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「よし、準備が出来たぞ。さっそく入ってくれ」
「とりゃ」
「え? ――――きゃあ!?」
アルフレートの呼びかけに応じ、有間はティアナの首根っこを噛んで桶の中に放り込んだ。
ティアナの悲鳴と共に水飛沫。飛び上がって縁にしがみついた彼女に有間はけたけたと笑った。憤慨したティアナが怒鳴っても軽い口調で謝罪するだけ。しなやかな体躯を痙攣させ、彼女は笑い続けた。
アルフレートが苦笑し、両手で石鹸を泡立てる。手とブラシでティアナの身体を撫でつけながら、洗い始めた。
最初こそ不慣れなのと恥ずかしさで強ばらせていたティアナであったが、徐々にリラックスした顔つきになり、アルフレートの手つきにうっとりと顔を弛緩させた。
「手慣れてるね、アルフレート」
「手慣れているというよりは……ティアナがオレの身体を洗ってくれたのと同じようにしているだけだ。意外に気持ちが良くてな。身体を洗われるのが楽しみだった」
やられる側の感覚を覚えているだけで、出来るとは。
感心しながら、有間はすっかりなすがままのティアナを見下ろし、ぼそりと呟いた。
「……こういうのを魔性の女と人は呼ぶ」
「違うってば!! もう、いつまで引っ張るつもりなのよ!」
「ティアナの反応が面白くなくなるまで」
真顔で言うと、泡の混じった水を顔にかけられた。
「ちょ、おまっ」
「アルフレートはアリマのことが洗いたかったんだから」
「とか言いつつちゃっかり気持ちよくなっているじゃないか。良かったね。無惨な洗濯物の仲間にならなくて」
「え?」
そこで、有間は無言で破けた服を噛んでティアナに見せつけた。
暫く茫然とそれを見つめていたティアナは、有間が濡れて重くなった服を揺らすと途端に青ざめた。ひきっった悲鳴が上がるのに、アルフレートが狼狽して宥める。
手つきを見ていればちゃんと加減がされているようだとは分かることだ。ティアナもそれを肌で感じているようだし、すぐに落ち着くだろう。
「他は縫合して直せる程度だったから。酷かったのはうちの服一着だけだから安心して良いよ」
「……すまない」
「別に良いって」
まだ気にしてるのか。
有間は肩をすくめてみせた。
駄目になった服を放り投げるとティアナはそれを見下ろしたまま表情をしかめた。
「またクラウスに探してもらわないと……」
「良いって良いって。まだ服はあるし。家計もキツいんだから今は要らないよ」
諭すように言うと、ティアナはやはり納得してはくれない。
居候の身だからと遠慮していると思っているのだろうけれども、実際ヒノモトの衣服を一着買うだけでも家計に相当な負担をかけてしまうのだ。来月ベリンダ達からの仕送りを確かめるまで、後回しにするつもりであった。
気にするなと繰り返す有間と、不服そうなティアナの様子にアルフレートが首を傾けた。
「こちらの服ではないのか?」
「ん。基本的にヒノモトからの輸入もんしか買わない。困った時は、クラウスさんの伝(つて)を頼って代わりに購入してもらうこともある。高いから頻繁には買わないし、ほとんどあの姿だからね」
アルフレートは顎を落とした。
「……そんな貴重な服を……!」
「ああもう良いから。それ以上は良いから。取り敢えずティアナを早く洗ってあげて。放置すると風邪ぶり返すから」
「あっ、す、すまない、何から何まで……」
「終わったことはどうでも良いし。一着減った程度でそこまで気にはしないし」
作業を再開した彼の手つきを眺めながら、有間は言う。本当に、有間自身は今となってはそこまで気にしてはいなかった。もう過ぎたことだ。いつまでも気にすることも無い。
それでも気にし続けるアルフレートに、有間はティアナと顔を見合わせて片目を眇めた。
‡‡‡
――――で、やっぱりこうなるのか……。
目の前でしたり顔のティアナを前足で押し潰し、有間は長々と嘆息した。
今、彼女の全身は泡だらけだ。だが、元々真っ白だった身体は清潔な泡にまみれても泡と毛の境界線が分かりにくい。
濡れて艶を強めた有間の体躯にブラシをかけながら、アルフレートは感嘆の吐息を漏らす。
「前に触った時も思ったが、アリマは毛並みがとても良い。勿論ティアナも、だが」
「育ちはよろしくないんだけどねぇ」
「アリマの場合は、神の色だからかもしれないな」
神の色ねえ……。
皮肉かと一瞬勘ぐったが、アルフレートがそんな意図が無いとは短い付き合いの中で分かっている。感性で動く節が見受けられるから、純粋にそう思ったから言っただけだ。
有間は目を細めて己の身体を見下ろす。
――――それは玉響(たまゆら)のことだ。
ほんの瞬き一つの間に、見下ろした身体が赤黒く汚れた。
まるで返り血のように扇情的で禍々しくも見える色の汚れに戦慄する。
「アリマ?」
「……ん。何でもない。ちょっと寒気がしただけ」
「時間をかけすぎたのかもしれない。そろそろ終わるから、もう少し辛抱してくれ」
「へーい」
間延びした返事を返し、ティアナが有間を不安そうに見上げているのに気が付いた。何か感づかれたかもしれない。
目を伏せて誤魔化し、有間はまたティアナを押し潰した。
心の中で、自分程神の色が似合わない生き物はないだろうと、独白しながら。
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