『そんなに人の声を連呼しなくてもちゃんと聞こえてるわよ』


 何度も何度も五月蠅く繰り返された呼びかけに応え、うんざりしたように眦をつり上げたゲルダは、少しだけ眠そうに目尻を指で拭った。どうやら今まで昼寝をしていたらしい。
 何か用かと、暢気な声で返す彼女を映し出す手鏡に、シルビオは狼狽した声でまくし立てた。


「昼寝なんかしてる場合か! 場合によっちゃ、お前の命も危ないぜ?」

『は? 一体何を言って……』


 状況を全く分かっていないゲルダに、有間はやっぱりか、と心の中で独白する。
 少なくとも、マティアス達の憶測は外れているようだ。

 シルビオの横から鏡面を覗き込んだマティアスが、シルビオから手鏡を奪って有間とティアナの方へと向ける。

 こちらの姿を確認したゲルダは困惑したように瞳を揺らした。


『な、何よ。このネコと……豹、よね? この子達がどうかしたの?』

「それが、実は……」

『あら? この声……ティアナ?』


 視線が逸れる。
 この猫と豹が風邪で倒れたティアナと有間だと気付きもしないゲルダは周囲を見渡しティアナの姿を探す。


『よかった、目が覚めたのね? 私の薬、よく効いたでしょう。アリマも、落ち着いたんじゃない?』

「う、うん。風邪はすっかり治ったんだけど……」

「治って、ちょっとしたサプライズがあったんだよねぇ」


 間。

 暫くして、ゲルダが愕然と顎を落とした。取り乱し、状況を把握しようとする。


『今、この動物達から二人の声が……』

「聞き間違いでもなんでもねーよ」


 いつの間にか、二人の姿が変わっちまってたんだ。
 把握しきれないゲルダに、シルビオは事実を突きつける。

 ややあって、彼女は驚愕に大音声を上げた。


「ゲルダ、正直に吐こうか。君がやったんだよね?」

『え? わ、私がって!?』

「君が二人に、金の粉をかけたんじゃないかって聞いてるの」


 ゲルダは気色ばんで否定した。
 しかし、疑惑は晴れず。


「それはこちらが聞きたい。状況的に、犯人はお前以外考えられない」

「今更後悔しても遅いが、ゲルダをこの部屋に入れるとき、誰かが付き添うべきだったな」

「ああ……中庭で腹筋などしている場合じゃなかった……!」

「いいから正直に吐け! お前がやったんだろ!?」

『ちょ、ちょっと待ちなさい!! 私はそんなことしてないわよ!! 私は風邪薬を調合してあげただけで、金の粉なんて危ないものは持ち歩いてないわ』


 それでも信用しない彼らに、ゲルダも強気に無罪を主張する。
 有間はそこで、口を挟んでゲルダを呼んだ。


「ゲルダ。ちょっと、鞄の中確認してみてよ」

『え? か、鞄? どうして……』

「良いから。でないと、疑いが晴れないよ」


 伸ばした爪で床を引っ掻いてマティアス達を牽制しつつ、ゲルダを急かす。

 承伏しかねる顔をしているゲルダは、渋々と己の鞄を探り始めた。当然、鏡面から消えた。
 それから、暫く。
 再び鏡面に現れたゲルダは青ざめた顔で口角をひきつらせていた。

 あーぁ……。


『……お、落ち着いて私の話を聞いてもらえるかしら』

「何か心当たりがあったのか?」

『え、ええと、その……言いにくいんだけど』


 そう言いながら、震える手で小さな小瓶を二つ、掲げて見せた。


『二人に渡すはずだった風邪薬が、どういうわけかここにあるのよね』

「クラウスさん。うちに千ネルケちょうだい」


 有間が片手を出してせがむと、頭を叩かれた。


「叩かなくても良いじゃないか……。で、うちらは何を飲んだの?」

『あなた達に間違えて飲ませてしまったのは、シルビオに頼まれて作ったネコ化の薬……と、その失敗作よ』


 ……敵は味方の内に在り。
 有間はぎろりと人化した正真正銘の猫を睨めつけた。
 視線が一斉に集中したシルビオが青ざめて数歩後退する。


「ネコ化の、薬……!?」

「ちょ、ちょっと待て! 何だよそのネコ化の薬って!?」

『その名の通り、人間をネコにする薬よ。金の粉と違って、どんな人間でも必ずネコになるの。ただ……アリマに飲ませてしまったのは失敗作だったと思うから、多分邪眼の血が作用して豹になってしまったのでしょうね』

「どんな人間でも、必ずネコに……まさかそんな薬があったとはな」

「つまり、こうなったのはやっぱりゲルダの仕業ってことなんだね?」

『い、言っておくけど、わざとじゃないわよ!? 小瓶の形が似ていたから、うっかり間違えただけで……!!』

「人のことを呪っておいて、うっかりで済まされる問題か!」


 一喝するクラウスに、ゲルダは身体を竦ませる。申し訳なさそうにうなだれ目を伏せる。

 その様子を見ながら、マティアスが嘆息した。


「そんなことだろうと思っていたが、案の定だったな……」

「だが、まさか金の粉以外にも人間を動物にする手段があったとは、驚いた」


 一番の元凶は、シルビオだ。
 彼がゲルダにそんなことを頼まなければこんな事態にはならなかったのだし。

 今度はシルビオが集中砲火を受ける。
 それでも彼はさほど深刻そうでない。むしろ、薬の類が分かって安堵しているようだ。
 噛みつくエリクとルシアを宥めながら、彼は薬に欠陥があることを明かした。

 それを説明するのは、ゲルダだ。


『金の粉と違って、この呪いは持続性がないの。何もしなくても、二、三日で効果が切れるわ。……アリマは、少しかかってしまうかもしれないけれど。でも安心して。鯨に頼んで診てもらえばすぐに解決策が見つかるわ』

「じゃあ、何もしなくても呪いは解けるってこと?」

『ええ、そうよ』


 ゲルダの肯定に、ティアナはほっと全身から力を抜いた。
 その背を軽く叩いて慰めると、小さく礼を言われる。


「とんだ災難だよね」

「……うん」


 けど、アリマの風邪が一日も経たないうちに治ったのは良かった。
 そう言う彼女の頭に、白い前足をぽふっと載せた。



.

- 134 -


[*前] | [次#]

ページ:134/140

しおり