12
クラウスは薬屋のカウンターを叩いた。
そうでもしなければ、この激情を後ろの娘にぶつけてしまいそうだった。
娘は――――鶯は泣きそうになりながらも唇を真一文字に引き結んで、クラウスの様子を見つめている。
彼女を振り返り、クラウスは一呼吸置いて眼鏡を押し上げた。
「……今の話は、本当なんだな」
「真実です。ティアナ殿が見られた女性……夕暮れの君の御言葉は、絶対ですから」
鶯は、クラウスにだけ女性の正体を明かした。そのように、鯨に指示を受けたからだという。
アルフレート達に明かさなかったのは、彼らの状況を慮(おもんぱか)ってのことだろう。この場に残って法王を迎えに行くクラウスには、鶯が先に話しておくべきだと、鯨が判断したのだろう。
「その、夕暮れの君とやらは、何がしたいんだ」
「根の国の母の予知した終焉を無事に迎えさせることです」
終焉(カタストロフィー)の舞台は――――ヒノモト。
「ヒノモトは近々崩壊します。今は、この物語の中で最も長い、序章にすぎないんです」
鶯はゆっくりと、震えた声で告げた。
「アリマが死ぬのも、か?」
「……全てを知っているのは、夕暮れの君だけです。私は先程、それを知ったばかりなのです」
鯨様も、恐らくは私よりも多少知っている程度なのでしょう。
眦を下げて一礼する鶯に、クラウスはもう一度拳をカウンターに叩きつける他無かった。
‡‡‡
狩間の目が、紫色に変化する。有間が言葉を発する前に目から力を失い、瞼に隠されてしまう。
倒れた有間は、面妖な状態だった。
露出した脹ら脛が、ほぼ透明なのだ。
それは、以前手袋を外した際に見た腕のようだ。
ディルクの身体を横たえて有間の手を取ろうと袖を掴む。
愕然とした。
「腕が……無い……!?」
そこに在るべき、掴める物は全く無かった。
焦るあまりに場所を見誤ったのか、などとは有り得ない。
有間の身体を慎重に抱き起こすとまだ胴体には感触があった。
唐突すぎる。
これは剰りに唐突すぎる!
アルフレートは有間の名前を繰り返し叫ぶ。
狩間が倒れる様を見ていたティアナ達も、慌てた風情で駆け寄ってくる。ティアナはすぐにでも泣いてしまいそうだった。
「アリマ! アリマ!!」
「アルフレート! アリマ、どうしたの?」
エリクが責めるように問いかける。その隣には、憔悴しきったルシアやゲルダ達がいる。
ああ戻ってきたのか、早いなと、心の中で呟く暢気な自分を押し潰しアルフレートはエリクを見上げる。
「両手の邪眼を失ったんだ。邪眼一族は、邪眼を失えば死ぬ……らしい」
「――――」
ティアナがざっと青ざめた。
かたかたと震え出した彼女の手には空の小瓶が。
「そんな……私、私は助かったのに……!?」
「おいおい、話が全然見えねえぞ!? 何でアリマは邪眼を失ったんだよ!」
「それよりも! 何か手立ては無いの?」
エリクが血のように赤い目でアルフレートを睨めつける。
アルフレートは奥歯を噛み締め鯨を振り返った。
けれど、今まで女性といた彼の姿は何処にも無く。
代わりに、
「――――在ると言えば在り、無しと言えば無い」
「……!?」
ティアナの背後に、あの女性が立っていた。
‡‡‡
ティアナは女性を見上げ、ふと彼女の言葉を思い出した。
『願え。繋ぎたければ願え。それが其の母との約だ』
このことを、指していたのだろうか。
ティアナは薄く笑む女性を仰視し、まさか、と呟く。
エリクやルシアが身構えるのを目の端に捉えながら、女性は魔的な笑みを浮かべながら、されどややこに対するかのように穏やかに問いかけた。
「願うのか、願わぬのか。繋ぐのか、繋がぬのか」
「……私、」
ティアナ、とゲルダが呼ぶ。これは警告だ。この得体の知れない女性の言葉に耳に傾けるなという……。
けれど。
けれども。
有間を見下ろす。
頬に触れると、《擦り抜ける》。
何も分からないままに死んでしまうより――――ましじゃないか。
ティアナは一つ深呼吸をした。
「……あなたは、アリマを助けられるの?」
「可能」
「なら……お願い。アリマを助けて」
「ティアナ!?」
「ちょ、おい、そいつを信じるのか?」
ルシアの声に大きく頷く。
女性はくつりと嗤い――――消えた。
えっとなって周囲を見渡すのと。
周囲がまったき闇に呑み込まれるのと。
ほぼ同時だった。
‡‡‡
どうやら夢を見ているらしい。
あれだけ痛かった筈の右手はもう痛まない。
いつの間に自分は眠ってしまったのだろうか。
右手の邪眼を刺し殺して、アルフレート達が入ってこないようにドアを押さえて――――。
そこで記憶は切れている。
ヤバいな。
ティアナに置いて行かれてしまう。
これじゃあ意味が無くなってしまうじゃないか。
戻らなくては。
戻らなくては。
ティアナを、マティアスのもとに連れて行ってやらないと……。
『良いかい? 儂の可愛い孫達。ようくお聞き』
声?
嗄(しわが)れた老人の声だ。懐かしい、長の声。
耳を澄ませれば、有間に聞こえるようにか、声がほんの少しだけ大きくなった。
『邪眼を殺してはならぬ。邪眼が死んでしまえば、我らは死んでしまうからね』
『ねえ、長老。どうして死んでしまうの?』
『山茶花(さざんか)や。良い質問をした。我らはな、闇から生まれ、闇よりいただいた力を基にこの身体を形成した。邪眼は、闇から授かった力の象徴なのだ。すなわち、いただいた力が無くなれば、我らは身体を保っていられぬ。……と、童には難しい話じゃったなぁ。すまぬ、すまぬ。とにもかくにも、絶対に邪眼を殺してはならぬぞ。――――有間や、お前さんは邪眼が二つ在る。恐らくは双方死んで息絶えるだろう。だが、片方を無くさばどうなるか、儂も知らぬ。努々(ゆめゆめ)、どちらも守り抜くように』
『……はーい』
……懐かしい会話だ。
まだ長老が生きていた頃の話だ。
忘れてた。
そういえば、そうだったね。
邪眼を殺すのは、自分を殺すことだったね。
けど、もう手遅れだ。
長老、もううち、どっちの邪眼も無いよ。
もうちょっと早く、夢に出て欲しかったなぁ。
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