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 クラウスは薬屋のカウンターを叩いた。
 そうでもしなければ、この激情を後ろの娘にぶつけてしまいそうだった。

 娘は――――鶯は泣きそうになりながらも唇を真一文字に引き結んで、クラウスの様子を見つめている。

 彼女を振り返り、クラウスは一呼吸置いて眼鏡を押し上げた。


「……今の話は、本当なんだな」

「真実です。ティアナ殿が見られた女性……夕暮れの君の御言葉は、絶対ですから」


 鶯は、クラウスにだけ女性の正体を明かした。そのように、鯨に指示を受けたからだという。
 アルフレート達に明かさなかったのは、彼らの状況を慮(おもんぱか)ってのことだろう。この場に残って法王を迎えに行くクラウスには、鶯が先に話しておくべきだと、鯨が判断したのだろう。


「その、夕暮れの君とやらは、何がしたいんだ」

「根の国の母の予知した終焉を無事に迎えさせることです」


 終焉(カタストロフィー)の舞台は――――ヒノモト。


「ヒノモトは近々崩壊します。今は、この物語の中で最も長い、序章にすぎないんです」


 鶯はゆっくりと、震えた声で告げた。


「アリマが死ぬのも、か?」

「……全てを知っているのは、夕暮れの君だけです。私は先程、それを知ったばかりなのです」


 鯨様も、恐らくは私よりも多少知っている程度なのでしょう。
 眦を下げて一礼する鶯に、クラウスはもう一度拳をカウンターに叩きつける他無かった。



‡‡‡




 狩間の目が、紫色に変化する。有間が言葉を発する前に目から力を失い、瞼に隠されてしまう。
 倒れた有間は、面妖な状態だった。

 露出した脹ら脛が、ほぼ透明なのだ。

 それは、以前手袋を外した際に見た腕のようだ。
 ディルクの身体を横たえて有間の手を取ろうと袖を掴む。

 愕然とした。


「腕が……無い……!?」


 そこに在るべき、掴める物は全く無かった。
 焦るあまりに場所を見誤ったのか、などとは有り得ない。
 有間の身体を慎重に抱き起こすとまだ胴体には感触があった。

 唐突すぎる。
 これは剰りに唐突すぎる!
 アルフレートは有間の名前を繰り返し叫ぶ。

 狩間が倒れる様を見ていたティアナ達も、慌てた風情で駆け寄ってくる。ティアナはすぐにでも泣いてしまいそうだった。


「アリマ! アリマ!!」

「アルフレート! アリマ、どうしたの?」


 エリクが責めるように問いかける。その隣には、憔悴しきったルシアやゲルダ達がいる。
 ああ戻ってきたのか、早いなと、心の中で呟く暢気な自分を押し潰しアルフレートはエリクを見上げる。


「両手の邪眼を失ったんだ。邪眼一族は、邪眼を失えば死ぬ……らしい」

「――――」


 ティアナがざっと青ざめた。
 かたかたと震え出した彼女の手には空の小瓶が。


「そんな……私、私は助かったのに……!?」

「おいおい、話が全然見えねえぞ!? 何でアリマは邪眼を失ったんだよ!」

「それよりも! 何か手立ては無いの?」


 エリクが血のように赤い目でアルフレートを睨めつける。
 アルフレートは奥歯を噛み締め鯨を振り返った。

 けれど、今まで女性といた彼の姿は何処にも無く。

 代わりに、


「――――在ると言えば在り、無しと言えば無い」

「……!?」


 ティアナの背後に、あの女性が立っていた。



‡‡‡




 ティアナは女性を見上げ、ふと彼女の言葉を思い出した。


『願え。繋ぎたければ願え。それが其の母との約だ』


 このことを、指していたのだろうか。
 ティアナは薄く笑む女性を仰視し、まさか、と呟く。

 エリクやルシアが身構えるのを目の端に捉えながら、女性は魔的な笑みを浮かべながら、されどややこに対するかのように穏やかに問いかけた。


「願うのか、願わぬのか。繋ぐのか、繋がぬのか」

「……私、」



 ティアナ、とゲルダが呼ぶ。これは警告だ。この得体の知れない女性の言葉に耳に傾けるなという……。

 けれど。

 けれども。

 有間を見下ろす。
 頬に触れると、《擦り抜ける》。

 何も分からないままに死んでしまうより――――ましじゃないか。

 ティアナは一つ深呼吸をした。


「……あなたは、アリマを助けられるの?」

「可能」

「なら……お願い。アリマを助けて」

「ティアナ!?」

「ちょ、おい、そいつを信じるのか?」


 ルシアの声に大きく頷く。

 女性はくつりと嗤い――――消えた。

 えっとなって周囲を見渡すのと。
 周囲がまったき闇に呑み込まれるのと。
 ほぼ同時だった。



‡‡‡




 どうやら夢を見ているらしい。
 あれだけ痛かった筈の右手はもう痛まない。

 いつの間に自分は眠ってしまったのだろうか。
 右手の邪眼を刺し殺して、アルフレート達が入ってこないようにドアを押さえて――――。
 そこで記憶は切れている。

 ヤバいな。
 ティアナに置いて行かれてしまう。
 これじゃあ意味が無くなってしまうじゃないか。
 戻らなくては。
 戻らなくては。

 ティアナを、マティアスのもとに連れて行ってやらないと……。


『良いかい? 儂の可愛い孫達。ようくお聞き』


 声?
 嗄(しわが)れた老人の声だ。懐かしい、長の声。
 耳を澄ませれば、有間に聞こえるようにか、声がほんの少しだけ大きくなった。


『邪眼を殺してはならぬ。邪眼が死んでしまえば、我らは死んでしまうからね』

『ねえ、長老。どうして死んでしまうの?』

『山茶花(さざんか)や。良い質問をした。我らはな、闇から生まれ、闇よりいただいた力を基にこの身体を形成した。邪眼は、闇から授かった力の象徴なのだ。すなわち、いただいた力が無くなれば、我らは身体を保っていられぬ。……と、童には難しい話じゃったなぁ。すまぬ、すまぬ。とにもかくにも、絶対に邪眼を殺してはならぬぞ。――――有間や、お前さんは邪眼が二つ在る。恐らくは双方死んで息絶えるだろう。だが、片方を無くさばどうなるか、儂も知らぬ。努々(ゆめゆめ)、どちらも守り抜くように』

『……はーい』


 ……懐かしい会話だ。
 まだ長老が生きていた頃の話だ。

 忘れてた。
 そういえば、そうだったね。
 邪眼を殺すのは、自分を殺すことだったね。

 けど、もう手遅れだ。



 長老、もううち、どっちの邪眼も無いよ。

 もうちょっと早く、夢に出て欲しかったなぁ。



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