『《魔女と贈眼の子供》

 嘗(かつ)てファザーンより逃れてきた魔女と、贈眼の男の血を引く娘在り。
 その知識は、その魔力は、底を見せることを知らず。魔術、呪術、双方を会得した後、双方を混ぜた術を作り出す。
 彼の者に解けぬ術式は無く。
 彼の者に作れぬ術式は無く。
 彼の者は神に愛され望まぬ死は与えられず。
 その血は未だ、子孫に受け継がれたり。
 その血を持つ者、不慮では死なず。
 その血を持つ者、不可思議な術を操り、他のものすらも会得する。
 その血を持つ者、国々を回って更に更に知識を求めん。
 その証は――――(何かに塗り潰されていて読めない)』


 その文章を読むと、マティアス達がこちらに歩み寄ってくる。


「何だ、それは」


 ぐいっと覗き込まれて、有間は本を彼に見えるように傾ける。

 つまり、魔女と邪眼の混血がいたのだ。そしてその混血は、望まぬ死――――不慮の死は与えられず、己の寿命を全うするまで生き続ける特殊な宿命を背負っている。
 混血に解けぬ術など無く、そして作れない術も無い。
 それは子孫にも受け継がれ――――ヒノモトの外を放浪していると言う。
 そんな話、聞いたことが無い。


「……ただの作り話なんじゃないの?」

「そうだな。それに本当だったとしても放浪しているのであれば、ルナールの魔女以上に接触するのは難儀そうだ」


 一応は記憶に残しておいた方が良いだろうが、あまり宛にはしない方が良さそうだ。
 マティアスが離れていく。
 有間も、その本を床に置いて、はあと吐息を漏らした。ぐるりと首を回し、先程の記述を思い出す。

 邪眼一族に伝わるお伽噺の中にもそんな話は無い。
 しかもこの本の著者はヒノモトの人間ではない。信じるに足る情報とは言えなかった。


「大丈夫? ちょっと休憩する?」

「んー。ちょっとお茶淹れてくる。ティアナの分も淹れてくるよ」

「ありがとう」


 ティアナに笑いかけ、有間は「どっこらせ」と腰を上げる。ずっと本を見下ろしていた所為で首が凝っている。肩もだ。
 肩を叩きながら扉に手をかけるとアルフレートが、


「肩、揉んでやろうか」

「いや、無理でしょ」


 それに多分、揉まれた気になれない。
 そう言うと、アルフレートはうなだれた。



‡‡‡




 深夜――――否、早朝ともなれば、さすがにティアナが限界だった。
 夜明けまで幾許(いくばく)か、そろそろティアナを寝かせた方が良いかもしれないと、有間はマティアスにそっと耳打ちする。

 すると彼はすぐに頷いて、船を漕ぎ始めたティアナを呼んだ。
 彼女はびくんと身体を震わせて慌てたように起きていると主張した。だが、危ないとは誰の目からも明らかである。


「無理をする必要はない。もう休め。お前に倒れられたら困る」


 優しい声音をかけるマティアスに、ティアナは小さく笑った。


「心配してくれるの? ありがとう。だけど、後少しだから」

「お前は……」


 マティアスは吐息を漏らす。

 ティアナはこてんと小首を傾げた。

 それに、彼はやおらかぶりを振った。


「……いや、見ず知らずの他人のために、よくそこまでできると感心しただけだ。俺にも可能だろうかと考えたら、恐らく無理だな」


 そりゃあ、ティアナは超が幾つあっても足りないくらいにお人好しだから。誰にも真似出来ることではない。
 感じ入ったようにマティアスを見つめるティアナに苦笑を浮かべながら、有間はふと脇腹に寄りかかった柔らかな塊に視線を落とした。

