「おー、アリマ。繁盛してるか?」

「ぼちぼちでんなー。まあ、いつもと比べたら多い方なんだけどね」


 暇潰しに商売道具の手入れをしながら、小劇場から出てきたサチェグにのんびりと返答する。

 サチェグの顔は塗料で汚れている。また新しい劇の大道具を制作しているのだろう。新作が出来たんだとココットが喜んでいたのはつい昨日のことだ。
 今日はもう終わりらしい。サチェグは顔の塗料を拭うと――――取れずに広がるだけだったが――――と有間の隣に屈み込んでにんまりとした。

 それを五月蠅そうに見下ろし、有間はサチェグを蹴飛ばす。

 手加減をしていたのだがわざとらしく痛そうにするサチェグを無視して手入れに戻ろうとすると、肘で腰の辺りをつつかれた。


「で、どうなのよ殿下とは。サニアは妥協したみたいだけど」

「……別に、保留になっただけだけど?」

「は? 保留……ってお前……」


 呆れた風情でサチェグが吐息を漏らす。

 有間はさらりと、彼の物言いたげな視線を流した。暮れ始めた空を確認し、道具を片付け始める。偶然を装って馬上筒をちらつかせると瞬く間に距離を取られた。


「お前友人殺す気か!?」

「……ええっと、今日の儲けは、っと……」

「無視するなよ」


 机をばんばんと叩いて主張するサチェグに、有間は大仰に嘆息してみせる。


「何だよその態度。一役買った俺に感謝して、少しくらい教えてくれたって良いじゃんよ」

「一役? うちの首を絞めるのに? ああじゃあここで君を殺しても復讐ってことになるんだよね」

「すいませんでした!」

「っていうか何であんたが《地方派》の文字知ってるのさ。知ってるのって今では一握りなのに」

「いや、親父が古文書の収集家でさ。ヒノモトの《地方派》文字の古文書もあったから、親父に教えてもらいながら呼んでたらいつの間にか身についてた訳」


 「俺凄くね?」なんて自慢げに言うものだから、有間は馬上筒の銃口を彼の額に押し付けた。即座に謝罪が出てきた。
 馬上筒を下げると、サチェグは額を撫でながらまた暢気な声音で、


「アリマに春が来たのかー。良いなぁ」

「……あんたんとこは」

「あいつ、クラウスさんにぞっこんだってさ」

「諦めろ。お前じゃ無理だ」

「何でそういうこと言うかな! 頑張れば何とか出来るかもしんねーだろ!?」


 いや……サチェグとクラウスでは器が違う。
 シャンミィは見る目がある。
 そう言うと、サチェグは地面に両手をついてうなだれた。

 シャンミィのことは本気で入れ込んでいたから、余程ショックなのだろう。
 ざまみろ、と鼻で笑って有間は道具を片付けていった。
 机上に何も無くなったところでサチェグを呼ぶ。


「で、この後小劇場に来いって言われてるんだけど」

「おう。今からどうぞ。机と椅子が俺が運び入れておくからさ」


 サチェグは思い出したとばかりに即座に立ち上がり、有間を強引に立たせると背中を押して小劇場へと押しやった。
 その打って変わった楽しげな笑みに訝(いぶか)りながらも、神妙に従って中に入ると、中は真っ暗だった。扉を閉めて歩を進めると、横合いから抱きつかれて野太い声を上げてしまった。

 ややあって、小劇場内に光が灯され、拍手の波に気圧される。
 何事だと目を白黒させていると、有間に抱きついたココットが有間を椅子に座らせた。
 そして、驚愕。


「……ティアナ?」


 どうしてか、テーブルを挟んだ正面に困り顔のティアナが座っていた。多分裏口から入ってきたのだろうが……何故に?


「どしたの、これ」

「わ、私にも分からないの。さっきいきなり小劇場の人が迎えに来て、ここでに座らされて……」


 ……何事なの、これ。
 いよいよ状況が分からなくなってしまった。
 ココットを呼んで説明を乞うが、ココットは人差し指を口の前で立て笑うのみ。始まってからのお楽しみ、なんて言葉が聞こえてきそうな笑顔だ。

 顔を歪めて、ココットの示す舞台をティアナと共に見やれば、それを待ちわびたように幕が上がり、瀟洒(しょうしゃ)でありながらに気品溢れるベージュ色の舞台衣装に身を包んだサニアが貴婦人のような佇まいで立っていた。
 彼女はティアナと有間に笑いかけると、


