「待ってくれアリマ!!」

「何なの!? 何なのこの状況!?」


 後ろから片腕を強く引っ張られるのに対し、有間は必死に足を前に出して前に進もうとする。傍目からすれば、若い男女が森の中で何をやっているのかと疑問を持たれそうだ。
 だが有間にはそんなことなどどうでも良い。今はとにかく、追いかけてきたらしいアルフレートから逃げたかった。顔もまともに見れないし、傍にいるだけで落ち着かない。こういう時は逃げるに限る。

 ぐぬぬぬ……と渾身の力を持って前に逃げようとする有間の心情を察してか、アルフレートもなかなか放そうとしない。『待て』や『落ち着け』を繰り返して有間を宥めようとする。

 華奢な少女の有間と、細身であるがしっかりと鍛え上げた青年のアルフレート。
 如何に邪眼一族であろうとも、剣術に秀でたアルフレートに勝る筈もなかった。
 暫し続いた地味な攻防もやがてアルフレートに軍配が上がり、無理矢理に向き合わされることとなった。ぐい、と顔を背けて口角をひきつらせる。あまりに露骨な拒絶である。

 アルフレートは複雑そうな顔で口を開き、すぐに閉じる。思案するように視線をさまよわせて有間を切り株に座らせた。
 逃げないように両手を持って有間の前に立つ。刺激しないよう、努めて穏やかに名を呼んだ。

 有間は頑なにアルフレートの顔を見ようとしない。その紅潮とも青ばんだとも取れない、お世辞にも健康的とは言えない顔色の中で渦巻く感情はどんなものなのだろうか。


「アリマ、先程の薔薇は……」

「や、あれは薔薇さんが勘違いしましてね、うちと誰かを勘違いしたんだと思いますよ、うん!」


 冷や汗まで流れた。
 有間はあははと乾いた笑いを漏らしながら薔薇の現象を否定する。

 けれども、アルフレートの手に力がこもったのに小さく身体が跳ね上がった。


「いや、そういうことではなく、花の中にこれが入っていたんだ。ヒノモトの言葉らしいが」

「は?」


 手に握らされたのは小さく折り畳まれた紙だ。
 怪訝に思いながら開くと、確かにヒノモトの文字、それも現在の形式《中央派》普及させる為に大昔に絶えた《地方派》の文字である。
 有間は文字の羅列を見――――舌打ちした。

 要約すれば、こうだ。
『いい加減気付け。薬屋で殿下と二人きりでいた鶯殿に嫉妬していたことは分かっている。 クラウス』

 つまりは、クラウスとサチェグが謀って、あの伝説を用いてきたのだ。何処で《地方派》の文字を覚えたのかは分からないけれども。有間の記憶が正しければ、国立図書館にもその言語を取り扱った書物は無かった筈だ。


「……あんのクソ眼鏡ぇぇぇ……!! 殺す、サチェグと一緒くたに惨殺してやる……!」


 ぐしゃりと紙を握り潰し、地を這うが如き怨嗟の声を絞り出す。
 それに、アルフレートはぎょっとした。


「アリマ? 何が書かれていたんだ」

「すっごい腹立つこと。ごめん明日クラウスアノヤローとサチェグアノヤローの遺体が見つかっても何も言わないでね」

「落ち着け」


 立ち上がって歩き出そうとするのをすかさず止められた。自然と舌打ちが漏れた。
 文句を言ってやろうとアルフレートを振り返って――――すぐに逸らす。目が合ったのはほんの一瞬だった。それなのに、全身が硬直したような……全ての内臓の機能が停止したような、そんな奇妙で恐ろしい感覚だった。

 恥ずかしいし気まずいし落ち着かないし苦しいし気持ち悪いし……うん、やっぱり早く逃げてしまおう。
 そう思って前に行こうとすると、クラウス達のもとへ行くと勘違いしたアルフレートが引き留める。


「取り敢えずその怒りを鎮めてからにしてくれ。……薔薇のことは、もう追求はしない」

「…………うぃ」


 嘆息混じりに頷いた有間は、すとんと切り株に腰掛ける――――と見せかけて逃げ出した。


「アリマ!?」

「そうは問屋が卸すか!」


 クラウスを問い詰めてやる!
 有間は彼を逃げ出す口実にして、キンバールトの森を抜けた。



‡‡‡




「……ああ、そうそう。クラウスさん。ちょっと耳に入れといた方が良いかも知んない情報が入って来たんですけど」


 階段を下りた筈のサチェグが、何かを思い出したように慌てて戻ってきた。

 その顔から笑みが消え、《本業》の顔つきになっているのに、クラウスは眉間に皺を寄せた。


「どうした」

「最近、ヒノモトで変な宗教が興ってましてね。それがどうも、この一ヶ月で異様なくらい急激に信者を増やしてるんスよ。ただ水面下で地味に動いてるみたいで正確な規模はよく分かんねえし、確証が無いものばかりなんですけど、反乱を起こす為に武装する信者集団もいるってキナ臭い噂もありまして。あと、どうやら教主はどうやら女性らしくて……確か『山茶花(さざんか)』って名前だったかな」


 邪眼一族を祀(まつ)っているとか。
 サチェグは片目を細めた。


「アリマのこと、注意しといて下さいね。下手すりゃ即身仏にされかねませんよ」

「……お前は、何処まで知ってるんだ」


 サチェグを疑う訳ではない。カトライアに一生を捧げてくれていると分かっている上での問いだった。

 サチェグもそれを分かっているからこそ、悪戯っぽく笑って片目を瞑って見せた。


「《情報》ならどんなものでも掻き集めるのは大得意ですから。ヒノモトがファザーンに恩を売ろうとしたのも、その団体を警戒してのものだったんでしょう。これから先、ヒノモトは緊迫していきますよ。マティアス殿下にも、伝えといた方が良い」


 また新しい情報を仕入れたら、すぐにお教えしますよ。
 今度こそ背中を向けて、サチェグは階段を下りていく。

 クラウスは思案顔で、彼の後ろ姿を見送った。


「邪眼一族を祀る宗教団体、か」


 脳裏に、鶯の姿がよぎった。

 カタストロフィーの序章が終わり、大詰めが始まる。


「話の構成を知りたいものだな」


 大詰めにも序章があるなんて、聞いたことが無い。
 クラウスの独白は、空気に混じって消えた。



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