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「ざっけんなぁぁ!!」


 狩間の怒号に、火球は一瞬で霧散する。


「ちょいとマジで何な訳? ウチ勤務時間とうに過ぎてるくね!?」


 両手に作った拳を突き上げて竜に向けて猛抗議するのは間違い無く狩間だ。ここからでもよく分かる。紫色だった目が、今は黄色に変化している。
 アルフレートは狩間に駆け寄り、肩に手を置く。

 と、狩間は瞬時に向き直り胸座を掴んできた。


「お前どう思う!? ここはウチじゃなくて有間が頑張るところだろ!? 死にかけなんだぞこいつ! 火事場の馬鹿力も出ないってかウチの有間ちゃんは!!」

「落ち着け!」

「落ち着きすぎて新世界見えたわ!! 嘘だけど」


 アルフレートを放し、狩間は両手を軽く挙げた。


「まあ、夕暮れの君には逆らえないしなぁー」


 首をすくめて見せ、竜を見上げる。


「ティナー、笛ー」


 間延びした、緊張感に欠ける声音で促せば、彼女は頷いて吹く。一瞬見えた問いたげな視線は、にこやかに黙殺した。彼女もまた、己の言葉に対する説明をするつもりはないらしい。

 悶絶する竜と、愉しげな狩間を交互に見、アルフレートは拳を握り締める。
 五大将軍は有間は死ぬと言う。邪眼を全て失ったからだ。

 それは有間自身分かっていたことなのだろうか。もしそうだとすれば有間の様子がおかしかったのにも納得が行く。

 ……ティアナが死ぬからか?
 彼女が死ぬから、躊躇いも無く残された邪眼すらも殺せたというのだろうか。
 これは、納得出来ない。
 上にはディルクがいる。竜となって、ティアナの笛に苦しみもがく同腹の弟がいる。
 だのに今、目の前の少女の死に感情を動かされている。乱されていると言っても良い。
 何という兄だ、と頭の片隅で避難する誰かがいる。

 されども、仕方がないと言い訳する。
 ティアナだけでなく、有間まで命を落とすなどと、平静でいられよう筈もない。

 そんな兄を責めるように、或いは兄に救いを求めるように、竜(ディルク)は太い咽を震わせ叫ぶ。

 そして――――声が止んだ。
 見上げれば強大なる破壊の権化は輪郭を失い、小刻みに震えながら収縮しながら力無く墜落していく。
 その中で竜の身体は人の身体となり、瓦礫の山に物言わぬ人形のように崩れ落ちた。


 そこで、はっと我に返る。


「ディルク……!!」


 咄嗟に弟に駆け寄る自分自身に何処かで安堵を得る。ああ、自分はまだ、兄として動けていた。ディルクはまだ、自分の大切な弟であると、情けないながらに自覚した。

 狩間はそんなアルフレートの背を見つめ、大股に歩み寄った。

 ひらり。
 ティアナに片手を振って。



‡‡‡




 絶入(ぜつじゅ)したディルクの身体の側に立ち、狩間はくるりと身を翻した。にたり、と口角をつり上げる。


「ティナは強運の持ち主だ。てめぇなんぞに歪められんぜ? ベルーさん」

「……」


 ベルント。
 剣を持って狩間の前に立つ彼の目は、力を失っていた。
 アルフレートがベルントに気付いて身動ぎしたのを狩間が手で制した。


「あんたはもう勝てない。竜がいない以上は、あんた一人じゃあこの場にいる強者全てを相手にすることは出来ない」


 もしその剣でまだ抵抗するつもりであるなら――――。

 刹那。

 ベルントが身体を捻る。
 光のように鋭く、一瞬のうちに薙がれた剣はしかし大剣に弾かれ――――宙を舞う。
 ややあって、破壊の爪痕を色濃く残す石畳に強かに打ち付けられた。甲高い金属音が夜陰を震わせる。


「ナイスタイミング……って奴か? マチ」

「……」


 狩間は肩をすくめた。
 ベルントの剣を弾き飛ばし、その首筋に刃を寄せたマティアスが、痛ましげに顔を歪めた。


「……早く、殺せ」

「ベルント……」


 ベルントはふ、と小さく自嘲めいた笑みを浮かべた。


「排除したはずの石に再び躓くとはな。天は私に味方しなかったということか」

「己の力で成そうとせず、本来この世にあるべきではないものに頼ろうとしたことがお前の敗因だ


 表情を消し、マティアスは冷たく言い放つ。
 大剣を振り上げた。

 ベルントは静かに目を伏せた。笑みこそ無いが、その顔は穏やかだ。

 されど――――。


 ガイン。


 彼の得物は地面に叩きつけられた。

 ベルントは大剣を見下ろし、瞠目した。どういうことだと、視線でマティアスを質(ただ)す。

 マティアスは、薄く、じっと見ていてやっと分かる程に薄く笑った。


「ここでお前を殺せない俺は、お前の言う通り甘いのかもしれない。だが、たった一度きりの機会に俺を殺せなかったお前も同じだ。俺の記憶の中で……お前は笑っているんだ。あれは、憎しみだけを胸に生きてきた人間の表情じゃない」


 ほんの僅かでも……何の掛け値もなく俺を思う気持ちがお前の中にあったなら……それだけで十分だ。
 そこで、笑みが濃くなった。決然としたものを感じさせるそれに、ベルントは一瞬目を細め、呻いて俯いた。


「俺は、ファザーンの王になる。お前が育てた、立派な王に……な」

「あなたは……」


 本当に、大馬鹿者だ。
 囁くような声は、小さく震えていた。

 狩間はディルクを抱き上げ立ち上がったアルフレートを振り返り、ティアナ達を指差した。歩き出せば、アルフレートも隣に並んで従う。

 暫し歩いたところで、


「――――で、さあ。有間の命のことなんだけどー」


 まるで、知り合いの近況を話すかのようにのんびりと、鷹揚に切り出した。


「……説明してくれるのか」

「いや? 有間が話さないならウチも話さない。ただ――――」


 ウチが出たから死期滅茶苦茶早まってる。
 アルフレートが足を止めた。

 数歩先で振り返れば、青ざめた彼の顔に苦笑が漏れる。


「これも夕暮れの《導き》さ」


 アルフレートの隻眼が鋭く強く、


「お前達は何を隠しているんだ。今になって、知らないことが――――」

「終焉は、大昔から決まっていたこと。だからこれも、最初から決まっていたことだ。ウチが出て死期が早まることも――――壮大な物語の結末、その長い序章の一部」


 直後。
 狩間が笑みを消し、その場に崩れ落ちた。



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