「可愛らしいカトライアの英雄達に、心から感謝を」

「は……?」


 呆気に取られたのもつかの間。
 サニアは顔を僅かに上げて、その細い咽から流麗な歌声を流し始めた。

 サニア・アニタが小劇場一番の女優と言われる所以は二つある。

 一つは演技力。彼女はありとあらゆる役を、誰よりもなりきって演じる。嫉妬に狂う女であればまさにヒノモトの鬼女のようであり、失恋し男を殺めた水の精ならば儚くも美しい清廉な乙女と変わる。彼女の持つ精巧な仮面は百をも優に越えていると、とある貴人に言わしめた程だ。

 そして、もう一つがこの美しい歌唱力だ。元々歌が好きだった彼女はこの小劇場で亡国の王子に恋をした病の歌姫を演じてその才能を開花させた。彼女の歌だけを目当てに訪れる客も多い。また、その客は往々にして彼女の腹の黒さを知らない。知らぬが仏である。

 そんな彼女が、ティアナと有間に向けて美しい歌声を披露している。
 これは、大変な待遇だった。
 思わずココットの服を掴んでくいっと引くと、


「カトライア全体だと驚いちゃうだろうから、私達だけでお礼をしようって」

「いや、でも……うちは何もしてない。解決させたのはティアナとマティアス……殿下であって、」

「良いじゃない。サニアの歌声なんてそう聞けるものじゃないもの。最高の贅沢よ!」


 有間の双肩を叩き、彼女はサニアを見やってうっとりと表情をとろけさせた。

 有間は困惑しつつも、ティアナを見やった。
 彼女は嬉しそうにサニアの歌声に聞き入っている。

 ……。
 ……まあ、良いか。
 ティアナが喜んでいるのなら、それで。
 有間は苦笑を滲ませ、天から降り立ったような歌姫の美しい歌に耳を澄ませた。



‡‡‡




 夜。
 夕飯にしてくれと沢山の賄(まかな)い料理を持たされ小劇場を出た二人は扉を閉められた後に足を止めた。


「終わったのか」

「マティアス……! アルフレートも! 迎えに来てくれたの?」

「ああ。お前達に感謝をするだけだからと、小劇場の人間に迎えを頼まれてな」


 マティアスはティアナに近付き、さりげなく料理を持つ。ティアナはほんの少しだけ頬を染めて控えめに謝辞を口にした。

 早くも雰囲気が変わった。
 離れようかと数歩横に退くとアルフレートが歩み寄ってくる。


「看板女優が歌ったと聞いたが、楽しかったか?」

「ああ、うん。滅多に聞けるもんじゃないからね。貴重なお高い歌を堪能したよ」


 こっちは何もしていないんだけどね。
 肩をすくめて苦笑いを浮かべる。

 アルフレートは否定し、有間の手から料理を取り上げた。有間の持っていた分はティアナよりも重い。大丈夫なのかと問えば、大したことは無いと返答があった。
 彼の笑みに少しだけ恥ずかしくなったが、保留だからそこまで意識しなくても良いのだと言い聞かせて平静を保った。

 暗い道をアルフレートと並んで、ティアナ達を眺めながら有間は目を細めた。

――――ティアナは、生き残った。

 生き残ってここにいる。彼女は変わらず笑顔で、幸せでいる。
 それに、酷く安堵している自分がいた。

 変だな、と思う。
 変じゃない、と思う。

 矛盾しているけれど、今となってはそれでも良かった。
 ティアナの存在がただ、理性(じぶん)が思うより、本心(じぶん)にとって大きく成長していたというだけなのだ。

 足を止めて、歩いてきた街並みを振り返る。
 夜には人通りが少ないが、昼は陽気な人々が行き交い、言葉を交わし、笑みを浮かべる。
 故郷とは違う、とても暖かくて、とても擽(くすぐ)ったい情景だ。
 それが、失われかけて、守られた。


「アリマ? どうしかしたのか?」

「……いや」


 アルフレートの問いかけに身体を反転させると、ティアナが不思議そうに有間を振り返って首を傾げていた。

 それに、有間は口元を綻ばせた。今までしたことが無いような、とても穏やかな笑みだった。


「平和ってのも、悪いもんじゃないねって思ってさ」



―平和一番・完―


●○●

 これで猛獣連載の前編が終わった、みたいな感じですね。
 続編に向けて色々考えてます。


.

- 126 -


[*前] | [次#]

ページ:126/140

しおり