 エリクである。
 彼もまた危ないようだ。というか、完全に寝てしまっているようだ。
 起こすのも憚(はばか)られるし、仕方がないのでそのままにしておくことにする。


「アルフレートは?」

「オレは平気だ。すまないな。オレ達が不甲斐ないばかりで」

「うん」


 躊躇(ためら)い無く首肯してやれば、彼はまた首を落とした。
 それに小さく笑って、「冗談だよ」と頭を撫でてやる。
 まだ恐怖心は抜けないが、幾分かはましになっている。少なくとも、この上質な毛並みを感じられるくらいには。


「眠くなったら寝てて良いよ」

「いや……そういう訳にはいかん。オレ達の問題だからな。せめてオレやマティアスだけは聞いておいた方が良い」


 彼が見やったのは、完全に寝入っているルシアである。ティアナが睡魔と戦いながら本を読んでいるその前であそこまで堂々と寝ていると、いっそ清々しい。
 清々しいが――――腹に来るものはある。
 有間はそっと読み終えた本を持ち上げて投げようと構えた。

 が、アルフレートに阻まれる。舌打ちが漏れた。


「アリマ……腹が立つのは分かるが、今は情報を集めることを優先してくれ」

「分かってるよ」


 本をアルフレートの前に差し出すと、彼は本を銜(くわ)えて床に置いた。
 その時だ。


「マティアス! ちょっとこれ……!」


 ティアナの声に視線をそちらに向けた。
 さっきまでの眠気は何処へやら。彼女は翡翠の瞳を目を真ん丸に見開いてマティアスに本を見せつけていた。

 それを胡乱げに見て、彼は僅かに瞠目した。


「人間を動物にする呪いと、動物を人間にする方法……?」


 その言に、有間はアルフレートと顔を見合わせる。
 大事なことだろうからとエリクを起こしてティアナの側へ行くと、彼女は食い入るように文面を見下ろし感嘆の声を漏らした。


「すごい……! 呪いをかけた本人を探さなくても、これで人間に戻れるかも!」

「ふわぁぁ……。どうした? 何か見つかったのか?」

「元に戻れる方法が見つかっただけだからそのまま寝てて良いよ」

「そうか――――ってマジかよ!? 寝てる場合じゃねえだろ!」


 もういっそ昼まで寝てろよ。
 そんなことを心の中で呟きながら、有間はその項目を横合いから読む。

――――眉根を寄せた。


「必要な材料しか書いてないけど」


 ティアナがえっとなって慌てて読み直す。
 直後、がくんと肩を落としてしまった。


「はぁ〜!? 何だよそれ! 中途半端な情報載せるくらいなら最初から書くなっての!」

「いや、中途半端じゃないと駄目でしょ。魔女でもない人がほいほい魔術を使える本があるなんて、普通に考えて有り得ないって」

「そうだな。情報としては不完全だが、戻る方法があるとわかっただけでも十分だろう」


 前向きなマティアスの言葉にエリクも同意する。
 魔術であるのだから、焦りは禁物だ。
 それにティアナも普通の女の子。彼らが慌てて何か行動を起こしたとしても、その負担はほとんど彼女のものである。もっとも、その時は有間が容赦なく痛めつけてやるつもりだが。

 取り敢えず、今日はここで終わりにするとして、ティアナを休ませることとした。

 有間はティアナの持つその本を見下ろしながら、顎を撫でた。


「アリマ、どうかした?」

「ねえティアナ。この本うちに貸してもらえる?」


 「え?」こてんと首を傾げる。
 動物達の視線も有間に集中した。


「ちょっと、うちなりに材料を見ながら考えてみる。まあ、ヒノモトのやり方で作れるとは思えないけど。やらないよりはましでしょ。どうせ仕事があるからこのまま起きとくし」

「でも……」

「うちは徹夜には慣れてるから。ほら、ティアナはさっさと寝ておきなって」


 ティアナの手から本を取り上げて、背中をぽんと叩く。


「んじゃ、うちはここに残るから。君達も寝ときなよー」


 ソファに座って本を開く。
 文面に集中し出すと、誰かが礼を言ってきたような気がした。

 返事をしないのも悪いから、一応、片手を振っておく。



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