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少年の名はクルトと言う。
有間とはキンバールトの森で何度か顔を合わせる関係だ。薬草の採取場所について情報交換もするし、クルトから直接薬草を買ったりもする。
何度か会っているというのに、彼は顔を覚えても有間の名前を全く覚えてくれない。顔を覚えるのが苦手っぽいのだが、どうやら名前も覚えられないようだ。
クルトは有間の頭を撫でるとクラウスを見、きょとんと首を傾げた。
「こんな所で何してるの? ――――もしかして……逢い引き?」
クラウスは溜息をついてティアナを離す。
彼女は即座にクラウスから距離を取った。
「……違います。彼女は俺の幼なじみで……それより、またそんな格好でどこへ行かれるんですか」
クラウスが敬語だ。
ということは、クルトってクラウスよりも地位が高いとか?
クルトを見上げ、有間は首を傾げる。
クルトはうっと言葉を詰まらせて視線を横に流し――――何かを思いついたように人差し指を立てて声を張り上げた。
「あ、そうそう! 父さんの所の女官たちがクラウス探してたけど、戻った方がいいんじゃないかな。みんな、クラウスがいないと何にもわからないから、困ってるみたいだったよ」
「……そうですか、わかりました」
クラウスは眼鏡を押し上げ、吐息を漏らした。
有間がティアナのもとに行くと、彼女はさっと有間の背後に隠れてしまった。クラウスを見やれば、ティアナをキツく睨んでいた。
「二人共。この話は、仕事が終わってからだ」
「嫌がらせでもうちに破廉恥なもの見せたから嫌。公然でいちゃつくなんてはしたなーいって、ヒノモトじゃ言われますよー」
きっぱりと断れば、クラウスの目が細まった。
それでもにこにこと笑いを顔に張り付けているとクルトが急かす。
仕方無さそうにクラウスが城の方へと歩き出すと、ティアナは有間の後ろでほっと息を吐き出した。有間から離れてクルトに深々と頭を下げた。
「あの……助かりました、ありがとうございます」
「え? 助かった? どうして?」
「あ、ええと……」
「まま、それはそれとして。そっちはまたキンバールトの森に?」
「うん。そうそう」
クルトは有間の問いににこやかに頷くと、ふと何かを考え込んでティアナを見やる。それから何をするかと思えば何処ぞから紙切れを取り出して炭に似た物で何かを書き始めた。
そして、それをティアナに差し出すのだ。
ティアナはほぼ反射的にそれを受け取って首を傾げた。横から覗き込んだが、地図のように見える。
「これは……?」
「魔女を探してるんでしょ?」
仰天。
ティアナは目を真ん丸に見開いた。
「い、今の話、聞いてたんですか!?」
「クラウスもいじわるだよね。これくらい、教えてあげればいいのに」
苦笑混じりに言って、彼はさっと身を翻す。
有間に片手を振って走り出し、建物の向こうに消えてしまう。本当に、マイペースな少年だ。
手を庇(ひさし)のように顔に翳しながら、有間はその姿を見送った。
ティアナは未だに状況が飲み込めていない。じっと紙を見下ろして難しい顔をしている。
「ね、ねえ、アリマ。あの人と知り合いなの?」
「うん。ちょっとね。で、それ地図でしょ? 一旦家に帰ってマティアス達と相談してみる?」
「……そうね。あの人、もういないし……」
頷いたティアナに、有間も頷き返した。
‡‡‡
マティアスは、作戦が失敗したことにご不満な様子だった。
アルフレートが茶化せば、鼻を鳴らしそっぽを向いてしまった。
それからティアナの演技が下手だったんじゃないかとルシアが指摘して――――エリクがキツく咎めて、有間が捌こうとする素振りを見せてアルフレートに止められて。
そこでティアナがぽつりと呟いた。
「泣き落としだったら、アリマの方が上手なのよね……昔から」
クラウスも、アリマの泣き落としには簡単に引っかかってたもの。
一斉に有間に視線が集まる。
「何さ」
「アリマが泣き落とし……か」
「こいつが? 何かの間違いだろ……」
