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リビングが、少し騒がしい。
有間は行商人から買ったヒノモトの数日前の新聞を読みながら扉をちらりと見やった。ティアナは、まだ起きていないようだ。
今日は仕事は休みである。
なのでゆっくりと過ごすつもりなのだけれど――――。
と、扉が開いてティアナがリビングに入ってくる。
その姿に違和を感じて片目を眇めた。
何か、顔が赤いような……。
「今日こそは、ここを出ていってもらうぞ、マティアス。お前たちを、ファザーンとザルディーネへ送り届ける手配も既に完了した」
「ずいぶん勝手な真似をしてくれたな。そんなことを頼んだつもりはない」
騒ぎの元は主にクラウスとマティアス。
さっさとティアナの家を出ていって欲しいクラウスが再三帰国を強いてもマティアスが頑なに拒絶しているのだった。
有間としても、マティアスは帰った方が良いと思う。
ヒノモトでは、領地を離れるのは道程を除き一ヶ月と定められている。それ以上の滞在は罪となる。以前長期滞在のさなかに飢饉、未知の病の大流行を引き起こした領地が過去に数度あり、そのような法が定められていたのだった。
ヒノモトで暮らしていた有間も、ヒノモトでは大罪人で身分を剥奪されていると警告をしているものの、ここはカトライアだと聞きやしない。ティアナにぞっこんの彼の姿を見ていると、古に幾人も首を刎ねられた愚鈍な貴族の話を思い出す。
結局文化の違いだとはっきりと切り捨てられるので、そんな意見だけで反ファザーン運動起こるしナメられるよなどと忠告はせず、放置することにした。
吐息を漏らして新聞をめくるとティアナが小走りに寄ってくる。
「勝手なことばかりしているのは、お前たちの方だろう。ファザーンの王となったお前が、これ以上カトライアに止まる必要などないはずだ。ファザーンからも、早くお前を帰して欲しいと、通達が来ている。これではまるで、カトライアがお前たちを無理に引き止めていると思われてしまう」
「実際、ファザーンの者たちは、お前が俺たちを引き止めていると思っているだろうな」
「何……? どういうことだ」
怪訝そうなクラウスに、マティアスはしたり顔で笑う。
「簡単なことだ。俺たちがここへ留まっているのは、お前に頼まれたからだと言ってある」
クラウスは顎を落とした。
「カトライアが落ち着くまで面倒を見てやることになった。苦情ならクラウスに言ってくれと……」
「貴様、よくもぬけぬけと、そんなことを……!!」
「ファザーンはカトライアの友好国だ。法王陛下が退位の意向を示された今、次の法王陛下が即位され、その身辺が落ち着くまで側で見守りたいと願ったところで、なんら不思議なことではないだろう?」
クラウスの胃が心配だ。
有間は手にした《それ》を弄んだ。
「その大義名分を振りかざしたいなら、今すぐこの家を出てローゼレット城に滞在しろ! だいたいお前たちのような王族が、こんな庶民の家に滞在するなど、非常識すぎる! 少しは彼女の迷惑も考えたらどうだ……!」
「大義名分を振りかざしているのは、お前の方だ、クラウス。本人が迷惑だと言ったなら考える余地もあるが……お前の個人的な感情で、俺たちを追い出そうとしても無駄だ」
「個人的な感情だと!? お前は自分の立場がわからないのか。ローゼレット城でなら警備体制もそれなりに調えられるが、こんな場所では何か起きたとき対処ができない」
段々と、苛々してきたかもしれない。思えば朝ここに降りてからずっとこんな感じだったな。
ああやばい。本当に苛々してきた。この二人五月蠅い。
「詭弁だな、俺やアルフレートに危害を加えられる程の人間がもし事を起こしたとして、ローゼレット城の兵士たちで、太刀打ちできるのか?」
「ティアナってさ、マティアス達に巻き込まれて死ぬ呪いをその身に受けたんだよね。ただ側にいたってだけで、あんたらのごたごたには全くの無関係なのにね。そしてあんたらには何にも出来なかったよね。無力だったのはうちも同じだけど」
さすがにそれだけは言っておく。
貧乏揺すりまでしだした有間にティアナが気付き、慌てて気色ばんだクラウスと挑発的なマティアスの間に仲裁に入った。
「ちょ、ちょっとクラウス、マティアス……!? 二人ともやめてよ、こんな朝早くからケンカなんて……!」
「ケンカなどしていない。こいつが勝手に、俺たちを追い出そうとしているだけだ」
新聞を読み進めながら、ティアナの様子を窺いみる。
やっぱり、どっか様子が変なんだよなあ……今朝のティアナ。
「ティアナ。そろそろはっきりしてもらえないか?」
「え!? はっきりって?」
「何もかも終わって、ゲルダの呪いも解決した今……こいつらの面倒を見てやる理由はないだろう」
「そ、それは、そうかもしれないけど……」
正直、追い出した方が良い。
ティアナは隠し続けているが、四人も養っている為に家計は赤字ぎりぎりなのだ。今のところ有間が稼ぎを加えることで何とか保っている状態だが、それもいつまで続くか……、
ローゼレット城にいればこちらの生活は非常に楽になる。
言えば多分国から金を出してくるだろうから、こればかりは言っていないが。
「ふわぁぁぁ……おはよ、ティアナ」
寝ぼけ眼でリビングに入ってきたルシアに、救われたとばかりにティアナは表情を輝かせた。
「あ、ルシア! おはよう、今日はずいぶん早いのね」
「腹が減りすぎて目が覚めちまったんだよ。頼むから、なんか食わせてくれ……」
「ふふ、わかった。ちょっと待ってて、すぐに準備するから」
「……ティアナ。お前は俺の話を聞いているのか!?」
怒鳴られたティアナは身体をびくつかせ、取り繕うように笑う。
暫し考えて、
「……ごめんねクラウス。みんなのためにご飯を作るとか、身の回りのことをするのがいつの間にか当たり前になっちゃって」
「お前はお人好しだから、そうやって丸め込まれているんだ! 嫌なら嫌とはっきり言え! そうすれば、俺が……!」
有間は大仰に吐息を漏らした。いい加減、終わらないかな。
ルシアが腹減ったと言うものだから、有間も空腹を感じ始めている。それによって、苛々は増幅されていく。
「おいおい、朝っぱらから何の話だよ。まさかオレたちを、ここから追い出そうってのか?」
「ああ、そのまさからしいぞ」
「へぇ……聞き捨てならないね」
ああ、また何か面倒そうな……。
一向に終わらない問答に、有間は暗鬱とした心地で窓の外を見やった。
何で朝っぱらからこんな騒動の中にいなくちゃいけないんだ……。
二度寝するか散歩にでも行けば良かったかなと、後悔した。
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