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あまりに頭痛が酷いので、その日は午前の営業で終わった。小劇場の主人にもそのように言ったけれど、なら良く効く薬を分けてあげようと、頭痛薬をくれた。家に帰ってから飲もう。
結構多めに貰った薬を鞄にはしまわずに大事に抱えて有間は小走りに帰宅する。途中馴染みの客に問われたが、諸事情で午前中のみの営業だと返しておいた。
「ただいまー……」
「キャアアアア――!!」
扉を開けた瞬間のことだった。
家の中に響いたティアナの悲鳴に、有間は鞄を放り投げて懐から折り畳み式のナイフを取り出し階段を駆け上がった。
ティアナの名を呼びながら、彼女の私室の扉を開け放ちそのベッドに乗り上がる獣の首を掴んで脳天にナイフの切っ先を当てた。
紫色の目が丸く見開かれた。
「アリマ……!!」
「やっぱり何かするつもりだったんだ。毛皮剥いで売り飛ばしてやる」
「何を勘違いしているか分からないが、退け。というか、何故お前がここにいる」
マティアスの言葉は黙殺した。
そっとナイフを振り上げた直後、慌ただしい足音と共に、アルフレート達が駆け込んできた。
「どうした? 何かあったのか!?」
「ティアナ、大丈夫!? ――――って、アリマ何をしてるの!?」
「こいつを殺そうとしてんの」
「だ、駄目! それだけは待ってアリマ!」
ティアナが慌てた風情で有間の手を押さえ込む。
……本当なら彼女程度の力なら簡単に振り払えるが、未遂だったようだし、何よりティアナが泣きそうなので止めてやることにする。
ナイフを折り畳んで懐にしまうと、ティアナははああと吐息を漏らして有間の身体を引っ張ってマティアスから離れさせた。
そして、何事かとマティアスと有間を見比べるアルフレート達に事の次第を説明した。
有間は憮然としてベッドに腰掛け、腕組みしてマティアスの動向を注視する。彼がまた不審な行動をすればすぐにでも飛びかかりそうだ。
しかしアルフレート達は呆れかえったように吐息を漏らす。
「おいおい、朝っぱらから何やってんの。そういうことは、暗いうちにやれって」
「あ?」
「ひっ!」
有間が睨めばルシアは震え上がってアルフレートの後ろに隠れた。
「じょ、冗談だって!」
「じょーだんでも言って良いことと悪いことがこの世にはあるんだってことをそのすっかすかの脳味噌に彫っとけ、非常食」
不機嫌どころでない有間の様子に、アルフレートも気まずそうに顔を逸らした。
「……あのな……、俺はただ、腹が減ったから起こそうとしただけだ」
「は? 空腹くらい待てよ。ティアナに夜遅くまで手伝わせてんのに何だその扱い。ティアナはてめえらの使用人じゃねえだろうが。人間たかだか朝昼抜かした程度で死にゃしねえし、寝てやり過ごせ。何様だっつの」
「アリマ、言葉遣い!」
ぷいっと顔を背けて有間は立ち上がる。
「飯はうちが作っとくから、ティアナはまだ休んどきなよ。後で何か作ったげる」
「い、良いわよ。それよりも今のアリマをマティアス達と一緒にしておくのが不安だもの」
「そう? 怪しかったら毛皮を貰うつもりなだけだよ」
「それが駄目なの!」頭にチョップを落とされて――――ベリンダがしょっちゅうアリマにしているのを見ていたからか、滅多に無いが彼女もするようになってしまった――――有間は舌打ちした。
「アリマはご飯の準備するの手伝って」
「下剤入れて良いなら」
「無いでしょ」
「何故バレた」
またチョップ。とても希少な二連続チョップである。
しかし、頭が痛い。
‡‡‡
取り敢えず何事も無く昼食を取って、有間達は今後について話し合っていた。こっそりと頭痛薬を飲もうとしたけれど、ティアナに見つかって酷く心配されてしまった。ただの頭痛だと言えば、余計に心配された。
「それで、これからどうするんだ」
床に胡座を掻く有間の左右は、ティアナとアルフレートが固めている。そんなことをしなくても、もう襲うつもりはないのに。…………多分。
「呪いを解く為に必要な材料はわかってるんだから、それを探しに行けばいいんじゃねーのか? アリマが方法を探してくれてるんだろ?」
「残念だが、材料だけの情報では難しいらしい」
アルフレートが有間の代わりに答える。
けれどその言葉に頷きながら、材料が入手困難であることを伝えた。ついでにティアナの読み残した本にも大事そうな情報は無かったとも。
すると、あからさまに落胆された。
「……残る可能性としては、ルナールと、【最後の魔女】が怪しいが……この状況で国境を越えるのは、あまりに危険すぎる」
「そうだな。一般に公開されている書物の情報を、どこまで信用していいものか……」
「でもさ、こんなふうに、誰でも呪いについて書かれた本が簡単に読めるくらいだし……魔女じゃなくても、魔術とか呪いとか、そういうことをこっそりやってる人が、どこかにいるんじゃないかなぁ」
エリクの言葉に、ルシアが半眼になって彼を見やる。
「趣味で人を呪ってるようなヤツがいるかもしれないってことか?」
「そんなんよりは、好奇心が行きすぎて魔術そのものを解明したがる人間じゃない?」
ヒノモトにも、そういった人間はいる。
邪眼一族の呪術は、邪眼一族の血を引く者にしか扱えない。おまけに独創性が強く、術式が複雑怪奇である為にヒノモトの術士はこぞって解明したがる。それで邪眼一族を生きたまま解剖しようとしたこともある。さすがにそれは一族全員で施設を襲って救い出したけれど。
少しだけ遠い目をした有間は、何かを思い付いたようなティアナの声に思考を中断した。
「独学で呪術を研究している人なら、カトライアにいるかも?」
「そうだな。そういう人物を探す法が、まだ危険も少ないだろう」
「そう言えば、魔女の話をしたとき、クラウスが何か知ってそうな感じだった。もうちょっとで聞き出せそうだったんだけど……」
マティアスはクラウスの名前を反芻(はんすう)し、思案した。
ややあって、ティアナに耳を貸すように求めてくる。
ティアナがそれに従うと、彼は何事か耳打ちした。
彼女の目が見開かれ、唇がぐにゃりと歪む――――。
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