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※注意
極端な考え方だ。
邪眼が強大すぎる凶悪な力を感じてしまうから駄目なのだ。
ならばそれを除外してしまえば良い。よしや、強烈な痛みがこの身を襲うことになっても。
ティアナなんて、もうすぐ死んでしまうのだから。
「が……ぁ……あ゛ァあっ」
「アリマ!! アリマしっかりして!!」
激痛が全身を焼く。
けれど一度経験したからか、それとも意地か、意識ははっきりとしていた。
身体の中を焼かれた刃がのたうち回るようなそれを抑え込みながら、有間は扉へ近付いた。そして、扉を足で押さえつけ、開かれないようにする。ティアナが離そうとしても、彼女はそこから動かなかった。
ややあって、騒ぎを聞きつけたらしいアルフレート達が扉を開けようとして有間の足に阻まれてしまう。
『ティアナ、アリマがどうした!? 何故扉が開かないんだ!』
「アリマ、その足を退けて! 邪眼の手当をしないと……!!」
『邪眼!? アリマ、まさか片方も――――』
「せめてイサさんだけでも……!!」
有間は頑なに扉を開けようとしない。
何かを拒むように、激痛に耐えながら扉を塞ぐ。普段こんな力が彼女にあっただろうかと思うくらいに、だんだんと殴られている扉は一向に開く気配を見せなかった。
ティアナが肩に手を置いて宥めても無駄。喰い縛った歯列からは呻きしか漏れない。
彼女に何が起こっているのか、ティアナには皆目見当もつかなかった。ただ、だらだらと絶えず血を、眼球を構成していた物が溢れては床に落ちていく様を、このまま放置してはいけないということだけは、頭の中にあった。
扉から引き剥がそうとして、ティアナは渾身の力で有間の身体を引いた。
けれど――――。
「やれ、やれ。強情な娘よ」
「え……?」
知らぬ声が、聞こえた。
ティアナが振り返ると、鼻先三寸のところに見知らぬ女性が立っていた。驚いて悲鳴が漏れた。
真っ黒な髪は艶やかで、胸の辺りまでさらりとストレートに流れ落ちている。雪のように真っ白で肌理の細かな肌に、血のような濡れた赤の目と唇はよくよく映えた。
人形のような美しさに、ティアナは状況も忘れてつかの間魅とれてしまう。
が、女性がおかしそうに笑ったのに我に返って弛んでしまった表情を引き締めた。
「あ、あなたは……」
「其は死を選ぶ。其はそれを正しいと思うのか」
「え? あ、あの?」
「死は生き物の必定。否定であり、肯定である。されど、自ら早めればたちまちに肯定は失われよう」
歌うように、なめらかに、鈴の余韻を引いて女性は語る。
さて、彼女は何処からこの部屋に入ったのだろうか。
地下通路への扉が開いた様子は無い。否、それ以前にその扉には万が一のことを考えて鍵をかけていた。出入り出来る筈がない。
怪しい女性を注意深く見つめていると、女性は紅唇をつり上げ――――ふわりと浮いた。
「えぇ!?」
慌てて有間の肩を叩くが、彼女は反応を示さない。
否、むしろ――――。
止まっている。
……音も、いつの間にか止んでいた。
まるで一枚の絵のように、何もかもが静止していて。
動いているのは、声を発しているのは、ティアナとこの女性のみだ。
いつの間に、何が起こったのかと、ティアナは戦慄に身体を震わせた。
女性は、そんなティアナのおどおどとする様子を楽しんでいる。
この女性が、何か術をしたのだろうか?
「然り」
「え!?」
「其は問うた。故に、儂は答えた。それだけのことよ」
ティアナは有間を庇うように立った。
何だろう……この女性が怖い。
美しい人だけれど、果ての無い闇が彼女の中に広がっているようで、彼女の存在に自分すらも呑まれてしまいそうで……女性が人間ではないような気がする。
闇そのもの、ではない。
でも、それに限り無く近い存在のように思える。
赤い目は凪いでいるが、ティアナの中の不安を煽り、大きくしてしまう。
ざわざわと自身の周りの空気が彼女を恐れるように微かに震えているのは、錯覚だろうか。
足下が沼のように崩れ落ちているような感覚は錯覚だろうか。
怖い。
怖い。
怖い。
怖い。
怖い。
怖い。
ひくり。咽がひきつった。
女性は笑みを崩さない。
「其にしてみれば、儂は――――否、闇は否定か」
「ぇ、あ……っ」
「それは正しい。そして誤りだ。恐怖も不安が闇ではない。闇の中に、恐怖や不安が属しているだけのこと」
闇は深い眠り、安らぎ。
床に舞い降りた女性が手を伸ばす。
それが顔面に近付いてきたのに、ティアナは思わず堅く目を瞑った。
けれど、訪れたのは優しい感触。
頬を撫でるそれは微かに冷たいだけの生き物の感触。
恐る恐る目を開けると、明らかに先程とは違う笑みを浮かべた女性が目元を和ませていた。まるで我が子を愛でる母親のような、柔和でこちらが惜しみ無い優しさでとろけてしまいそうな心地よい印象の笑みだ。
彼女の後ろに広がっている闇も、一変している。そう、まるで……母親に抱き締められながら目を伏せているかのような、暖かな暗闇だ。
知らず、ティアナの身体から力が抜けていく。
その日溜まりのような笑み一つ。
それだけで、ティアナの心から一切の恐怖と不安が払拭されていく。代わりに訪れたのは深い安堵感だ。
「万物に肯定と否定は宿る。否定のみの存在は有り得ない」
「……ど、どういう、意味ですか」
女性は笑みを浮かべたまま小首を傾けて見せた。さらりと美しい髪が揺れた。
「我が兄弟の死、いずくんぞ、受け入れようか。其の死、いずくんぞ、意味を成そうか」
「え? ……え?」
「時でなし。また会おう。猛獣使いと楽士の娘」
「っ!?」
猛獣使いと楽士の娘?
ティアナは目を丸くした。
女性はころころと鈴を転がすような笑声を漏らす。
「父と母を知っているんですか?」
「《元の依り代》は救われる。それは其に続く。これは必定」
されど。
我が兄弟はどうだろう。
「願え。繋ぎたければ願え。それが其の母との約だ」
「私の、お母さんとの約……約束? 繋ぐって、何を繋ぐんですか?」
「その答えは、其のみぞ知る」
女性は難しくて曖昧な言葉ばかりだ。何かをティアナに伝えようとしているのだろうが、全く分からない。
まるで、ティアナ自身を試しているかのようだ。
ティアナは有間を振り返り、きゅっと唇を引き結んだ。目を伏せて一拍置き、瞼を上げて女性に視線を戻す。
しかし、そこにはもう女性の姿は無かった。
代わりに、世界に音が戻ってくる。やかましいくらいの声と、ドアを叩く音。
そして――――。
誰かが、床に倒れる音。
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