取り敢えず数日はこの姿を甘んじ、マティアス達に家事を一任することとなった。……そのことに果てしない不安があるのは、仕方がないと思う。

 そして、その不安は決して裏切られず。
 家中から聞こえる騒音や悲鳴に、むしろ煽られ落ち着かない。
 有間はよく聞こえる耳を動かし、何度目かの嘆息を漏らした。
 何度、物が壊れているんだろう。そしてこれは何度目の疑問なんだろう。

 ティアナの部屋で大人しくしていろと言われていたが、二人は王子達の様子が気になっていた。


「……見てこようかな」

「……私も、そう思ってた」


 有間の独白に青ざめたティアナが細々とした声で同意する。さっきから、彼女は口数が少なく、おどおどと挙動不審になっていた。

 二人は互いに顔を見合わせ、吐息を漏らす。


「……行っちゃう?」

「……うん。そうだね。じゃないと、何か買い直す羽目になっちゃいそう」

「あはは、……笑えねー……」


 そこで、下から悲鳴。
 有間は先にベッドを降り、身を屈めて階段を作った。


「猫みたいに降りれないだろ。階段代わり」

「あ、ありがとう。ごめんね」

「良いって」


 有間の背中に、躊躇うように触れたティアナの小さな前足が擽(くすぐ)ったい。
 ティアナが無事に床に降りるのを確認し、有間は立ち上がった。少しばかり透き間の空いた扉を開けて先に出る。


「二手に分かれようか」

「うん。じゃあ、私は台所の方に行くね。皿の割れるような音も聞こえたから」

「分かった。じゃあ、うちは――――」


 ……。

 ……。

 ……。


「アリマ?」

「近くの部屋でエリクがやけに上機嫌に鼻歌歌ってるんだけど」

「……。ええと…………お願い」

「だよねぇ……」


 彼は掃除を請け負っていた筈。掃除ごときで何故あんなにも上機嫌な鼻歌が歌えるんだ。
 杞憂だとは思いつつ、何か不穏なものを感じた有間は、同様に表情を強ばらせたティアナに頼まれ、エリクがいる部屋の方へと、ゆっくりと近付いた。


『ふんふんふ〜ん……』


 ……だから、何でそんな機嫌良いの?
 部屋を僅かに開いて一室を覗き込むと、エリクが部屋の隅で掃除をしている。

 部屋は、とても綺麗に片付けられ、整理されていた。
 無駄な物が《一切》消え失せている。
 有間の感じていた不穏は、思っていたよりも悪くはないが、だからといって良いとも言いにくかった。


「ええと、これもいらなーい、これもいらないーい……」


 ちょいと兄さん、それは捨てすぎじゃね?
 心の中でツッコむ。
 けれども部屋に入らずに様子を窺う。


「ふふ、相変わらずルシアが部屋を散らかしまくるからイラッとしたけど、ちゃんと片付けようと思うから大変なんだよね。全部捨てちゃえば、部屋の掃除なんてすぐに終わっちゃうし。もっと早く気付けばよかったなぁ」


 ……垢抜けたなあ。
 そのまま扉を閉めようとした有間は、エリクが手にした物を見てあっと声を漏らして慌てて部屋に飛び込んだ。


「ちょ、ストップ! それは捨てたらあかんって!」

「あ……! アリマ!」


 手にしていた物――――古びた本を開こうとした手を止めて、部屋に入った有間を笑顔で迎える。澄み切った空のような爽やかな笑顔に有間は視線を逸らして苦笑した。


「僕に会いに来てくれたの?」

「いや、そりゃたかが掃除で上機嫌な鼻歌歌ってりゃあね……様子見に来たんだよ」


 エリクに歩み寄って後ろ足で立ち、エリクの手から本を取り上げた。手ではなく、口で。
 それを本棚に戻そうとして上手くいかずに舌打ちすると、エリクが入れようかと手を差し出した。素直に甘えて手渡す。


「この本、アリマのだったんだ」

「……まあね。その辺に放置されてたってことはルシア達に見られたか。本棚の中に紛れ込ませれば大丈夫かなと思ってたけど」

「何の本か訊いても?」


 本棚に戻し、エリクは問いかける。

 有間はその本を凝視しながら、ぽつりと答えた。


「交換日記さ。うちの」

「へえ。じゃあ相手はティアナ?」

「いいや。遠い昔に死んだ邪眼の女の子」


 エリクが息を呑む。

 右の前足で本の背を撫で、有間は目を細めた。
 邪眼一族の中で一番年が近かったから、何かと一緒に遊んでいた女の子。親友とも言える仲だったと思う。
 目の前で鉄球に潰され死んだ彼女との思い出が詰まったたった一つの形見だった。
 と言っても、一部には血がべったりと付いているから読めないのだけれど。
 ルシアもそれを見て放り投げたんだろう。これについて今まで訊ねてこなかったのが不思議だ。ヒノモトの書物だからって、変に気を遣ったのだろうか。

 脳裏に《彼女》の死んだ姿が蘇り、振り払うように首を左右に振った。


「……まあ、そういう訳で、呪われたくなかったら無闇矢鱈に触らないことをお勧めするよ。どんな思念がこもってるか分かんないし?」

「ごめんね」

「良いさ。うちも……いつまでも持ってるべきじゃないって思ってるしさ。そのうち、供養でもして焼き捨てるよ」


 エリクは申し訳なさそうに目を伏せ、もう一度謝罪をした。

 有間は肩をすくめて見せて――――実際にそう見えたのかは不明である――――「じゃあ他のところも見てくるから」と背を向けた。


「あ、さっきの本みたいにうちの私物があるかもしれないから、ルシアに確認してから捨ててね」

「そうだね。君の私物まで捨てちゃったら大変だし、気を付けて分別するよ」

「……」


 あれ、話が食い違ってるような……いや、これ以上ツッコむのはよそう。
 有間は挨拶代わりに尾を揺らし、部屋を後にした。



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