……何故、生きている?
 有間は己の両手を見下ろして愕然とした。
 手袋に隠されていない、抜き身の両掌には邪眼が持ち主の顔をじっと見据えている。持ち主と同じ色合いの瞳は、彼女の少し窶(やつ)れたかんばせを映し出した。

 何故、失われた邪眼が平然と、無傷でそこに在るのか。
 意識を失った直前のことは良く覚えていない。けれどもはっきりと、死ぬのだと思ったことだけは、胸の中にしっかりと浮き上がっていた。
 邪眼を失った邪眼一族が死ぬのは必定。そう、刺した直後夢の中で思い出した。
 事後で思い出してしまったから仕方がないと割り切っていたのに。

 だのに。

 だのに今。

 有間は生きていた。
 生きて、ティアナのベッドの上で目覚めたのだった。

 何が、あった?
 記憶を辿ろうとすると、不意にこめかみから針が脳を刺し貫くかのような鋭い痛みが走った。
 まるで思い出すことを戒めるように何度も何度も見えない針に刺される。
 呻いて頭を押さえ有間は身体を前に倒す。
 それでも思い出そうとすれば痛みは増した。

 限界だ、と思うと僅かに痛みは和らぐ。
 止めよう、と思うと途端に痛みが引いた。
 どうして思い出すことが許されないのだろう。

 否、許してくれないのは誰だ?

 片手で顔を覆い深呼吸を繰り返す。
 頭痛が収まって、取り敢えずティアナに事の次第を問い質そうとベッドを降り、扉に手をかけた。

 が。

 有間がドアノブを引くよりも早く扉が独りでに開き、有間の顔面と激突した。なかなかの勢いだった為に、結構な痛みと衝撃だった。
 感触で相手も分かったのだろう。慌てて扉を閉めて有間がよろめいて離れた後に慎重に開いた。

 扉を開けたのはアルフレートだった。
 有間が顔を押さえているのに慌てた風情で駆け寄ってきた。
 やんわりと手を剥がして顔を覗き込んだ。


「だ、大丈夫か? すまない。まさか起きているとは思わずに……」

「いや。うん、気配に気付けてなかったし」

「取り敢えず、ベッドに座ってくれ」


 背中を押して、腰掛ける。
 痛みの引いてきた顔を撫で、有間はアルフレートを見上げた。まじまじと見つめ、次いで両手を見下ろす。
 夢か、と思うにはいやに痛みも衝撃も現実的だった。
 首を傾げて両手を握ったり開いたりして、まずは何をアルフレートに訊ねるかと思案すると、不意に左手を横合いから握られた。


「死にかけた、とは覚えているか」

「死に《かけた》? 死んだんじゃなくて?」

「ああ、そうだ」


 顔を上げると、アルフレートは有間の手を見下ろしていた。
 先程の様子は何処へやら。ほんの少しだけ怒っているようにも思える彼は、もう片方の手も添えて、大事そうに有間の左手を強く握り締めた。

 居たたまれなくなって離れようとするが、アルフレートが力を込めて留めさせる。

 アルフレートは何かを確かめるように、手首を撫で邪眼の縁を優しくなぞる。ぞわりと背筋が震えた。邪眼の付近は敏感だ。それを知らないので仕方がないとは思うけれど、有間は気恥ずかしくなって手を引いた。


「うち、死ぬって思ったのは覚えてるけど、何で生きてんの?」

「……その前に、一つ良いか?」

「ん?」

「アリマ、お前は分かっていたのか」


 何が、とは言わなかった。
 邪眼一族が邪眼を失うと死んでしまうということ。
 真摯に見据えてくるアルフレートに有間は目を細め、緩くかぶりを振った。


「いいや。思い出したのは残った邪眼を刺して気絶した後。夢で、小さい頃長老が言ってたのを見た。話を聞いたのは一度きりだったし、本当に小さい頃だったから、全然覚えてなかったんだよねぇ」


 隣で、深い嘆息が聞こえた。
 流し目にアルフレートを見やれば先程の有間のように片手で顔を覆い、俯いていた。


「オレ達が、今までどんな気持ちでいたか……」

「……」


 感情を押し殺したような、しかし殺しきれていない低い声だった。まるで、何かを有間に訴えようとしたのを、直前で止めたような。

 有間は、その様を暫く眺め、両手を見下ろしながら、


「うん。ごめん」


 そう、言った。

 アルフレートは有間の手を放すと、肩を掴んで引き寄せた。

 わっと声を漏らすと同時に、柔らかな衝撃と共に熱に身体が包まれる。
 抱き締められたのだと気付くまで、少々の時間がかかった。


「……なっ」


 全身が一瞬で燃えるように熱くなる。
 反射的にアルフレートの肩を掴んで押し退けようとするが、逆に力を込められて息が詰まる。

 どうしてこうなった。
 熱い顔を強ばらせ、有間はアルフレートを呼ぶ。
 アルフレートは有間を放してはくれなかった。強く強く抱き締めて、有間の生を確認する。

 だが、死にかけたと言うのなら、彼がこんな風になるのも分からなくもなかった。
 それに、ティアナと違って無責任に勝手に死ぬことを思い出し割り切った有間に、アルフレートの感情を拒絶する権利などある筈もない。

――――更に、だ。


「……薄れていくお前の身体が、あの時の恐怖が、今でも忘れられないんだ。オレだけじゃない。ティアナ達もそうだろう」

「……アルフレート……」


 絞り出したような声に、有間は口を閉じた。
 それきり何も言えなくなって、アルフレートを剥がすことも憚(はばか)られる。

 戸惑い戸惑った果てに、怖ず怖ずと、アルフレートの頭を撫でてやった。



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