でるティアナに謝って深々と頭を下げた。
 するとティアナは怪我が無くて良かったと笑って言う。

 有間が少年の背中を軽く叩けば彼は小走りに友達を捜しに行く。

 ……これで一応、兵士達への説明もだいぶ省けるだろう。
 有間は後頭部を掻きながらティアナを振り返った。


「で、何で君達は商店街の薬屋にいたの」

「そ、それは……」


 ティアナがポケットから差し出したのはクルトから貰ったあの地図だ。つまりその地図の場所が商店街の薬屋だった、と。

 ……良いのかそれで。
 ガセネタじゃないのかと小声で呟くと、彼女は首を横に振って鞄から紐でキツく口を縛られた小袋を取り出して有間に見せつけた。

 有間は怪訝に眉根を寄せて首を傾けた。
 しかし周囲の視線に話を中断しマティアスを持ち上げて店の後ろに寝かせる。


「彼の目が覚めるまでここにいなよ。今、椅子を借りてくるからちょっと待ってて」

「う、うん。ごめんね、迷惑をかけて……」


 店の前で騒ぎを起こしてくれた仕返しだとばかりにティアナの額にチョップを落とした有間は、小走りに小劇場に入っていった。



 が、その日ライオンを恐れたらしい人々は、目を覚ましてティアナと一緒に家へ戻っていった後も、誰一人として有間の店には寄りつこうとはしなかった。



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