「間違いって……事実なんだだけど」
泣き落としが上手いのは、ベリンダ達に隠れ、そうやって金を稼いだり物を恵んでもらったりしていた時期があったからだ。変に鼻息の荒い男に連れて行かれようとした時はベリンダ達に助けられてキツく叱られたけれども。それでも止めなかった。
肩をすくめて、ティアナに地図のことを促した。
するとティアナもはっとしてポケットから地図を取り出した。
「そうそう! 通りがかりの男の子に、こんな地図をもらって……」
それを四匹の前に突き出せば、彼らはしげしげと見つめた。
当然、マティアスが訝る。
「クラウスとの話を聞かれたのか?」
「え、ええと……そうみたい。魔女を探してるならって、この地図を渡されて……、クラウスと顔見知りだったから多分ローゼレット城の人だと思うけど……あ、アリマと知り合いなんだよね!」
「ん? うん。でもあの人、多分ティアナのこともう覚えてないと思うよ。あと、魔女の話のことも。そんな人だから。けど、罠を張れるような頭はしてない。それは確か」
有間がそう言えば、マティアスはどうだか、と。
「ティアナ。お前は、もう少し他人を疑ってかかるべきだ。どうせ市場で騙されたことにも、まだ気づいていないんだろう」
「市場で、騙された?」
思い当たる節の無いティアナは眉根を寄せるだけ。
すると四匹は一様に呆れた風情で溜息をついた。
それから、彼女に市場のことを話した。
マティアス達を買う為に商人に渡したブローチは、大変な価値のある物であったことを。
ブローチって……確かベリンダから渡されていたあの妙な気配のする装飾品のことだったか。
「……あれとこの人達って……確実にブローチの方が価値があったような……」
「お前は本当に失礼だよな」
「非常食五月蠅い。……って、あれ、ティアナ?」
青ざめたまま微動だにしないティアナを覗き込むと、彼女は有間に抱きついた。
「まさか、そんな……どうしよう……!」
「おーい。ティアナさーん?」
「さすがに落ち込んでいるようだな。これを教訓に、もう少し物事に対して慎重になるべきだ」
「そうは言うけど、ティアナがあんたら買わなかったら、どうなっていたか分からないよね」
「……そうだな。あのブローチがなければ今頃オレたちの命はなかったかもしれない」
アルフレートが有間に同意して、ティアナにこうべを垂れ謝辞を述べる。
ティアナが感じ入ったように彼の名前を呟くとエリクも彼女を励ました。
彼女はそれで少しは持ち直したようだが、それでもショックはまだ残っているようだ。
有間はそんな彼女を見、ルシアの首を掴んでティアナの前に突き出した。
「撫でれば?」
「え?」
「少しは気が安らぐと思うけどて――――あ、家鴨じゃ駄目か。もふもふしてない」
「おまっ、オレを降ろせ!」
「はい」
「ぎゃっ!!」
ぱっと首を放せばルシアは床に落下する――――ところをティアナが慌てて受け止めた。
「ということで、うちはお邪魔にならないように中庭でのんびりしてるからー」
「あ、ちょっとアリマ!」
ひらりと片手を振ってリビングを出ると、何故かアルフレートがついてくる。
立ち止まった振り返ると、彼も立ち止まって腰を下ろす。
「どうかした?」
「お前は占いをすると言ったな。その……オレのことを占って欲しいんだが、構わないか」
「狼を?」
なんて初体験。
こてんと首を傾げた有間は暫し考え込む素振りを見せやおら頷いた。
「まあ、元は人だから別に構わないけど……何を占うの?」
「未来のことを、少々」
「分かった。じゃあ中庭でやろうか」
有間が身を翻す。
背後でアルフレートが礼を言った。
しかし、何でまた未来のことを……?
もしかして本当の姿に戻れるか不安がってる、とか?
エリクならまだしも、アルフレートがそうだとは考えにくい。
といっても、それは有間の勝手な印象でしかない。人は表と裏では違うものだ。
まあ良いかと心中で呟き、有間は中庭へと出た。
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