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 瓦礫を蹴飛ばして歩く。
 蛇の如き面を不機嫌に歪めて、里藤は帰路に就いていた。

 上司の命令で駆けつけたザルディーネ。
 けれども彼らはその命を遂行出来ずに終わってしまった。
 こんなことになるのなら、あの邪眼の娘で遊んでおけば良かったか、苛立たしげに唾を道端に吐き捨てる。

 彼の後ろには全身に深い裂傷を負った田中。邪眼の娘の銃弾すら弾いて見せた、鋼鉄のように堅い筋肉を誇る彼ですら、あの竜が巻き起こした刃の嵐を弾くことは出来なかった。
 里藤の術で血こそ止まっているものの、固まった血に縁取られた傷は生々しい肉が覗いていた。

 何とも無様な姿だろうか。
 里藤は何度も繰り返した舌打ちをしてじろりと田中の後方を睨んだ。
 かつて邪眼に味方した猛獣使いに良く似た娘が、彼女と同じ笛を使ってあの竜を鎮めたのだから。
 ああ、忌々しい娘だ。

 いや、それよりももっと腹立たしいのは――――。


 ろくに働きやしなかったあの女だ。


 邪眼と魔女の混血を相手にしていただけで、竜には何の攻撃もしていない。
 それでいて、『情けないのう』などと自分達を嘲笑ったのだ。
 己のことは棚に上げ、まるで彼女以上に働いた筈の里藤達の所為で命を遂行出来なかったと言わんばかりの彼女の態度は、里藤の神経を逆撫でした。

 あの女は昔からそうだ。
 何でも分かっているかのような顔をしくさって、いつもいつも里藤達を見下す。
 高名な術士だとか、見た目以上に年を重ねているだとか、神の領域に入っているだとか――――根も葉も無い噂を鵜呑みにして一番の信を寄せる花霞姉妹の正気を疑う。

 あんなにも胡散臭い女を、どうして信用出来るんだか。
 里藤は鼻孔がむず痒いような不快な感覚に襲われ顔を歪める。気持ち悪い。腹が立つ。何か壊してやりたい。
 全然破壊し足りなかった。
 もっともっと壊したい。
 やっぱりあの邪眼の娘を放置したのは勿体なかったか……。
 痛めつけて楽しんでいたら、今の気分も少しは変わっていたかもしれない。
 ああ、勿体ない。本当に勿体ない。
 神の色をいただきながら忌むべき一族の血を引くあの娘――――あの顔が苦痛に歪む様を見るだけでも、興奮する。

 惜しいことをしたかもしれない。
 長い舌をだらりと出してちろちろと徒(いたずら)に動かす。

 すると、


「里藤。何だい、儂の顔に何か付いているのかね」


 田中の脇を通り過ぎて、女が隣に並ぶ。

 里藤は舌を打った。


「……別にぃ、何にもしてねえ奴がどう〜してこうもしら〜っと出来んのかねぇって思ってただけだよ」

「おや、そんな奴がいるのかい。そいつぁ困った。花霞姉妹にちゃんと仕置きしてもらわにゃなぁ。儂がよう調べといてやろう」

「要らねーっつの」


 あ゛あ、苛々する。
 この女を今すぐにでも殺してやりたい。
 胃の腑がそのまませり上がってくるような心地だ。不満が渦巻いて膨れ上がって、身体の中を圧迫していく。

 そんな里藤の感情など、手に取るように分かるのだろう。
 女はおかしそうに、赤い目を歪めて笑った。
 黒い髪がさらさらと風に踊る。



‡‡‡




――――その後方で、田中はほうと吐息を漏らした。
 里藤が彼女を厭うのは、里藤が術に秀で、なおかつ闇に片足を入れた人間であるからだ。
 中途半端に闇に踏み込み、中途半端に光の加護を受ける者は、完全なる光を畏(おそ)れ、完全なる闇に恐怖する。その安らかなる闇に触れるまで、本能的な恐怖で自身を守ろうと闇を拒む。

 それは、致し方のないことだった。

 完全な闇の安らぎを知る者は、元々闇に属しているか、先述したように完全なる闇に触れるか、そのどちらかだ。
 後者は非常に希少なケースだ。完全なる闇に触れる機会が、光の加護を受けた人間には無い。闇の住人にしてみればそれはとても運が良いことだが、光の住人からすれば不運である。

 歪められた神話。
 その中で、光と闇は永久なる仲違いをした。
 光に傾倒しすぎた聖者が作り上げた虚偽が今日(こんにち)に至るまでのヒノモトの真実となっている。
 なんと口惜しいことだろうか。
 嘆かずにはいられない。

 そも、邪眼が虐げられることとなったのも、基はその虚偽の所為だ。
 邪眼は――――否、贈眼の一族は闇の住人にとっては神の領域の存在。
 決して、人間に虐げられて良い存在ではなかったのだ。

 脳裏に、あの神の色をいただいた贈眼の娘の姿がよぎる。
 あの少女は、助かっただろうか。
 彼女のみぞ知る《大詰めの序章》通りに。
 あの娘も黒の男もは混血だ。純血の贈眼はもう、この世に一人として残ってはいない。

 我らが母は、さぞお嘆きであろう。
 白み始めた空を仰ぎ、田中は目を細めた。

 と、視線を感じて視線を落とせば、彼女が田中を見ていた。里藤はすでに遠い。彼女の側を離れたかったのだろう。その気持ちが、田中は理解不能だ。
 彼女は緩く瞬きして、ふと嫣然(えんぜん)と笑った。

 女性の艶めかしさと母の如き温もりを持ち合わせたそれに、田中は深々と頭を下げた。



 最終章の中の《序章》は終わった。
 永い永い父母の物語の結末は、すぐそこに。



―第九章・完―


●○●

 次は終章です。
 エリクと対決させようとした昔の自分に『無理だったよ』と言いたいです……。


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