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「な、何これ! 肉球!?」
周章狼狽するティアナはバランスを崩してその場に倒れ込んでしまった。慌てて姿勢を戻すとマティアスが宥めるように努めて穏やかに声をかけた。
「……落ち着いて聞いてくれ、ティアナ。今のお前は……どうやら、ネコになってしまっているようなんだ」
「え、ええ……!?」
ティアナはざっと青ざめた。
ま さ か――――。
「き、きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「っ……お、落ち着け! ティアナ!」
「ど、どうして!? なんで私の身体が、こんなことに!?」
あたふたと狼狽える彼女の背中に手を置き、クラウスが軽く叩いてやった。
「ティアナ。気持ちはわかるが、冷静になれ。お前がいくら騒いでも状況は好転しない」
「いやいや、こんな目に遭って騒がないヤツはいねーって!」
ティアナは自分の身体を改めて見下ろし、ふと、有間のことを思い出した。
有間はこの部屋の中にはいないようだ。
戻ってくる気配も全く見受けられない。
だと、すると――――。
ティアナの推測を代弁するかのように、アルフレートが大急ぎで部屋を出た。
廊下を歩きながら有間の名を呼ぶ。
「……やはり、アリマも何かの動物になっている可能性があるな」
「混乱して、何処かに隠れてるのかも」
クラウスがアルフレートを呼びながら部屋を出ていく。
自分も行こうとベッドを降りようとすると、マティアスが抱え上げてくれた。
「誘拐されたのでないのはせめてもの救いだな。……ティアナ。アリマが隠れそうな場所に何か心当たりは――――」
ガタンッ。
隣の部屋で大きな物が倒れる音がしたのに、ティアナは身体を強ばらせて悲鳴を漏らす。
アルフレートとクラウスの慌てた声が有間を呼んでいる。……見つかったらしいが、様子が少しおかしかった。
エリク達と顔を見合わせて部屋を出ると、開けっ放しの扉から白い塊が飛び出してきた。
「え――――」
雪の純白に、彼らは一瞬目を奪われた。
‡‡‡
部屋を躍り出たのは豹(ひょう)だ。
ただ――――優雅な肢体は雪のように真っ白で。紫色の瞳だけが唯一の色。
このありふれた民家の中では、景色の方が雪の化身のような豹に釣り合わなかった。
後ろでルシアとエリクが感嘆の吐息を漏らした。
マティアスもティアナも、本心からその豹を美しいと思える。神々しさに似た高貴なオーラを持つその白豹は、唯一無二、絶世の芸術品だ。
「アリマ! 待て、落ち着け!」
アルフレートが部屋を飛び出せば豹は姿勢を低くして唸る。今すぐにでも飛びかからんばかりの威勢にアルフレートもクラウスも、手が出せないでいた。
「アリマ? アリマなの?」
ティアナがマティアスの腕の中から白豹に呼びかける。
すると、白豹はマティアスを見やり、「……は?」と聞き慣れた声を漏らした。
「……魂がティアナなんだけど、その猫」
「アリマだな。お前は猫科の肉食獣か。まさか猫繋がりだとはな」
白豹――――有間はその場に座り込み大仰に吐息を漏らした。
しっかりとした動作に気だるさは無く、彼女も風邪はだいぶ治っているようだった。
アルフレートが側に屈んで背中に手を置くのに、居心地悪そうに唸る。けれどもうんざりしたように、か細い声で恨み言を漏らした。
「どうなってんだよもう……何でうちらがこんな目に」
「これは……オレたちが呪われたときと、同じ状況だな。まさかあの金の粉が、彼女の身体に……」
「確かにそれしか考えられないけど、一体誰がそんなことを? この家には、僕たちの他には誰もいないんだから、もしそれをやった人間がいるとしたら……」
エリクは刃のような鋭い視線をシルビオへと向ける。
身体に染み着いた恐怖が、シルビオの身体を震え上がらせた。
「お、おいおい! なんでそこでオレを見るんだ!?」
「この状況で疑わしいのは、君しかいないと思うんだけど?」
僕たちに金の粉をかけた張本人だしね。
威圧するように低く強調するエリクに、シルビオは必死の体で弁明した。
「あれはゲルダに命令されて、仕方なくなったことで、オレの意志じゃねーよ!」
「そう言えばお前、彼女に金の粉をかけたら、オレと同じネコになったりしねーかなとか前に言ってたよな……!」
「……おいぃ、クソ猫。ちょっとそこに首晒せ。噛み千切ってやる」
ゆらり。
有間が腰を上げて徐(おもむろ)にシルビオに歩み寄る。獲物を狙う獣の眼差しに、シルビオは後退する。
「っ……そんなの、ちょっとした冗談だろ!? 風邪ひいて寝込んでるってのに、その隙を狙って金の粉をかけるなんて、いくらオレでもしねーよ! つか、じゃあなんでアリマも豹になってんだよ!?」
「その言葉を、俺たちが信用できると思っているのか? 場合によっては、ローゼレット城の地下牢へ閉じこめて、永遠に日の当たらない生活を送らせてやってもいいんだが……」
「むしろ……輪廻に戻してやっても良いんじゃね?」
「アリマ、気持ちは分かるが落ち着け……」
アルフレートが首根っこを掴んで引き留める。
完全な獣扱いが気に食わなかったのか、アルフレートを振り返って襲いかかった。今度はクラウスに首根っこを捕まれて止められたけれども。
混乱の所為で取り乱したティアナとは違い、有間は気が立っていた。ともすればアルフレートにすら八つ当たりしそうだ。
気持ちは分からないでもないが、肉食獣であるので本気で襲いかかられたら洒落にならない。
アルフレートとクラウスに宥められる有間を眺めながら、ティアナは己の身体を見下ろした。
「落ち着け、二人共。幸い、俺たちはもうこの呪いを解く方法を手に入れている」
金の粉をかけて呪いを受けたのならば、またかけて戻せば良いのだ。
確かに、そうだ。
そう思うとティアナも幾分か気が楽になったような気がした。そう、元に戻る方法もちゃんとあるのだから、慌てなくて良いんだ。
安堵して、吐息をこぼす。
――――けれども。
有間だけは承伏しかねるように目を細めてマティアスを見上げていた。
誰も、彼女の様子に気付く者はいない。
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