3
商店街にまで出てきて、有間はようやく足を止めた。
ほうと胸を撫で下ろし近くのベンチに腰掛ける。エリクの手を離せば残念そうな顔をされた。
エリクが隣に座るのを目の端に確認した有間は目を細めて人の往来を眺めた。
「ごめんね、エリク。何か引きずって来ちゃってさ」
「良いよ。楽しかったから」
くすくすと転がすような笑声を漏らし、エリクは答える。
『楽しかった』という言葉について追求しようとすると、それに先んじてエリクが口を開く。
「身体は大丈夫?」
「ん? ああ、うん。思ったより体力落ちてるくらいで、他には別に異常は無いかな」
「そっか。良かった。本当に心配していたんだよ。揺すっても、声をかけても目覚めないから、このまま死んでいたらどうしようって」
眦を下げて微笑む彼は、再び有間の手を握る。
心配してくれていたことに、申し訳ないやら気恥ずかしいやらで、落ち着かない。
謝罪するべきなんだろうけれど、幾ら何でも謝りすぎだろうと厚顔な自分が言葉を引き留めてしまう。
有間は唇を曲げて母音を伸ばし、やんわりと手を剥がした。
行き交う人々を見渡し、ぽつり。
「すっかり元通りだねえ、この国自体は」
皮肉ではない。
心の中では、良かったと思っている。
そう――――それは自分でも分かるくらいの、まったき本心で。
まさか、と思う。
まさか、まさか……カトライアに戻ってきた《平和》に、安堵する日が来るなんて。
片手で顔を覆い、有間は深呼吸を繰り返す。
平和に、慣れてしまったんだろう。
自分が思う以上にティアナの側の空気が染み着いて。
嘲笑うよりも何よりも、ただただ意味も無く、笑いたくなった。
咽の奥で笑う有間に、エリクは不思議そうに首を傾げていたが、不意に何かに気付いたように有間の頭をそっと撫でた。
「良かったね、アリマ」
……良かったのだろうか。
本当に、これで。
自分はこんな風に変わっていて良いのだろうか?
邪眼一族は汚れた一族だ。
それなのに、平和に馴染んで、この国の温暖で穏やかな空気が当たり前になって、良かったのだろうか?
死んできた邪眼一族の皆は、それを認めるのだろうか。
有間は目を伏せて、また開いた。何も言わずにいると、エリクも無言でカトライアの街並みを眺める。
すると雑踏の中に見慣れた青年の姿があるのに気付いて腰を上げた。痩身に短い金髪の彼は、胸一杯に蕾の薔薇を抱えていた。
「サチェグ」
「よ、アリマ。――――と、そちら、は……エリク殿下、でしたよね。この間の戦争では、カトライアの為にありがとうございました」
「僕は何もしていないよ。実際に戦争を止めたのはマティアスやアルフレート、それにアリマ達だもの」
サチェグはエリクの言葉に驚いた様子も無くかぶりを横に振った。
「殿下達のお陰でカトライアは救われましたから。皆、四兄弟皆さんに感謝してるんですよ。それに、アリマもティアナさんも、こっちじゃもう英雄扱いだ。うちの小劇場なんか、いつアリマを――――とと、これは秘密なんだった」
薔薇を抱え直し、サチェグは有間に片目を瞑ってみせた。
それに、『英雄扱い』に薄ら寒いモノを感じた有間は肩をすくめて返した。
「で、サチェグ。その薔薇の蕾は何なのさ。似合っているようで似合ってないよ」
「それは俺が一番知ってる。今カトライアの人間に配って回ってんだよ。ほら、小劇場が贔屓にしてる花屋。あそこが発案して、俺らも協力してんだよ」
「ついでにシャンミィさんにアピールするつもり?」
シャンミィとは、その花屋の一人娘である。快活で女性にしては力がある方だが、それでも愛くるしい外見と人好きのする性格で男女問わず慕われている。
サチェグは彼女とは幼なじみの関係であり、同時に長年の片思い相手でもあった。
こうした些細な部分でささやかなアピールをしている。ちなみに、結果が怖いという理由から、有間に占いをせがむことは無い。勝手に占ったら結果は――――アレだった。
サチェグは苦笑して、有間達に薔薇を差し出した。
「どうぞ。アリマも、エリク殿下も」
「どーも」
「ありがとう」
蕾なら、花瓶に挿して数日も経てば花が咲くだろう。
「家に帰ったら花瓶に挿そうか」
「そうだねぇ」
「そういやお前、アルフレート殿下とどうなん「ああごめん足が滑った」いっだああぁぁぁっ!?」
脛を蹴りつけてやったら、サチェグは飛び跳ねて薔薇を取り落としそうになった。間一髪免(まぬが)れたけれども。
「おいおい、何だよ……蹴ること無えじゃん。明らかにあっちはお前に気があっただろー」
「今度は股間を狙う」
「おいおい! お前ヒノモトの人間じゃんか!」
有間が身構えるとサチェグは大股に距離を取る。
舌打ちして姿勢を正すと、サチェグは「慎み持とうぜー」と間延びした声をかけてきた。
「で、サチェグ。こんなところで油売ってて良いのかな」
「あ? あー、そうだな。……っと、その前にあれ」
「ん?」
サチェグがついと指差した先を見る。
途端に口角がひきつったのが分かった。
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